第36話「申訳」
昼下がりの自室。
院子に向けて開け放たれた窓からほのかに甘い香りがして、目を上げた。
あんなに硬そうだった蕾がふっくらとしていて、ほんのり桃色になっている。
それに目を奪われて――なんて、言い訳にもならないけれども。
「縫い目がきたない、やり直し!」
「……はい」
神妙に頷いて、楓花はひっそりとため息をついた。糸を解くのは、もう何度目か分からない。すっかり布もくたびれてしまった。
「まったく、いつになったら志均様にお渡しできる寝衣ができあがるのやら」
高卓を挟んで向かいに座る義母が、大きなため息をつきながら何度も首を振る。もう、「申し訳ございません」と肩を竦めることしかできない。ただ縫い上げるだけなら何とかなるのだけれど、文字通り一糸乱れぬさまでなければならないとなると――。
「じゃあこれは、義父上に……」
「一体何年分の寝衣を用意するつもりなのです」
「すみません……」
もう、それしか言えない。
義母はこめかみを押さえながら、またしてもため息をついた。また白髪が増えている気がする。もう申し訳なさ過ぎて、どうしていいか分からない。
義親が胸を張って送り出せるくらい、何でもそつなくこなせるようになるのが一番の親孝行なんだということは分かっている。分かってるけど――。
志均様のご依頼通りに私を養女にして、なんとか立派に嫁がせなければとあれこれ心を砕いている義両親を見るにつけ、胸が苦しい。
どこの馬の骨かも分からない私(どこぞの庶民だとは思っているようだけれど)に対して、色々思うところも不満もあるだろうに、そういったことは一切口にせず、ただただ色々なことを教えてくれるばかりではなく、十分な食事に清潔な衣装、立派な房室まで用意してもらって――なのに、いつまで経っても駄目な自分。
やっぱり、私にはこういう生活はむいてない……。
「だから、そういうこと考えるのが一番駄目!」
「なんですかいきなり! 大声を出して立ち上がったりして、はしたない!」
「すっ、すみません!」
ああ、またやってしまった! 楓花は慌てて座り直した。頬は火照っているのに寝衣のなれのはてを握り締める両手はじっとりと冷たい。心の内を表しているみたいに身体も混乱している。落ち着いて、とりあえずそう、糸を解かないと。
そこへ叩扉の音。
現れたのは、この家の女童である。
「失礼します。
「私?」
「はい」
確かに志均さまは往診に行かれているし、大兄と珪成は朝から連れ立って出て行った。多分、温楽坊付近を調べに行ったんだと思う。身軽に二人で。だから久々にこうやって、義母から色々な手ほどきを受けているのだ。
よく分からないながら、「そういうことであれば」と義母に急かされるがまま、楓花は急いで向かいの家に行った。
そこで待っていたのは――。
「春麗さん」
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