第18話「無垢」
「楓花さーん」
厨房でこの家の女童とともに豆粥を台車に載せていた楓花の背に、明るい声が投げかけられる。振り返ると「おーい」と手を振りながら、珪成がこちらに駆け寄ってきた。
「運ぶのお手伝いします」
楓花の返事を待つことなく珪成は台車の取っ手を握ると、軽やかに歩き出した。歌い出すんじゃないかというくらいに楽しげである。
「いい匂い。僕も楓花さんの豆粥大好きなんです! 何度真似して作っても、美味しくできないんですよねー。だからもう、楓花さんに作ってもらうのを食べるのが一番だなって思って!」
なんの屈託もない笑顔を向けられると、我が身のグダグダぶりが恥ずかしい。
「いつも褒めてくれるけど、そんな大した料理じゃないのよ。ただ煮るだけだもの」
「でも違うんです! どうしても同じ味にならないんです。きっと気持ちですね。『美味しく食べさせてあげたい』って楓花さんの優しさが、味に出るんですよ」
――こんな、赤面しそうな台詞をサラッと……将来が心配だわ……と思いつつ、珪成って本当にいいコだなあとしみじみ思った。自分よりずっと年下だけれど、尊敬の念すら覚えてしまう。
「僕が持ってあがるんで、楓花さんは先に行っててください」
築山に着くと、珪成は笑顔でそう言った。
――きっと私が持ったらぶちまけると思ってるのね……悔しいが確実にそう言うことになるだろうことは理解しているので、楓花はおとなしくその言に従う。
山に穿たれた階を上って行くと、亭台の真ん中に置かれた石の丸卓に数種の実や葉が置かれていた。それらでが色鮮やかになった茶を傾けながら、琉樹がぽやっとした目を院子に投げていた。その目だけが、チラッとこちらを向いた。「珪成は?」
「すぐ来るわよ」声が尖る。楓花は石卓の上を片付け始めるが、その手がイライラしているのは自分でさえ分かった。
亭台を六角形に結ぶ欄干は、入り口となる東南だけ外されている。その正面、左下に池水を望める西北の席が、琉樹の定位置であった。
「少しは気分がよくなりましたか?」
そこへ現れたのは、両手に盆を捧げ持った珪成である。「まあな」苦い顔で言う琉樹に、「よかった。せっかくの楓花さんの豆粥が食べられなかったらどうしようかと思いました」などと言いながら楓花が空けた卓上の空間にそれを置き、手際よく人数分の豆粥を注ぎ分けると、琉樹の隣に座った。これも定位置である。
「じゃあ冷めないうちに、いただきます!」
珪成の声につられて、兄妹も匙を取る。
一口啜り、うん大丈夫ちゃんとできてる――楓花が密かに安堵していると、「やっぱり美味しい! ね、師兄」「ま、誰でも一つくらいは取り柄がないと」「ちょっとそれどういう意味!?」などと言い合いながら、豆粥を片付けた。いつものとおりである。
食後のお茶を用意しながら、珪成は院子に目を投げ、
「こちらの院子は本当に見事ですよね。季節毎の美しさがあります。きっと
「――まあ、そうだろうな」
茶を啜った琉樹、渋い顔をする。彼の椀にのみ、酔い覚ましの様々な具が放り込まれていた。
「医生は本当にお顔が広いですよね。北街の患者さん向けに見栄で借りてるっておっしゃってましたが、こんな空邸を持ってるお知り合いがいるわけですから」
「――そうだな」
「でも有銭からの収入で貧困人をただ同然で診られてるんでしょう? ご立派ですよね」
「ついでに余計な話も持って来るしな。今回もどうせそんな話なんだろ、迷惑な話だ」
患者が医者の元を尋ねるのが当然のところを、その元に赴くことで少しずつ患者を増やして一年余り、腕と人柄で人気を集めた志均は、やがて相談ごとを持ちかけられるようになった。とはいうものの、その内容は家庭不和やら近所との小競り合い程度の話であり、しかも志均は嫌な顔もせず平和に収めてしまう。それでますます人気が上がった。医者としても、相談相手としてもである。
秋、琉樹と珪成はちょっと込み入った話だからと志均に応援を依頼された。お礼は弾みますの言葉につられ、天天についてノコノコ香山を下りてきた琉樹だったが――。
来てみれば、ちょっと体躯のいい出来損ないの一人息子が、力に任せ老父母から金をむしっていくというありがちな話。呆れ怒る琉樹に、志均はいつも通りに安穏とした様子で『腕の一本でも折ってこらしめてやって下さい』と、言うではないか。『暴力は私向きではないので』との言葉も添えて。
「もうすぐ医生がご相談者を連れていらっしゃるそうですし、せっかくですから話を聞いてみましょうよ。この前の話も、ご両親に凄く感謝されたじゃないですか。しかもあんなに美味しい料理まで。張家楼でしたっけ?」
仕方なく世の中の厳しさを存分に息子に叩きこんでやった琉樹だったが、すでに家財の殆どが持ち出されている家から貰えるものなどあるはずもなく、結局は志均に高級料亭で馳走されただけで終わったのである。
「あ。師兄、お代わり注ぎます?」
椀が空いたとたんにその言葉である。琉樹は茶碗を差し出しながら、ちらっとこちらに眼を投げてきた。細められたその目が、「やれやれ」と言っていることは楓花には分かった。
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