第26話 能く変化する采配

73・叛逆の狼煙


『まずはうまくいきました。南北に分かれた敵部隊の片方の、そのまた分かれた敵を討つ。先ほどの戦いに関しては、総数に劣るはずの我々が数で上を行くことができたんですよ。』


 竜を走らせながら、フレッドはリリアンにそう説明する。自身で操る騎手の場合は揺れるタイミングなどを把握できるため、舌を噛むようなことはない。しかし走っている最中に口を開いてはいけないと戒められているリリアンは、ただフレッドの言葉を待つのみであった。


『敵将がまともな戦術を理解しているなら、狭い街道に居続けて同じような奇襲を受ける愚は犯さないでしょう。開けた場所に布陣し、決戦に勝利した後ザイラスに凱旋しようと考えるはずです。負けて帰った……などと報告しようものなら、あの領主も大好きな怪物の贄にされるかもしれませんから。』


 そう話し終えた後、フレッドは竜を止めて眼下を見下ろす。そこには採石場の開けた部分に布陣する両軍が見て取れた。その数は同等といったところで、どちらかが一方的に優勢という状況ではなくなっていた。竜が止まったことで、話をできるようになったリリアンが質問をする。


「でも先生、あのまま戦ったら皆さんの犠牲も多くなってしまわないんでしょうか。敵の数も、まだまだ多そうですし……」


 確かにその通りなのだが、フレッドには策があり準備もすでに済ませている。フレッドの顔を見上げるリリアンに「これまで聞いたはずの私の話をちゃんと思い返せたら、答えが分かるかもしれないよ?」と囁くも、その答え自体を教えようとはしなかった。さんざん悩んでも答えに至らずやや頬が膨れ気味になったリリアンを見て、フレッドは最後のヒントを出した。


『今日は突然の大雨だったり、もしかしたら濃霧が出たりで大変ですね。しっかり前を見ていないと危ないですが、果たして前だけ見ていてよいものかな……?』



 両軍が採石場で対峙してしばらくした後、あたりには霧が立ち込めるようになる。もともと湿度が高くなる育成期に入ったばかりで、標高が高く涼しい気候という条件も重なっているが、あまりの急速な拡大に南部派遣軍は気を尖らせた。


「この霧に乗じて仕掛けてくるかもしれん。見張りは増やしても構わんから敵陣の監視は怠るなよ。ただ、これは好機でもある。敵に動きがなければ、こちらは霧が晴れ掛かったら仕掛けるとしよう。霧で隠されているうちに各隊準備させろ!」


 予想外の濃霧に対して、ヴェントの指示は十分に合格点を与えられるレベルである。しかしフレッドにとってこの濃霧は予想外ではなく、これが起こることを知り得た上で作戦を立てていたのだ。その結果、対応に差が出てしまうのは至極当然のことであった。霧が発生してしばらくすると、南部派遣軍の陣に異変が起こる。


「敵が入り込んでいるぞ!見張りが何人かやられている!」

「荷物置き場に火が付いたぞ!このままじゃ燃え広がる。消火を急げ!」

「敵は前の戦いで奪った鎧を付け味方に変装しているぞ!見た目に騙されず、怪しい奴はすべて確認しろ!」


 それは予め引き渡していた囚人護送車に潜み、機会を待っていた工作兵が濃霧という隠れ蓑を使い、工作を始めたことで引き起こされた混乱だった。そして実際には見張りを倒したり荷物に火を付けもしたが、敵の鎧を奪って変装した者はいなかった。ここが非常に抜け目のないところで、真実の中にウソを織り交ぜ信憑性を高めたのである。そして、綱紀が乱れた州軍の中に不埒な企みなどしていない者ばかりというわけもなく、物資や備品の横領などが次々と明るみに出てしまう。問い詰める側は問い詰められる側を頭から敵の内通者として認識したため非常に高圧的で、身の危険を感じた者が武器を手に取るまで大して時間を必要としなかった。


「霧でよく見えませんが、この音は戦いが始まってしまったんですね。皆さんご無事だといいのですけど……」


 確かに戦いは始まった……敵軍の同士討ちという形で。彼らはお互いに仲間と思っていた人間に裏切られたと思い込み、あるいは日ごろの不満を晴らす絶好の機会と捉え憎しみをぶつけ合うのだろう。それをさせないためには武力で脅すなり道理で説くなりし、守るべき綱紀を徹底する必要があるのだが、その点においてほぼならず者集団の州軍にそれは不可能であった。


『この霧に乗じ、護送車から囚人に擬した工作兵たちが出て仕事をしてくれました。いま聞こえているのは、敵同士が戦っている音です。我が方はこの音を合図に展開を開始し……ブルートさんたち主力は正面、フェルミ団長らは側面、テアさんらは採石場の高所にそれぞれ移動を開始している頃合いでしょう。霧が晴れたと同時に総攻撃をかけ、この戦いに幕を引きます。』


 リリアンはシェーファーらが「禁忌のため直接この手は汚せないが、雨乞いや霧の発生などで戦いに貢献できる」ということで協力を求めたことは聞いていて、さらに「囚人護送車には兵を隠しておく」というのも実際に見た。しかしそれらを組み合わせ、敵に同士討ちさせるという答えには至らなかった。素直に感嘆の思いを口にするも、フレッドはまったく嬉しそうな素振りもなくこう答えたのである。


『まったく私は、子供の頃からどう効率よく敵を倒すかばかりを考えていたから。それで味方の犠牲は減るけど、敵の犠牲は増える。どんな綺麗事を並べたところで、現実問題として命の価値が平等なんてことはあり得ないから……味方が死ぬくらいなら敵が死んだ方がマシだけど、どちらにせよ戦いに勝つというのは褒められたことでもなければ誇れることでもないんだ。本当なら戦わないで目的を達成する、いわゆる不戦屈敵といきたい所なんだよね。』


 フレッドはごく稀にだが、任務を帯びている身でも一個人に戻る時がある。そのような場合では言葉遣いも変わり、目下の者が相手ならつい教師をしているときのような物言いになってしまうのだ。しかしリリアンは、優しくて物知りなフレッド先生のほうが好きだった。軍人あるいは将としてのフレッドはいつにも増して目つきが鋭く、張り詰めている感じがして少し怖いという印象があるからだ。


「叛乱が成功すれば、もう敵と戦う必要はないんですよね?私もがんばりますから、早くその日が来るようにしましょう!」


 リリアンのその言葉にフレッドはうなずくが、叛乱が成就してもおそらく戦いがなくなることはない。少なくともフォーナー体制が続く限り一度はユージェの大侵攻があり、それには皇国の助けがなければ勝利し得ない。では皇国が助けてくれるかといえば、助ける価値があると証明しなければそれを望めない。叛乱後はいずれ誰かが首都に赴き、皇帝と面会する日が来るだろう。そしてその時のやり様によっては、皇国が敵に回る可能性もあるのだ。しかしそれらは、すべて叛乱が終わってからのこと。今は眼前の問題だけに集中すればいいのだ。


『もう霧が晴れますね。この戦いにも幕が引かれ、我が方の勝利がザイール全土に叛乱を告げる狼煙となることでしょう。』



74・虚像の軍勢


「まだ収拾がつかんのか!まずは戦いを止めさせろ。敵が入り込んだにしては組織立った動きがない。これは罠だ!」


 ヴェントは将というより傭兵、武人の類だが、それでもこの不自然さには気づいた。突入したなら自分を狙うなり、人質もしくは仲間であろう囚人を取り返すなりの目標があるはずなのに、目的を持っているとは思えない無秩序っぷりだったからである。そしてこの混乱が罠とすれば、次に起こり得るであろうことも予測がつく。


「敵はすぐそこにまで来ていると伝えろ。内輪もめをしているうちに死んでも構わんなら、死ぬまでそうしていろともな!」


 これは正式な軍が用いる収拾術としてはあまり褒められたものではないが、ヴェントはより明確な脅威を示すことで混乱を収めることに成功する。しかし味方内での信頼などはすでに失われ、残ったのは不信感のみ。見かけは軍であっても、実際はただ人の集団というだけになってしまっていた。口には出せなかったがヴェントは敗北を覚悟し、霧が晴れて見晴らしがよくなるとそれは確信となる。


「敵が突っ込んできます!味方は……ダメです、各自の判断で逃げ始めました。隊長、どうなさいますか!?」


 部下は囚人を盾に取引をすべきという案を持ち掛けるも、それを潔しとしないヴェントは総員に退却を指示する。先の戦いで「叛乱軍は復讐者であり、捕虜を取らない」と思い込ませたのは、それを恐れいち早く逃げる者が出ることで継戦の意思が挫かれるとの計算からである。あっさり降参されては敵軍に恐怖は広まらず、逆に裏切者へ腹を立て発奮させる材料にもなり兼ねないのだ。



「あの仮設門は私にお任せあれ。我らは制圧を進めるゆえ、ブルート殿はダウラス殿と共に敵将を狙われるがよかろう!」


 そう言うや、ウォルツァー団長は愛用の鎖鉄球槌を豪快に振りまわしながら閉じられた仮設の門に近づき、鉄球を門に叩きつける。木組みの門は木っ端微塵に砕け散り、主力部隊は陣の正門付近の確保に乗り出す。ブルートはダウラスらを伴い陣の奥へと向かい、ごく稀に襲い掛かってくる敵兵を打ち倒しながらもっとも大きい幕舎に踏み入るも、そこはすでにもぬけの空であった。


「勝てぬと踏んでさっさと逃げたか。まぁ妥当な判断ではあるな。よし、俺たちもまずはここの制圧にかかるぞ!」


 ブルートはヴェントが腕利きの傭兵上がりということを聞いていたので、勝負する機会があれば州軍に対し名を広める好機と考えていたが、その願いは叶わなかった。戦って負ける可能性を考えていないのは、フレッドに言わせると「軍を率いる者としてはいかがなものですかね?」となるのだが、部下に隠れていられる性格でないことはフレッドも分かっており、それについてはもう諦めていた。


「それにしても、ずいぶん簡単に勝てたものだな。数は敵のほうが多かったのに、少なく見積もっても3割は討っている。もうほぼ壊滅と言っていい状況だ。ユージェ統一の英雄という異名に偽りなし……か。」


 もし自分が指揮をしていたら、勝つにしても自軍の被害がもっと大きくなっていたことは否めない。隊列が伸びる街道脇から仕掛けることくらいは考え付いたが、集団行動しにくいことを利用して各個撃破に持ち込むところまでは考えなかった。自分であれば中央に突撃を掛け、大将首を狙っただろう。しかしそれは「早急に決着を付けなければ、前後の部隊に囲まれ集中攻撃を受けることになります」と、フレッドにやんわり拒否された。しかし「正面決戦を挑む機会は別に用意しますので……」とのフォローもされ、敵の裏をかいたり不意を突くばかりの作戦で不満を募らせないようにとの配慮もなされていたのだ。ブルートとしては、今回あらためて将としての差を思い知らされることとなった。


「残存の敵軍はすべて戦場から離脱しました。我々の大勝です!領主の奴に一泡吹かせてやったぞ、思い知ったか!」


 報告の兵がそう告げると、制圧した陣の各所で歓声が上がる。こうしてヘルダ村近郊で起きた叛乱軍の初戦は叛乱軍およそ1000に対し州軍およそ1500と差がありながら、州軍は戦死者500を数え、州軍に見切りをつけザイラスに戻らなかった離脱者を含めれば未帰還率は9割ほどに達した。領主の逆鱗に触れることを恐れ、ヴェントと直属の部下や兵しか戻らなかったのである。



『皆様の戦いぶり、とくと拝見させていただきました。作戦通りに進めていただけたおかげで、予想された形での勝利と相成りましたようで。おめでとうございます。』


 フレッドがリリアンを伴って制圧した陣に姿を現したのは、兵たちがいまだ勝利に沸き返る最中のことであった。ブルートら主だった幹部が大将用の幕舎に集まっているところに入ってきて開口一番、そう祝辞を述べた。


「すべてお前のおかげだな。正直こうまで圧勝できるとは思ってもいなかった。俺も、軍学をやり直そうか本気で考えるくらいさ。ただ、一歩及ばず敵将は逃しちまった。そこだけが残念だな。」


 若い時分に「どうせ軍を率いることなどない」と強弁し、軍学の授業をサボっては武芸の自習を繰り返した過去を振り返りつつ、ブルートが答える。程度の差こそあれ、ユージェ時代を知るテア以外の幹部はどこかしら指揮を不安に思っている部分はあったが、今回の勝利でその疑念は完全に払拭されていた。そしてそれは、幕舎の外でフレッドの作戦を称える声の大きさから兵たちも同様であることは窺い知れた。


『それでいいんですよ。一軍の将ともなればさすがに戻るでしょうし、戻れば「謎の敵が大挙して襲い掛かってきた」とでも報告するでしょうから。今回こちらが奇襲を主軸にし、敵に数を悟らせぬように努めたのはそのためです。もっとも、こちらの数を把握していたところで「はるかに少ない敵に負けた」とは言えないでしょうけどね。正確な報告をしたら殺される主というのも、いやはや困ったものですなぁ。』


 数に劣っていたという理由が第一ではあるが、今回の作戦では正面から決戦を挑んだのは最後の突撃くらいである。霧が出る前には両軍が正面から対峙するも、ヘルダ側は州軍より高い場所に布陣し全体像を掴ませないように腐心した。それらはすべて、ザイラスに帰還する部隊に正確な報告を行わせない必要があったからだ。


『さあ、我々の勝利を大々的に喧伝いたしましょう。領主に恨みを持つ者、戦いたいと考えてはいても踏み切れなかった者、ただ名を挙げたい者などが大勢やってくるはずです。彼ら見せかけだけの兵を束ね、虚像の軍勢を築きます。戦力としては数えられませんが、そのあたりはザイラスに逃げ帰った者らが補ってくれます。叛乱軍は鍛えられ、統一された作戦行動を取れる者たちである。ゆえに敗れた……とね。』


 叛乱軍が正式に[ザイール解放軍]を名乗り、L1026育成期1日に州軍を撃破したと発表したことは、瞬く間にザイール全土に広まった。解放軍の本拠地がヘルダ村で、その主力がユージェやグア=ロークを撃退した者たちであることも合わせて伝わると、フレッドの予測通り多くの人々が解放軍への加入を望み、多くの街や町村も物資面で協力を申し出るようになる。ここに計画の第一段階である「初戦に勝利し、民衆の支持を得る」という目標は達成された。志願者の中でも心身に問題がない1000名ほどを厳選し、整然と列をなして行進する訓練のみを数日かけて行った後、解放軍はついに州都ザイラスへ向け進軍を開始する。L1026育成期の18日のことであった。

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