【短編】鉛筆物語

 誰もいない教室で、ふと私は目を覚ました。

 ぼんやりとした頭の中のかすみを振り払うように、壁に掛かった時計に目をを向ける。――時刻は夕方の6時半。


 あたりは日も暮れてきて、そろそろ放課後の部活も終わる頃合いだ。

 遠くから、野球部の集合の号令がかすかに聞こえる。

 陸上部だろうか、「ラストスパート!」と声を張り上げる野太い声も聞こえた。


 そんな音たちを聞いているうちに、ほうけていた意識も次第に輪郭を取り戻す。

 どうやら終業のHRホームルームのあとからずっと、机の上で眠りこけてしまっていたらしい。

 人っ子一人いない教室はいまや熱気を失い、乾いた風がまるで誰かをからかうかのようにカーテンを揺らしている。


(今から、どうしようかな――)


 寝起きの頭のまま、ぼんやりとそんなことに思いを巡らす。

 もちろん家に帰れば良いのだけれど、いまの私にはそれも難しい選択だ。

 体がまるで自分のものじゃないかのように重くて、どうにも起き上がる気にならない。


 それどころか、眠くてちっとも考えがまとまらない。


 ……それもそのはず。昨日はテスト勉強を徹夜で頑張ったのだ。

 夜中まで勉強机の明かりをともし、一夜漬けで必死に試験範囲の単語を脳みそに詰め込んだ。

 カリカリと黒鉛の筋を刻みつけながら、どうにかこうにかノートと問題集の空欄を全て埋め尽くす。

 たとえ丸暗記でも、何もしないよりはマシだった……と思いたい。


 そんな期末試験も、今日でようやく終わり。

 いくつか間違えてしまった問題もある気がするけど、志望校の判定はどれくらいだろうか。

 いや、今は何も考えたくない。

 しばらくは、勉強のことは忘れよう。

 何といっても、今日で試験は終わったのだから。


*


 ふと、視界の端に小さな緑色の何かを見つけた。

 それは、キャップも何もつけていない、裸ん坊の鉛筆だった。

 子供の指よりも短かくなるほどに使い込まれたその鉛筆は、教室の隅にぼつんと転がっていた。


 脳裏に、昼休みの光景がよみがえる。


 教室に一つしかない鉛筆削り機の前で、ぺちゃくちゃとお喋りをしながら並ぶ友人たち。

 この学校は妙なところで規則に厳しくて、テストの際には必ず鉛筆を使用することになっている。

 だから、テスト当日の休み時間にはいつも鉛筆削り機の前に長蛇の列ができるのだった。


 一つ前に並ぶ男子が、削り機に鉛筆を入れようとして、一瞬だけ手を止めた。


「……あ、これはもう使えないな」


 そう呟いた彼は、短くなりすぎたその鉛筆を無造作に放り投げた。

 ゴミ箱でもなく、教室の端に向かって。


 鉛筆はコロコロと転がって、静かに教室の隅に留まった。

 誰もそれに気付きもしなかった。――私以外は。


*


「――ねぇ、そんな風に捨てられて、寂しくない?」


 部屋の隅に転がる鉛筆に、何となしに尋ねてみる。


「別に。焼却炉で燃やされなかっただけ、まだマシだよ」


 小さな鉛筆は、何でもない風にそう答えた。

 そういうものなのか。

 確かに、燃やされてしまえばこの世から消えてなくなってしまうけれど、そうやって教室の隅に転がっていれば、まだ消えずに生きていることにはなる。


「それに、オレの役目はもう充分果たしたからね」


 満足そうに、その鉛筆は言った。

 削り機に入らないほど短くなるまで使われたということは、鉛筆にとって「天寿を全うした」のと同じようなことなのかもしれない。


 それでもきっと、明日の掃除の時間には誰かに発見されて、あの鉛筆も捨てられてしまうに違いない。


 起き上がって拾い上げてあげたいけれど、そうするわけにもいかない。

 もし私も誰かから必要とされなくなったら、あんな風に打ち捨てられてしまうのだろうか。

 そうして誰からも気付かれずに、ひっそりとこの世を去るのだろうか。

 そんなことを考えていたら、なんだか少し悲しくなってしまった。


*


 ガラッと音がして、教室に誰かが入ってきた。

 ――クラスの問題児、内山くんだ。

 内山くんはいつも授業をサボったりいたずらしたりしては、先生に怒られている。

 勝手に改造した学生服を着て、きちんとボタンを留めているのすら見たことがない。


 彼は部活に入っていないはずだけど、こんな時間まで何をしていたのだろう。

 忘れ物でも取りに来たのだろうか。

 不思議に思いながらも、私は黙って彼の様子を見守っていた。


 内山くんも無言のまま、まっすぐ自分の机に向かうと、中から漫画本を取り出して通学カバンに入れた。

 ――もちろん校内では漫画本の持ち込みなんて禁止されているのに。よくもまぁ堂々と……


 私は呆れて、見てみぬふりを続けていた。

 と、内山くんが横を向いて何かに気付いた。

 教室の片隅に落ちていた鉛筆を拾い上げて、眺めている。


 捨てるのかな?

 ……と思ったら、ニヤっといたずらっぽい笑みを浮かべてそのちっぽけな鉛筆を学生服のポケットに突っ込んだ。

 それから内山くんは私の方にも顔を向けた。

 そのまま、すっ、と手を伸ばして……


*


 翌日。


 私とあの鉛筆は、内山くんが作った『てっぽう』というものの一部にされていた。

 

 内山くんの部屋には、大小さまざまな『てっぽう』のコレクションがあった。

 割りばしや輪ゴムを組み合わせて作った、おもちゃの鉄砲。

 ゴムの力で、輪ゴムをけっこうなスピードで打ち出すことができる。

 色々と工夫を凝らして、オリジナルの『てっぽう』を作るのが好きらしい。


「やっぱりこの長さ、ここの部品にするのにちょうど良かったな」


 内山くんが私の足に輪ゴムを引っ掛けながら、満足げに笑った。


 私は別に『てっぽう』というモノになりたかった訳じゃないけれど。

 少なくとも誰もいないあの教室で忘れ去られているよりも、ここは案外快適かもしれない。

 私もあの緑色の鉛筆も、そうして捨てられずに済んだのだ。

 内山くんには感謝の気持ちでいっぱいだ。


 そう、私達はもうモノを書くこともできなくなってしまった、ちっぽけな鉛筆なのだから――。




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あとがき:

 はいっ! つまり「私=鉛筆」という(それが言いたかっただけの)お話でした。

教室にいた「私=鉛筆」は、最初からずっと机の上にただ転がっていたのでした。

みなさんはどのあたりで気付いたでしょうか?(笑)


1) タイトル~前半部分で何となく察した

2) 鉛筆と会話を始めたあたりで察した

3) 最後に言われてわかった

etc.

「ここで分かった~」など、コメントで教えていただけたら嬉しいです(^-^)

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