365話

ノス

1 秘密

美子と連絡が取れなくなってから、半月が経とうとしていた。

妻に話さず何度か会った女性で、逢瀬を交わしもしたが決して浮気ではない。ただ私も彼女も日々のストレスの捌け口を求めていただけで、そしてある日偶然にも出会い、気が合ったというだけの事だ。

だから連絡が途絶えても然程気にはならず、このまま相手から何も来なくても良いと思っていた。

それに、今がは彼女よりも気になる事がある。妻の料理だ。

気になるといっても悪い意味ではない。最近、妻の作る食事が美味いのだ。日頃から料理上手ではあったが、更に美味いと感じるようになったのは、美子との連絡が途絶えた翌日からだった。

「食材がいいのかも知れないわね」

何か隠し味でも入れているのかと尋ねると、カウンターキッチンで油のついたボウルを洗いながら妻は答えた。

私は今日の夕食であるステーキを口に運び、その柔らかな舌触りと芳醇な味を堪能する。こんな風にして日々妻の料理を味わえば味わう程、私はこれに似た肉を、以前も何度か食べた事があるのを思い出していた。こんなにも美味しいのに、何故忘れていたのだろう。その記憶は背筋が痺れる背徳感を伴って、少しずつ呼び起こされてゆく。

私は妻に再度聞く。

「いい肉を使ってるの」

すると、妻は嬉しそうに笑って言った。

「あたり」

妻が言うには、仲の良い知り合いから貰ったらしい。

「まだ沢山あるし冷凍庫にも保存してあるから、食べたかったらどんどん言ってね」

最近、三食の料理すべてが肉だ。まだあるようだが、全く飽きる気がしなかった。

上機嫌に妻が歌う鼻歌を聞きながら、私は更に鮮明にこの味を思い出す。

結婚する前から、私が妻以外の女性と親しくなれば必ずどこかで連絡がつかなくなり、その後には、日々の食卓には暫く肉料理が並ぶようになるのだ。それも絶品の。

私は多分、それも密かな楽しみとして、他の女性と会っているのだ。

再び口にするまでの間この味を忘れているのは、私の中にある良心が、忘れる事によって均衡を保っているからだろう。

私はフォークで切断した肉を口に運び、ぐちゃぐちゃに咀嚼して喉へ流しこむ。そしてナイフとフォークを静かに皿の上へ置き、妻へ向けて尋ねた。

「ところで、何の肉を使っているんだい」

私のその言葉に妻は、切れ味の良さそうな包丁を洗っていた手を止める。

そして片手に包丁を持ったまま、もう片方の手を上げ、泡のついた人差し指を唇にあてて微笑んだ。

「秘密」

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