ジジイ様の話

 これは、シェラートが半分魔人ジンになって間もない――なりたてほやほやの頃の話。


***


「……ランジュールさん」


 買い出しから帰って来たシェラートは、玄関先に高々と積み上げられた山を文字通り見上げて魔神ジーニーに問いかけた。

「何ですか、これ」

「服じゃないのか?」

 問い返されてシェラートは怪訝な顔になる。

 いや、それは見たらわかる。

 なぜ服の山がこうも奇妙に玄関先にできあがっているのか、と聞きたかったのだ。

 つい三十分前、外出する際には確かになかったはずである。

「あ」

 ランジュールは、何かに気づいたように言った。シェラートは続くであろう説明を期待して待つ。

「服だけじゃない。装飾具も混じってる」

 いや、そういう問題でもない。シェラートは突っ込みたかったが、なんだか面倒になってきたのでやめることにした。代わりに、「これをどうするのですか?」と説明の返ってきそうな問いに改めてみる。

「ん? アジカにやる」

「全部ですか?」

「どれがいいかわからない」

 だから全部だ、とシェラートにしてみれば非常識極まりないことをランジュールはにべもなく告げた。

「アジカには必要だろう?」

「はぁ……そうなんですか?」

 シェラートは半信半疑ながら「そうなのか」と思いこんだ。

 きちんと会ったことはまだ数回しかないが、アジカは元々この異国の姫であったという。

 姫であるのならば、このくらい服が必要なのかもしれない。

 想像のつかない世界だったせいもあり、シェラートは意図も簡単に納得してしまった。

 きらびやかな衣服に装飾具たち。今にも崩れてきそうなそれらの山を、シェラートは恐々と見上げる。

 もしもランジュールが「人間には必要だろう?」と言っていたら、シェラートは「こんなに必要ない!」と完全否定できただろう。

 だが、魔神ジーニーの対象はやはり一人の女だけでしかなかった。

 ランジュールが『人間』をアジカしか知らないことを、シェラートもまた、この時は知らなかったのだ。

 まあ、自分には関係ないだろう、とシェラートは買ってきた品を抱えて通り過ぎようとした。が、結果的に、通り過ぎることはできなかった。

「小僧」

 ランジュールに呼びとめられ、シェラートは魔神ジーニーを見やる。

「アジカのところに届けてこい」

 魔神ジーニーの言葉の意味を吟味すること数十秒。「はい?」という何とも間抜けな声だけが、シェラートの口から漏れた。

 ランジュールは不思議そうな顔をした。聞こえなかったとでも思ったのか、同じ言葉をもう一度繰り返してくる。

 あまりの突拍子のなさに「ちょっと待て!」とシェラートは叫びたかった――が、できなかった。

 相手はこの辺りの人間に神とあがめられる存在である。しかも、その中でも最上位。

 交換条件とはいえ、願いを叶えてもらった恩もあった。

 しばらく考えたのち、シェラートはやんわりと『無理』だということを示すことにした。

「アジカさんのところって馬で飛ばしても一日はかかりますよね?」

 なのにこの山をどう運べという! 何往復すればいいんだよ! と、シェラートは、冷静に冷静にと自分に言い聞かせて言った。

 対する魔神ジーニーは、涼しそうな顔をしている。ただ、その表情の中にあった不可解そうな色を強めただけだ。

「何を言っている。時間がかかるわけないだろう。転移させるか、お前が転移しろ」

「何を仰っているのですか!? できるわけないでしょう」

 まだ魔人ジンとなって数ヶ月である。人間の頃にはなかった魔力をそうやすやすと操れるようになるわけがない。カーマイルに飛ぶ時も、ランジュールに補助してもらったのだ。リーアに必要な薬を作れたのも同じようなものだろう。つまり、完全に自分一人だけではできる自信などない。

 だが、ランジュールはシェラートの意見など聞き入れてはくれなかった。というより、なぜシェラートがそう考えたのか、ランジュールにはいまいち理解できなかったのである。

「できないわけないだろう。力量は同じなんだから」

「そういう問題じゃないだろうがっ!」

「他に何がある」

「たとえば、だなー……モノを転移させる方法は習った覚えがないっ、……です!」

 これでどうだ、とシェラートはランジュールに突きつけたつもりだったのだが、返ってきたのは「それが何だ」という言葉だった。

「どっちも同じだ」

「どう同じなんですか……」

「考えるまでもなく同じだろう」

「いや、きちんと教えてくれませんか」

「だから同じだと言っている」

 シェラートは溜息を吐きだした。埒が明かない。

「もうランジュールさんが転移させればいじゃないですか」

 そっちの方が断然早いだろう。そう思ったもののランジュールはいらぬところで人間のような常識力を発揮した。

「シェラート」

 呼ばれ、シェラートは緊張する。

「お前がしなければ、いつまでたっても変わらないだろう」

 つまり練習しろ、と。

 シェラートは口をつぐむしかなかった。

 ランジュールの真意が別のところにあることは、知りあって間もないこの頃、気付けはしなかった。それこそが彼らが交わした願いの一部だった、と。シェラートがなおのこと気づくよしもない。

 正論を突き付けられた以上、逆らうことはできない。

 ただ、ひょうひょうと広い屋敷の奥へと消えゆく背中に向かって、シェラートは相手に聞こえぬ小ささで舌打ちをした。

 さすがのシェラートも、ランジュールの言葉が単純にシェラート自身のためを思って発言されたわけでないことくらいは、この数ヶ月の間に悟らざるをえなかったのである。


 四苦八苦しながら三番目の姫トゥッシトリアの離宮に運び込まれた高々とした山。

 アジカが呆れた顔をしたのは言うまでもない。彼女にとっては、これは一度や二度のことではなかった。

 ヴィエッダはいつ遊びに来るかしら、と彼女は壮観な景色となりつつある居間を、ぼんやりと眺めた。


***


「おい、小僧。それを運んでおけ。ああ、あと、あれも動かしておけ。なんか見え方が変わったからな。窓ごとでもいい」

「――っ! いい加減にしろ、ジジイ!」

 ついにぷっちんと切れてしまったシェラート。それでも気まぐれに無理難題――いや、“題”とも言えぬようなものごとに巻き込まれ続けたシェラートは、よく一年も我慢し続けたものだと「ジジイ」と叫んでしまった瞬間に酷い徒労感を覚えたという。

 ランジュールがシェラートの中において憎たらしい『ジジイ』の座を易々と得ることができたのは仕方のないことであった。


「シェラートも苦労するわね」


 年若い魔人ジンから首根っこを引き掴まれ驚いた顔をしている連れ合いに、ちょうど様子を見に来ていたアジカは呆れて息をついた。

 随分マシになったものの、まるでこちらの常識や言い分が通らなかったことを思い出す。

 瞬く間に床に打ち倒されたシェラートが、いまいましげに悪態をつくのを見やりながら、アジカは鮮やかに笑った。

 ジジイと吐き捨てられても文句が言えないことは、もう誰の目から見ても同じであったらしい。

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