ラピスラズリのかけら
空の歌
―――空が、高い。
フィシュアは振り仰いだ空の眩さに目を細めた。
手で作った庇の先から零れた光が肌を焼く。
澄み切った空には、薄い雲が一片尾を引くようにたなびくばかり。その雲すら強風に流されて、視界から消えようとしていた。
見果てぬ先も同じように青に支配された景色が広がっているのだろう。
ふとした瞬間に、考えては、立ち尽くす。
あの人は、どんな思いでこの道に立っていたのか、と。
***
先代の宵の歌姫は、天賦の才を持った人だった。
透き通る眼差し。それは彼女の歌にも似て、紡がれる言葉の風景を、物語を、観客は滔々と流れる清水のように聞く。
まざまざと視る、と言ってもよいかもしれない。
初めて耳にした者は、一様に呆けた顔をして固まる。そのまま微動だにせず、歌が途切れてようやく思い出したように息を吐いた。
一番身近で宵の歌姫の舞台を見ることを許されていたフィシュアは、酒場の店主が特別に出してくれた蜜水入りの杯を握りしめ、歌を纏う彼女にほれぼれと魅入る。
歌う彼女の胸元で、証であるはずのラピスラズリが彼女を彩れることそれだけを誇って光る。
いつか彼女が歌姫の座を退いて、代わりにフィシュアが同じ場に立つ。
そのことがフィシュアには誇らしく――それでも、どうやったって自分がイリアナのようには歌えないことを、幼心に理解していた。
「おいで、フィシュア」
淡い微笑に呼応するように、足が自然と声の方へ向く。イリアナ様、とフィシュアが呼びかけると、イリアナの眼差しは慈しむように深く色を増した。
泉の淵に腰かけるイリアナに手を引かれ、フィシュアは彼女の横にちょこりと腰かける。
さやさやと水音が風の中で鳴った。自然と耳に滑りこんでくるイリアナの歌声はここで聞くのが一番美しい。
イリアナの声に添わせて、フィシュアは歌う。彼女の歌の邪魔をしないように、本当は息すら潜めてしまいたい気持ちを我慢する。以前、そうして窘められたのはまだフィシュアの記憶には新しかった。
隅々に溶け込んで浸透するイリアナの声は空気そのもの。凛とした響きを帯びて、のびやかに広がるフィシュアの声は、イリアナのようにはなれないけれど。
『自分の声を受け入れなさい』
しゅんと項垂れたフィシュアの肩に、イリアナは体温の低い細い掌を添えてそう諭した。
連なる声はどこにも響くことはない。清らかな歌声は、懐かしい泉に消えた。
今はもうフィシュアの耳の奥でこだまするだけだ。
全てを見通していた透き通った眼差し。似た景色に出会うと、風の中に歌声を求めて耳を凝らしてしまいたくなる時がある。
「行きますよ、フィシュア様」
「わかってる」
呼ばれた声に答えを返して、フィシュアは庇にしていた手をおろした。
砂避けに巻いている布を口元に引き上げ、位置をなおす。
「やっぱりこの辺りは暑いな」
言いながら立ち並んだフィシュアに、彼女の護衛官は「そうですね」と相槌を返した。
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