頼みごと

「カ ザ リ ア さ ん !」


 花から顔を上げると、庭の向こうからとんでもない勢いで疾走してくる夫の姿が見えた。

 ロウリィが走ること自体珍しい。それが、全速力ともなれば、なおのことだ。

 こっちに来たかと思えば、ほとんど突進と変わらない勢いで、肩を掴まれる。衝撃を足を踏ん張らせて堪えた。一体何なんだ、と胡乱気に夫を見れば、あまりにも真剣な顔をしているから、思わずたじろいでしまう。

「な、何。一体どうしたっていうのよ」

「カザっ、げほっ、ごほっ、あ、のです、ごほごほ!」

「わかったわ。何か大切なことがあったのは、わかったから、深呼吸なさい」

 げほごほと、苦しそうに咳き込むロウリィの背をさする。あんまり慌て過ぎだと自分でも気付いたのだろう。あらい息で深呼吸を繰り返したロウリィは、「すびばぜん」とようやく落ち着いてきた息で絞り出した。

 掴まれていた肩から、ようやく緩んだ手が離れる。

「実は、カザリアさんに頼みたいことがありまして」

「何」

「カザリアさんの御実家に、トケイソウがあるってさっき小耳に挟んだのですが」

「あるわね」

「ください! それください! 一株でいいから、うちで育てませんか、カザリアさん!!!!」

 勢い込んでロウリィは、詰め寄ってくる。

「だーかーらー、落ち付きなさいってば!」

 ばしりとロウリィの額を叩くと、彼は額を両手で押さえて呻いた。

 それでも、彼にとってはどうしても興奮を抑えられないものらしい。唸りながらも「あれの栽培方法って、わかってるんですか?」と聞いてくる夫に若干うんざりしてきた。

「何。あれって何か役に立つの?」

「立ちます! いえ、ホントはまだよくわかってないんですが、噂では立つはずです! と言いますか、あれ、この大陸にこの間入ってきたばっかりですよ。どうして持ってるんですか!」

「毒?」

「毒じゃないです! 色々試してみたいです!」

「私、あれ気持ちが悪いからあんまり好きじゃないのよね」

「なんてこと言うんですか、カザリアさん! 気持ち悪くないですよ全然。どこが気持ち悪いんですか!」

「ええー」

 気持ち悪いわよ。色も形も毒々しくて仕方がない。結婚する少し前に実家に植えられた花の姿形を思い出して、げんなりする。

「あれを屋敷に植えるって言うの?」

「植えたいです!」

「でも、あれの栽培法は確かまだうちでも手探り中だったと思うのだけれど」

 花ももうとっくに終わっていたはずだ。栽培法が確立されていないと知るや、ロウリィは見るからにがっかりする。肩を落としかけたロウリィは、けれども、ぐっと拳を握りしめた。

「いいです。それでも。ください!」

 一向に諦めるつもりがないらしい彼に気押されそうになる。

「だ、だけど、あれはうちがしばらく独占するつもりみたいなのよ。商会とも、もう話はつけていたし」

「大丈夫です。けっして商用には使いませんから!」

「そ、そういう問題じゃなくて」

「お願いです、カザリアさん! 効能等々はっきりしたら、すぐにカザリアさんの御実家の方にご連絡しますし、薬が開発できた場合は、ケルシュタイード家と利益を折半しても構いませんから!」

 そこを何とかお願いします、とロウリィは切々と訴えてくる。

「い、一応、いいかどうか聞いてみる、けど、あまり期待しない方がい」

「ありがとうございます!」

 叫ぶなり、ロウリィは諸手を挙げる。今にも飛び跳ねんばかりの喜びように、私はしばらくの間、呆気にとられたのだ。


***


 しばらくして実家から届けられたトケイソウに、当然ながらロウリィは目を輝かせた。

「いいんですか、カザリアさん!?」

「送られてきたんだから、いいってことでしょ。ただし、ロウリィがあげた条件は守ってもらいますからね。契約書も書いてもらうから」

「もちろんです。そのくらい、これに比べたら安いものです」

 そんなことはどうでもいい、と言わんばかりのあっさりとした口調で言って、ロウリィはさっそくトケイソウの葉の表裏を観察しはじめる。

「それ、挿し木したら増えるって」

「増えるんですか、これ!」

「そうみたいね」

「では、さっそく用意を」

 ぱっと立ちあがったロウリィは、機嫌のよさを隠しもせずに駆けていく。

 ひとつ残された鉢を、私はちらりと見やった。

 茂った葉の中からは、支えを求める蔦が所在なさげに飛び出している。

 私は鉢の傍らに座り込むと、くるりと先の丸まった蔦をぴしりと指先で弾いたのだ。


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