番外編置き場

いうら ゆう

紅の薄様

つまみ食い


 すん、と少女は鼻を寄せた。すんすん、くすんくすん、と紅は薄く重なる花びらの中に鼻先を埋めた。吸いこんで、はっと顔を離す。

 よい、香りがする。鼻腔の中に留まりそうな重たいよい香りだ。

 紅は手を伸ばした。指先にやわい花びらがあたってくしゃりと崩れる。

 そっと肘を曲げ、指先を引かせた彼女は、地面をぺたりぺたりと探って、咲き誇る花の群生の茎をひとつ、またひとつと辿る。

 ぷちり、と紅は花をもぎった。容易にぽきりとは折れてくれぬ花を掌で包みこんではぶちりぶちりともぎ、袖の内に放りこんでいく。

 溢れ出た花が、袖からぽろりと零れ落ちる。

「よい、香り」

 紅は最後にもう二つもぎったまるい花を、掌に抱えて走った。

 跳びながら駆ける紅の足に踊らされて、膨らんだ袖が揺れる。

 走る度に袖から立ちあがる香りに、紅はいっそうこまやかに喉を震わせて笑った。



 呼び止められた実己は、寸の間、細い目を大きく見開かせた。

 駆けてくる紅の袖の合間から、薄色の花びらが広がって落ちて行く。あとを追うように、てんてんと転がっていく花びらは、彼女の足跡のようにも見えた。

「実己! よいものがあった!」

 ぱっと、顔を輝かせた紅は、息を弾ませて実己の腰にしがみつく。

 なんだどうした、と実己が彼女をかんがみれば、彼の身体から離れた紅はぎゅっと握り潰した両拳を、実己の前に突き出した。

「よい、香り」

 紅は掌をほどく。浮きたった芳香と共に、ぐずぐずに崩れた薄紅の花びらが、少女の指先からほろほろと落ちた。

 地面に零れた花びらを摘みあげて、実己は膝をつく。見上げた少女の顔は、とても誇らしげに澄んだ空に映った。

「へぇ。どこで見つけたんだ」

「川に行くのをそれたところ。いつもよりも、ちょっと音のしない方」

「よい香りだな」

 実己は頷く。紅は首をすくませてけたけたと笑った。

「よい香り。いい香り。甘くないけど甘いみたい」

 紅はぎゅっと掌を鼻に寄せた。ふふふ、と彼女は嬉しそうに笑う。

「よかった。よい香り」

 ふぅ、と息を吹きだした紅は、手に載せていた幾片もの花びらを払った。

 実己は、紅の顔を見て笑う。彼女自身も違和感に気付いたのだろう。唇の端にくっついていた花びらを指で摘んで取り外すと、ひとくち糖蜜でも舐めるように食べた。

 つい、と少女は眉を寄せる。

「やっぱり甘くないね。甘い匂いとはちょっとちがったから」

「そうなのか」

「うん、似てる方はすっぱい」

「ふーん」

 実己は首を傾げる。指先に摘んでいた花びらを試しに口に運んでみた。何の感触も味もない。彼にしてみれば空気すら食んだとは思えなくて、たちまち、実己は味を探るのを諦めた。

 肩を落としかけたその拍子に、ふくらと紅の袖が膨らんでいるのを見つけて、袖の内を探る。

 でてきたのは、辛うじてまるをかたどっている花だった。さっきの花びらの元は、これだろう。ひだを折り重ねて、いっぱいに膨らんでいる花の色は、花びらの淡さから思い描いていたものよりも、遥かに濃い。

 掬いだした紅色の花を、少女の髪に飾る。

 すん、と紅は鼻を鳴らした。

「よい香り」

「あぁ」

 そうだな、と実己は花の香りを纏った少女の前髪を梳いた。

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