管の奏は慕わしく


 こうは、ものを見ることができない。生まれながらの盲である。

 だから、彼女は数ある場所の中でも河原がいっとう好きだった。

 さらさらと流れていたかと思えば、水は淀みにたまって、時折、ごぽりと深い音をたてる。また、ある日には、ごうごうと凄まじい勢いで流れて行く河が、不思議でならなかった。

 なぜなら、この少女は、何故河が様相を変えるのか知らなかったのだ。ぴちゃりと鳴ったのが、魚が跳ねたからだと知る方法は彼女にはなかった。まして、急に水かさが増すのは、河の根源がある山頂で雨が降ったからなどとは思い当たりもしなかった。

 刻々と移り変わる河の様に耳を澄ますのはとても楽しい。

 突如、音が立つのはもっと楽しい。

 河の中に手を浸せば、温まった水がある。けれども、ひんやりと刺すように冷たい時もある。手を差し入れる度に変わる水の温度もまた、少女が河原を気に入っている要因の一つであった。


 この日も、少女は一人、河原を訪れると、石で埋まった地べたに座り込んでいた。

 朝から絶え間なく陽を浴びてきた石ころの温もりは、じんわりと身に沁み込む。紅は、一個、二個と手で石を掴むと、頬に当てた。ほんのりと石の持つ熱が頬に移っていく代わりに、石は熱を徐々に失くしていく。冷えてしまった石を、ぽいと投げ捨てては、また新たな石ころを掴み両頬に当てる、という動作を、少女は飽きることなく、繰り返した。

 頭上では、ひょろろろろと、鳥が澄み渡った空を強靭な翼で舞い滑ってゆく。さえずりに惹かれ、少女は光ばかりが満ちている空を振り仰いだ。

 つい、とトンボが掠めていった鼻先を、少女はぱっと両手で押さえる。こつん、こつりと少女の掌から、二つの石が転げ落ちて、河原の一部に戻った。

 紅は、む、と眉根を寄せて、しゃがみこんだ。落ちてしまった石の代わりに、収まりの良い新しい石ころを探す。できるだけ、まるくて、ざらざらしていて、とびきり温いものがよい。

 ――と、手に当たった石とは違う、つるりとした感触に、彼女はふと石を探る手を止めた。拾い上げて、形を確かめる。

 平たい、と思った。表面はすべすべとしているのに、中央部を指で辿れば、がたがたとする。とげとげとした細い枝が幾本も並んでいるかと思えば、反対側は、丸みを帯びて、ちょうど椀のようだ。知らない形だ。

 はて、これは一体何なのだろう、と少女は、ぼうっと、十指全てを使って探り続ける。それから、ぴたりと頬につけてみた。けれども、それは先程の石ころのようには、陽の温もりを伝えてはくれなかった。

 つまらない、と彼女は頬からそれを外す。だが、今まで出会ったことがないものであるということだけは、明白だった。

実己みこに聞けば分かるかな?」

 少女は、拾い上げたものを手に持ったまま、呟く。

「だって、実己、何でも知ってる」

 髭も知っていたし、石も知っていたし、酸っぱいのに甘くなるチイコの実だって知っていた。それから、他には何があったけ、とぽつりぽつりと思い出しながら、指折り数えていたところ、危うく手の中から転げ落としそうになったので、紅は数えるのをやめることにした。

 とにかくいっぱい教えてもらったのだ。実己はいっぱい教えてくれるのだ。

 実己なら、すぐにこれが何であるのか、答えを教えてくれるだろう。

 何だろう、何だろう、とそわそわしながら、紅は、たしたしっ、と河原に敷き詰められた石を踏みしめた。そうやって、幾度か、足裏で場所を確かめながら、紅は衣の裾を翻すと、急いで家路へとついたのだ。



*****



 実己は、木屑をふぅっと吹き払った。

 今しがた、小ぶりの枝に開けた穴を目に近付け、中に屑が残っていないか覗き見る。暗い小さな穴の先には、淡色のよく晴れた空が、ぽっかりと円を描いていた。

 彼は、枝を目から離すと、先を口にあてがい、穴に息を吹きいれた。ピュイーと乾いた音が鳴る。単純ではあるが、詰まりのない、よくとおる音だ。

 音の出を確かめた実己は、「まぁ、大体こんなものだろう」と、二、三、ぽんぽんと手の内で、できたばかりの笛を弾ませてから、握りしめる。ふむ、と一人頷いた後、落とさぬようにと、笛を懐にしまった。

 細工道具を片づけてしまうと、実己は、伸びをして立ち上がった。あばら屋と言っても何らおかしくはない粗末な家の軒下には、切り分けていない粗朶そだがこんもりと盛られたままになっている。それは、実己が昼間に山へ分け入って、薪用にと、枝打ちしてきたものだった。

 山から帰って来た彼は、火にくべる為の粗朶を、鉈で程良い大きさに切っていたのだが、その最中、笛にするのに手頃な太さの枝を見つけてしまったのだ。

 笛は、子どもの頃によく作っていた。簡単なものならば、まだ作ることができるだろう。

 仕事が終わったら、久しぶりに笛を作ってみようか、と思い立った実己は、けれども、採ってきた粗朶を全て切り分けたところで、ついつい笛づくりに手を出してしまい、そのまま今まで熱中してしまっていたのである。

 陽は、中天より大分西へと傾き始めた。

 そろそろ、ほったらかしにしていた残りの粗朶を紐で縛る作業を再開しなければならない。実己は、粗朶と共に採ってきた蔦を丹念に曲げて柔らかくし、丈夫な紐とすると、手際良く粗朶を分け、端から順に紐でくくっていった。

 実己が、手を止めたのは、家の先から少女の呼び声が聞えたからだ。

 彼は、曲げていた腰を伸び起こすと、口元に片手を添えて、彼女を呼びやった。

「こーう、こっちだ。裏にいる」

 間もなく、家の角から、髪を一つに結えた少女がひょこりと顔を出す。「実己!」と言いながら走り寄ってくる紅の方へ、実己は自身も大股で歩み寄ると、「ちょうど良かった」と相好を打ち崩した。

 紅は、翳った光りに、立ち止まる。

「何が、ちょうど良かったの?」

 きょとりとした顔で、こちらを見上げてくる紅の前へと、実己はしゃがみこんだ。

「あのな、いいものがある」

「いいもの?」

 ああ、と実己は首肯する。当然ながら、少女には彼の所作が見えはしなかった。しかし、彼が懐を探る音に、彼女は耳を傾ける。

 実己は、懐から取り出した笛の歌口を、そっと紅の唇に触れさせた。紅は驚いて、顎を引く。

「くわえてみ?」

「これって、食べ物なの?」

 紅は、言われたとおりに、あてられた笛を口に含み、カキリと噛む。木の皮のような味しかしない。少女は、片手で、口元から笛を取り出すと、言った。

「硬いね。おいしくは、ないよ?」

 むむむ、と顔をしかめた紅に、実己は笑った。

「紅。笛は食べられないんだぞ」

「これは、笛? 笛は食べられないの?」

「そうだ」

「じゃあ、笛はどうして口に入れるの?」

「そういう遊びだからだ」

「分からない。難しいよ。だって、これ遊びなら、楽しくないよ」

「うん。まぁ、吹いてみろ。息をふぅって。そうしたら、笛が何かすぐに分かるから」

 実己が見守る中、紅はもう一度、笛を口にくわえると、疑わしそうに息を吹きいれた。ピュイと、少女が吹きいれた息の分だけ、音が鳴り響く。それは、何とも頼りない調べだった。

 だが、紅は、笛の音が聞こえた途端、ぱっと顔を輝かせた。

 管の中を通り抜ける息は、笛を持っている指先を震わせて鳴る。

 今度は強く吹きこんでみた。音が指を伝って、ピュッとひときわ高く鳴り渡る。長く吹けばピューと。

 息を吹き込むたびに、細く小さな笛というものが身震いするように振動を指先に伝え、異なった音色をつくりだすことに気付いた少女は、『すごい』と思った。

「すごいね。実己。音がする。笛、楽しいね。笛、すごい!」

 紅は手にしっかりと笛を握りしめて、すごい、すごいと繰り返す。ピュッと笛を吹いては、嬉しそうに、ぴょんぴょんと跳ねた。

 実己は地に胡坐をかいて、紅が喜んでいる様を、満足そうに目を細め、眺める。

 その時、彼は、笛を握っている方とは別の方の少女の手にも、何かが握られているらしいということに、ようやく気が付いた。黒く色づいた板のようなものが、小さな手から覗いている。

 実己は、首を傾げた。

「紅。それ、何を持っているんだ?」

「笛!」

 紅は、くすくすと笑いながら、笛を持っている方の手を突き出す。

「うん、笛の方じゃなくて、もう一つの手の方な」と、実己は紅の手を取って、解き開いた。

 果たして、少女の手の中から現れたのは、一枚の櫛であった。

 いくらか傷はついているものの、櫛の表面に描かれているつがいの蝶と水紋の絵柄は、見目鮮やかであり、消えてはいない。丁寧に漆が塗られている櫛は、艶として滑らかだ。

 見るからに高価そうな漆塗りの飾り櫛など、この家では見かけたことがない。ならば、紅がどこかで拾ってきたのだろう。

「これ、どうしたんだ?」

 実己は、紅の掌に櫛を乗せたまま、指でこつこつと叩いて、彼女に示した。

「河に落ちてたよ」

「へぇ」

 ならば、どこかからか流れ着いたのか。彼は、女物の櫛を見ながら黙考する。

 実己の問いに、何故家に戻ってきたのかを思い出した紅は、続くであろう言葉を待った。

 一度思い出してしまうと、気になって仕方がない。にもかかわらず、実己が一向に答えをくれそうにないので、紅は「実己、実己」と気を急かして彼に尋ねた。

「何だろうと思って。だって、これ変だから、実己に何か聞こうと思ったの」

「変?」

「知らないよ。こんなの」

「ああ、なるほどな」

 実己は、理解した。うずうずとした様子の少女は、これが何であるのかを早く知りたいのだろう。

 紅の髪は、朱の髪紐で、一つに結えてある。実己は、毎朝、彼女の髪を梳いて結えてやってはいるのだが、それも己の手を使って、簡単に整えている程度であった。故に、彼は、この少女が“櫛”というものを知らないのだろうと考えた。

 実己は、再び、飾り櫛の上から紅の掌を人差指で押しやって言った。

「これは櫛だ」

「櫛?」と、紅は怪訝そうに、繰り返す。

 けれど、彼女はしばらく考えてみせた後「違うよ」と、実己の言葉を否定した。

「違うよ、実己。だって櫛は、こんな形じゃないよ。こんなに丸くないもの。もっと細長くて、まっすぐで、角があったよ」

「ああ、うん。そういう櫛もあるよな」

 なんだ、櫛は知っていたのか、と実己は長方形の飾り気のない櫛を思い浮かべながら、少女の言葉に相槌を打った。

「それと同じものだ」

「どこが同じなの? 全く違うよ」

 だって、ほら、と、紅は掌に載った半月型の櫛の弧の部分を指先でなぞった。

「だって、まっすぐじゃないよ。曲がってるよ。同じじゃないよ」

「うん、まぁ、曲がってはいるんだけどな……」

 はてどう言ったらよいものか、と実己は苦笑を口にのせる。

「こーう?」と、彼は、少女を呼んだ。紅は、半円の櫛をなぞり続けていた手をぴたりと休め、決して光りの宿らぬ目で実己の顔を正確に見る。

「じゃあ、紅はその櫛をどうやって使っていたんだ? その櫛は今、どこにある?」

 紅は、じっと考え込んだ。だが、考えても分からぬので、口を開く。

「どこにあるのかは分からない。母さんが持ってたよ。櫛は髪を梳くものなの。母さん言ってた、櫛で髪を綺麗にする」

「こうやって?」と、実己は、紅の掌から櫛を摘まみ取ると、少女の前髪に櫛の歯をあて、梳き滑らせた。

 幾つもあるちくちくとしたものが、けれど、痛みを伴うことなく、額の上を優しく降りていく。 『ああ、櫛だ』と紅は思った。

 実己の仕草は、今は亡き母に、よくしてもらっていたことに至極似ていた。櫛を髪に通す時、母がしゃべることはほとんどなかったが、膝に抱えてもらっていたことも覚えている。髪を通っていく櫛の歯が、もぞもぞとくすぐったくて、紅はそれが嬉しかった。

「同じだ……」と少女はぽつりと呟く。

「な。形が違うだけだ」

 実己は、少女の頭の頂点を撫ぜると、笛が握られていない紅の手を取って、櫛を返した。

 彼女は、きゅっとそれを握りしめる。手の内に当たった、櫛の歯の感触がやはり嬉しくて、自ずと笑みが零れた。

 実己、と紅は両手に収まっているものをどちらも大事そうに持ったまま、彼の方へ両腕を伸ばした。実己は、紅の脇の下に手を差し入れると、彼女を抱き上げて、己の膝の上に載せる。

 紅は両拳で、彼の顔の位置を確認する。わさりと揺れた、実己の口元を覆い隠す髭に、紅はけたけたと声を上げて笑った。

 対する実己は、「……痛い」と顔をしかめる。あろうことか、紅は櫛で髭をけずり始め、絡まった櫛の歯に、思い切り髭を引っ張られたのである。

「梳くなら、髪の方にしてくれないか」

「だって、髭の方が面白いよ」

「……まぁ、いいんだけどな」

 実己は諦めて、少女のさせたいようにさせることにした。

 穏やかに流れた風には、粗朶を切り分けた時に出た木屑が辺りに散らばっているせいだろう、雨上がりの森に似た木々の濃い匂いが混じっていた。

 朱紐の先と共に、束ねた少女の黒髪もそろりと風に揺れる。実己は、紐で結んだだけの紅の髪束を己の掌に載せて持ち上げた。

「それにしても、結い方が分からないのは、残念だなぁ」と、独り言を漏らす。

 傷があるとはいえ、せっかくの上物なのだから、ただくしけずるだけよりも、髪に飾った方が、映えてよいだろう。だが、肝心の櫛を飾るに至るまでの行程が分からない。

 溜息にも似た響きに、紅は髭を梳いていた手を止めると、彼の肩の上に添え置いた。

「実己は、どうして残念なの? 私の髪はもう結えてあるよ」

「ん? だって、その櫛はな、とっても良いものなんだぞ。髪を整えるだけじゃなくて、この紐で結んでいるように、髪を纏めて留める飾りにだってなるんだ」

 すごいだろう? と実己は言った。「すごいねぇ」と紅は返す。

「これはとっても良いものなの?」

「ああ、とっても良いものだ」

「本当に?」

「本当に」

 実己が頷くと、紅はにぎにぎと手の内で櫛の感触を確かめだした。それから、彼女は、実己へと櫛を差し出す。

「なら、これ実己にあげる」

 しばしの間、沈黙がその場に落ちた。紅の表情ばかりではなく、口調にまで、期待に満ち溢れている。しかし、女物の飾り櫛をもらってもどうしようもないというのが正直なところであった。実己には使い道など、とんと思いつかない。

「あー……」と、実己は、困り果てて言葉を探した。

 漂う空気に、何かを感じとったのだろう。紅の表情が不安そうに曇る。目が見えぬ分、少女は周囲の変化にことのほか敏かった。

「……この櫛は良いものではない?」

「…………ああ、良いものなんだけど、な」

 見上げてくる透き通る茶の双眸に、実己は目線をさまよわせる。それから、彼は、少女に視線を戻すと、彼女の手上から、仕方なく櫛を受け取ったのだ。

 こうして、実己は、紅から、使いどころのない櫛を譲り受けることとなった。

 何もなくなった空の掌を、繰り返し握ったり開いたりしながら、紅はみるみるうちに笑みを広げる。

 嬉しさを抑えきれなかったのか、紅は実己に飛びついた。

 きゅっと首に抱きついてきた存在に、実己は目を綻ばせると、「はいはい、ありがとうな」と言って、彼女の背を軽く叩く。「けど、紅」と彼は、自身の耳元で、くすくすと笑い続けている紅へ話しかけた。

「せっかく拾ってきたのに、持っていなくて良かったのか?」

「だって、私より、実己の方が櫛は使うでしょう?」

 紅の発した言葉の意味を解することができず、実己は「ん?」と固まった。どこからどう考えても、用途が多いのは紅の方である。まさか、毎日髭を梳き整えろと言いたいのだろうか、と彼は首を捻った。

「……紅の方が使うんじゃないか?」

「だけど、私、櫛を使ったのは初めてだったよ? いつも使ってないよ?」

「だが、髪を結う時にあったら便利だろう」

「でも、私、髪は結べないよ。いつも、実己の手が結んでるよ」

 言われてみれば確かにそうだ、と実己は頷いた。この家の櫛がどこにしまわれているのか知らなかったので、彼は朝になる度に、己の手櫛で、寝癖のついた紅の髪を梳いてから、朱紐で結んでやっていたのである。それは、もう幾度も繰り返した末に、習慣となっているものだった。

「じゃあ、もっと大きくなったら、必要になるんじゃないのか?」

「じゃあ、大きくなったらいる?」

「いるって聞かれてもなぁ……」

「私は、櫛がなくても嬉しいよ? だから、私、櫛、いらない。櫛、良いものなら、実己は嬉しいでしょう? 実己、嬉しいのも嬉しいよ?」

 紅は、実己の肩に頬を擦り寄せた。実己は、思わず噴き出す。

 横腹が痛くなるほど笑った彼は、「そうだなぁ」と、薄くたなびく雲を抱えた青い空を見上げた。

「なら、紅の櫛は、紅がいつか大きくなって、誰かに嫁ぐ時にでも、買ってやろうな」

 紅にやるなら、彫り物がしてあるつげの櫛が良いだろう。できるだけ細かい、できるだけ綺麗な彫刻がなされているものが良い。さて、そんな日はいつやって来るのだろうなぁ、と彼は夢想する。

 けれども、当の少女は、実己の肩から顔を上げると、きょとんとした顔を彼に覗かせた。

「じゃあ、嫁ぐ時に、櫛を買ってくれるの?」

 紅の問いに、実己はしかと頷いて、請け負う。

「ああ、任せとけ。とびきり綺麗なのを買うからな。この櫛よりも、うんと良いものを」

「……でも、実己、嫁ぐって何?」

「んー? 紅が好いた者と一緒になることだ」

 それなら、と紅はとんとんと実己の肩を叩いた。少女は無邪気にうち笑い、彼に告げる。

「私は、実己が好きだよ。もう一緒にいるよ」

「まぁ、その好きとは違うだろうな」

「違うの? 分からない。難しい」と紅は、眉根を寄せた。

「まぁ、いつか分かるんじゃないか?」

 実己は笑う。

 けれど、彼の答えは、紅にとっては答えとして受け入れられなかったようだ。何ら解決しなかった疑問を抱えて、紅は、ぽてりと頬を実己の肩に載せ「難しい、分からない」と不満そうに繰り返す。

「分からないことがあるのも悪いことではないぞ?」と、実己は宥めるように、紅の小さな背をぽんぽんと撫であやした。

 風に揺すられて、家がみしりみしりと音を鳴らす。大風が吹いた日には、あっという間に壊れてしまいそうだ。

 紅は、最後にまた「難しい」と呟くと、手にしていた管に、風を送った。

 ピュッと鋭い音が出る。

「うわっ! 待て、紅。耳元で吹くな」

 慌てて耳を覆い、身を引いたらしい実己を感じて、紅はけたけたと笑いながら、再び、歌口に口をつけた。

 紅が、吹きこんだ分だけ、ピュイーピュイーと笛の奏がかき鳴らされる。

 強弱だけが変化する単調な笛の調べは、高く、高く、空に吸い込まれていった。

 実己は、耳を手で塞ぎながらも、飽きることなく続く笛の音を聞いていたのだ。

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