第70話《隠神様》-05-
アタシの名前は椎名ユヅキ。
隠神村という山と川しかない超ド田舎に住んでいる友達のいない根暗な性格の高校一年生だ。
一週間前。
どういうわけか、ハツナはチヒロに宣戦布告をした。
チヒロのことが気に入らなかったのか。なんなのかわからないけど。
ハツナは転校初日から。
敵に回してはいけない人を敵に回した。
何考えてるんやろうこの人。
って思った。
あのままチヒロたちと仲良くしていたら、クラスで浮くことなくそこそこのポジションを確立することはできたやろうに。
なんであんなことやったんろう。
わからへん。
アタシには理解できへん。
そして今も。
理解できへんことがもう一つ。
ハツナの机の上に掘られた落書き。
それを見たハツナの様子が変わった。
「若菜さん」
低い声色でハツナはつぶやく。
「え? なに?」
「これ……若菜さんじゃないよね?」
ぞくっと寒気が走った。
ハツナがチヒロを見つめている。
普通の目つきじゃない。
ライオンとかトラみたいというか。
両眼に殺気がみなぎっている。
「え、ちゃうよ?」
「ほんとうに?」
ハツナがチヒロに詰め寄った。
へらへらと嘲笑うチヒロの表情が、だんだんと強張っていく。
「な、なんなん?」
チヒロの声が震えた。
「そっか。わかった」
無表情のままハツナはいった。
教室に先生が入ってきた。
「お前らさっさと座れ。HR始める……」
先生はハツナの机の落書きに気づいた。
「小島。それどうした?」
「すみません、先生。ノートに書いたつもりが机に書いてしまったみたいです」
「書いたつもりって、何言ってる。どうみたってそれは」
ハツナが先生を見つめる。
先生は口黙った。
「とりあえず、放課後職員室に来い」
そう先生はいうと、HRを始めた。
「なんやねん。あいつ!」
一限目が終わった休み時間。
一階女子トイレにて、チヒロはブチギレていた。
「都会から越してきたなんかわからんけど、ほんまけったくそ悪いわ!」
「チヒロちゃん落ち着いて」
「やかましいわ!」
チヒロの罵詈雑言の数々。
個室トイレの扉の外からも聞こえてくる。
出られない。
このタイミングで出てしまったら、間違いなく八つ当たりされてしまう。
最悪や。
なんでこうなるんや。
うちの学校のスクールカーストは、隠神村の家柄によって決まっていく。
若菜の家は隠神村の中でも屈指の有力家だから、必然的にチヒロがクラスのトップになる。
そのスクールカーストのトップのチヒロの神経を逆撫でするなんて、何を考えてるんやろう。
刑部の家も有力家ではあるのは変わりないけど、ハツナは血縁者じゃなくて居候の身分なのだから、ぶっちゃけ関係ないはずなんやけど。
わからん。
ほんまに何が目的なのかが、わからんわ。
「……なんや。まだウチに因縁つけにきたんか」
誰かが女子トイレに入ってきた気配がした。
チヒロの声のトーンから、それが誰なのか察することができた。
「別に。ちょっと聞きたいことがあってさ」
ハツナの声が聞こえた。
不穏な空気がこちらにまで漂ってくる。
もう勘弁してや。
アタシを巻き込まんといてほしい。
「このマーク、知ってる?」
「あんたなぁ。自分の立場がわかった上で聞いてるんか? 何様のつもりや」
「どっちかだけ教えて欲しいの。知ってるの? 知らないの?」
「話聞いとんのか? それが人にもの尋ねる時の態度か!」
がきっ!
壁かガラスのような。
硬い物体が砕ける音が響いた。
びっくりした。
え、なに?
なにが起こったん?
アタシは体を屈ませ、個室トイレのドア下の隙間から外の様子を覗いた。
ハツナらしき足が見えた。
その周りには。
細かい鏡の破片が散らばっていた。
「ぐちぐちうるさい。知ってるか知らないかだけ答えて」
床に散らばった破片の上に、ぽたぽたと赤い血が滴っていた。
チヒロの両足が、ハツナの気迫に押されている動きをしている。
「あんたが【蛆神様】のこと知らないってなら、それならそれでいいの。ねぇ、どっちなの? 知ってるの? 知らないの?」
「うちが知るわけないやろ! こんな気色悪いマーク! なんや、あんた頭おかしいちんちゃうの?!」
「そう……なら、よかった」
「え……ええか?! 刑部の家に世話になっとるかわからんけど、あんたはよそもんや! 調子乗るなよドアホ! 行くでみんな!」
けたたましくチヒロはハツナにまくし立てた後、取り巻きたちと一緒に女子トイレから立ち去って行った。
ドアの隙間を覗くと、ハツナの両足だけが見える。
そっとあたしは扉を小さく開けた。
「いったた。染みる」
ハツナが割れた鏡の前で手を洗っている。
手を深く切ったのか、洗面台にたまった水が真っ赤に染まっていた。
「あ、あの……」
つい声をかけてしまった。
このままハツナがトイレから出て行くの待ってから出ればよかったのに。
なにやってるやろ、アタシ。
「椎名さん?」
驚いた顔でこちらをハツナが振り向いた。
ハツナの大きな眼が何度も瞬きする。
と。
ふっと、力が抜けたゆるい表情となり、「あーあ」と小さな声でぼやいた。
「嫌なところ見られちゃったね」
「大丈夫?」
「ああ、うん。まぁ弁償しないとだよね。机も合わせて結構するよね。どうしようか」
いやいや、そこちゃうって。
「あんな啖呵切って。大丈夫なん?」
「何が?」
「いや、チヒロ……若菜家の人にあんなケンカ売って、大丈夫なんかなって」
「心配してくれてるの?」
「うん」
ふーっとハツナは息を吐いた。
「そうだよね。あたしも自分で馬鹿なことしてるなって思ってるんだよね」
「え、そうなん? じゃなんで……」
「さぁ、わかんない。性分なのかも。長い物に巻かれろ的なことができないのかもね」
ハツナは手についた水を払い、ハンカチで拭き始めた。
ちょ、ちょっと!
血まみれの手で拭いたらハンカチ汚れるで!
ってアタシが言おうとした。
「どうしたの?」
ハツナが眉を上げてこちらに振り向く。
ハンカチが汚れていない。
それどころか。
「傷……大丈夫?」
「ん? ああ、血が止まったみたい」
違う。
血が止まったとかじゃない。
鏡を殴って割った手の『傷』がなくなっている。
どういうこと?
さっきたしかに傷があったのに、なくなるなんてことあるの???
「あ、やば。次の授業始まる」
ハツナがいうと、チャイムが鳴った。
「椎名さん、先戻るよ」
ハツナが軽く手を振り、女子トイレから出て行った。
さっきの。
アタシの見間違いやろうか?
いや、でも。
間違いなく傷はあったはずや。
わけがわからへん。
アタシが首を傾げていると、誰かの視線を感じた。
割れた鏡の跡。
タイルが剥き出しになった壁に、なにかの『記号』が描かれている。
毛がたくさん生えた不気味な丸記号。
なんやこれ。
今まで見たことのない気色の悪いデザインやな。
そう思った。
すると。
壁に残った鏡の破片の隙間から、うねうねと白くて小さな物体がすり出てきたのは。
これ。
まさか。
蛆?
それがわかった。
瞬間。
割れた鏡の内側から、うじゃうじゃと一気に蛆が湧き出てきた。
アタシはその場で悲鳴を上げた。
続く
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