第60話《鯉ダンス》-六-
あたしの名前は小島ハツナ。
不死身のバケモノ『コイ人』に追いかけられているマチコさんとお母さんを助けるため、コイ人を操作するトモミをどうにか止めようと奮闘する高校一年生だ。
カラオケボックスの女子トイレ。
個室トイレの扉を開け、便器に向かってトモミは盛大に吐き出した。
ロング缶の一気飲みはきつい。
お酒に飲み慣れていないだろうし、あの量だ。アルコール耐性が強い人じゃなければ、こうなるのは当然だろう。
あたしはトモミの背中をさすりながら、「しっかり」と声をかけた。
「ありがどう、ハツナ」
ぺっ。
トモミは口の中に溜まった唾液を便器に吐き捨てた。
あたしは周囲を見渡す。
今。
女子トイレにはあたしたち以外いない。
チャンスだ。
トモミにコイ人を止めさせるには今しかない。
しかし。
どうやって?
口で説得するにも。
まずトモミにコイ人をマチコにけしかけている事実を『認めさせる』必要がある。
「マチコさんとお母さんにけしかけている『コイ人』を止めて!」
たとえばストレートにあたしがそう要求したとして、トモミはどう返すか。想像は容易だ。
「はぁ? なんの話?」
物的証拠もないし、そもそもマチコのことを知らないとシラを切られればどうしようもない。
だから認めさせるんだ。
トモミが『コイ人』を操作していることを。
「あのさ、トモミ」
「マジ気持ち悪い。最悪だよ」
トモミは立ち上がり、あたしに背を向けたまま手洗い場に移動した。
「久々に遊んでこうなるなんてね、ムチャするもんじゃないね」
「トモミ、話したいことがあるの」
「でも、たまにはいいよね。部活で忙しくなるとこうやって遊ぶことなんてほとんどなくなるし、親友に近づくあのオンナを遠ざけることもできるしね」
トモミは鏡越しからあたしを見つめる。
「ハツナ。あたしが『コイ人』を使ってあのオンナを殺すには理由があるの。今は理解されないだろうけど、いつかきっとわかってくれる」
「お母さんもいるの!」
「え?」
トモミは目を開き、こっちに振り向いた。
「やめて、トモミ。マチコさんもお母さんも関係な……」
目を開いたまま、トモミがこっちに歩み寄ってくる。
あたしの右手を掴み、肩を掴む。
そのままあたしの体を押し進ませ、壁に背中をぶつけた。
「え、トモミ?」
トモミの右手には細長く尖った金属の物体を握っていた。
マイナスドライバー。
その先端があたしの左眼に突き刺さった。
「へ?」
気がつくと、あたしはトイレで横たわっていた。
何が起きたのか、まるでわからない。
立ち上がろうにも膝に力が抜けて立てないし、右手の感覚もほとんどない。
「こんなこともあろうかと思って、あたし用意してたのよね」
トモミはスカートのポケットからプラスチックの容器を取り出し、床に投げ落とした。
『催吐剤』
そう容器のラベルに書かれていた。
「一気飲みの時、こっそり飲んでたのあたし。おかしいと思わなかった? 飲んでいきなり吐くとかありえないっしょ?」
トモミの顔色は普段と同じピンク色だった。
酔っている形跡はない。
素面そのものだ。
「あと人間の骨ってね、頑丈にできてるけど、テコの原理を使えばあっという間に折ることできるの知ってた? 教えられた通りにやっただけなんだけど、こうも簡単にできるなんてあたしも正直びっくりだよ」
トモミはあたしの顔を掴むと、左眼に刺さったマイナスドライバーを一気に引き抜いた。
左眼窩から血が噴き出た。
噴き出た血の中から、白い小さな物体。うねうね動く『蛆』が混じっている。
「ハツナ。ごめん。あんたを傷つけたのは謝る。だけど、あんたの体をそんな風にしてしまったのは、すべてあのオンナが原因なの」
血のついたマイナスドライバーを投げ捨て、トモミはあたしから離れていく。
「あのオンナが始末されるまで、あたしを追いかけないで。おばさんが巻き込まれたのは気の毒だけど、全部あんたのためだから! いつかわかってほしい!」
トモミはそうあたしに言い残すと、女子トイレから立ち去った。
あたしは上半身を起こし、どうにか立ち上がろうと腹に力を入れる。
右足が曲がったらいけない方向に曲がっていて、右腕に関節が一つ増えていた。
追いかけなきゃ。
あたしは壁を掴みながら、左足一本で立ち上がった。
どれくらいのスピードだろうか。
たしか刺し傷だと五秒程度。
骨折だと一分くらいかかる時もあるって、121回目のあたしのノートに書かれていた気がする。
トモミのいうとおり。
最悪だ。
まさか親友から刺されたり足と腕の骨を折られるなんて、夢にも思っていなかった。
「自分から遊びに誘っておいてドタキャンとか絶対やっちゃいけないことなんだよ……」
そうあたしは独り言を呟き、体を引きずりながら女子トイレから脱出した。
続く
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