第55話《鯉ダンス》-壱-


 私の名前は刑部マチコ。

 喫茶店で鯉頭の大男に襲われている二六歳の探偵だ。

 これまでの経緯は。


 【1】小島ハツナと名乗る老婆から『自分を調べてほしい』という依頼の電話を受ける。


 【2】老婆の正体が121回以上も同じ時間軸をループしている人間だとわかり、ループしている原因が【蛆神様】と呼ばれる怪異が関係していたことがわかった。


 【3】121回目の小島ハツナから、122回目の自分を守ってほしいという遺言を受け、真実を122回目の小島ハツナに私から話した。


 【4】小島ハツナの母親と会って話していた喫茶店で、鯉頭の巨漢『コイ人』に襲われる。


 っという流れだ。

 あらためて整理して思ったこと。

 意味がまったくわからん。

 なぜこうなった。

 と、私は冷静かつ客観的に感じた。


「ぐるぅあああ!」


 コイ人が中華包丁を垂直に振りかざし、私の脳天目掛けて振り落とした。

 中華包丁は床に突き刺さる。

 私は気絶したハツナの母親を抱え、出口から脱出しようとする。


「お客様……お会計が済んでませんよ」


 店員が背後から声をかけた。

 私は店内を見渡す。

 店内にいる人間全員が、こちらに顔を向けている。

 全員、両眼がぎょろぎょろ動いている。

 これがそうか。

 121回目の小島ハツナのノートに書かれていた『何者かに操られた時の眼』になっている。

 敵は。

 すでに私たちの周りを取り囲んでいた。

 そういうことだ。


「があっ!」


 床に刺さった中華包丁を引き抜いたコイ人が、再度私の頭目掛けて襲ってきた。

 私はポケットから引き抜いたスプレー吹きかけた。

 対暴漢用トウガラシスプレー。

 コイ人の濁った黒目に思いっきりぶっかけてやった。

 コイ人が顔を抑えて絶叫する。


「領収書切ってくれる?」


 近くにいた店員に私は一万円札を手渡した。


「宛名はどうなさいますか?」


 店員はレジカウンターに移動し、カウンター内にあるボールペンを片手に持った。


「刑部探偵事務所で。刑部のぎょうは刑事の刑で。釣り銭と領収書は後で取りにいくわ」


「かしこまりました」


 私はハツナの母親を担ぎ、喫茶店を脱出する。

 まったく。

 困ったことになった。

 私は助手席にハツナの母親を乗せ、キーを回す。

 小島ハツナは、何らかの理由で高校一年生を121回も繰り返している。

 121回。

 繰り返される時間。

 いわゆるタイムループ。

 どうして、そんなSFでメルヘンファンタジーなことに彼女が巻き込まれたのか。

 原因は【蛆神様】だ。

 おそらく。

 誰かがハツナの時間が繰り返すように、《お願い》をした。

 その誰かはハツナは知らない。

 121回繰り返して。

 ハツナはその【誰か】を探している。

 そうハツナのノートに書かれていた。

 121回の記録。

 これから起こること。

 誰がどういった形でハツナを襲うのか。

 そして。

 ハツナの身体に何が起こったのか。

 すべてわかった。

 私はただその記録ノートを読み、122回目のハツナに忠告しただけだ。

 問題はここから。

 ここからが重要だ。

 その121回繰り返される時間で。

 ハツナが私に会ったことはない。

 高校一年生のハツナに私が会ったのは、122回目が初めてだ。

 つまり。

 ハツナの記録ノートには、これから私の身に何が起こるかは書かれていない。


「う…ん」


 車を走らせて三〇分。

 助手席のハツナの母親が目を覚ました。


「ここは?」


「私の車です」


 赤信号になり、私はブレーキを踏む。

 ハツナの母親は額を抑え、呻き声を漏らした。


「どうして車に?」


「すみません。説明はあとでします」


 ナビの画面から電話モードに切り替え、ハツナのスマホに電話した。


「も、もしもし?」


「ハツナ。私よ」


「マチコさん? あの、今、あたし授業中なんですけど……」


「いいから聞いて。今、あなたの近くに『大原トモミ』はいる?」


「トモミですか?」


 ハツナが「トモミがどうしたんですか?」と訊いてきた。


「さっき。私たちは『コイ人』に襲われたわ」


「え? 私たち?」


「ハツナ……なの?」


「お母さん!?」


 ハツナの声が裏返った。


「マチコさん! どうしてお母さんが?!」


「落ち着きなさい。こっちは大丈夫だなら。でも、いい? もう一度いうわ。『大原トモミ』に『コイ人』を止めるようにいうの。頼んだわよ」


 私は電話を切った。

 まずいな。

 これは想像した以上にまずいことになった。

 車が発進できない。


「あ、ああ」


 ハツナの母親が顔を真っ青にして怯えている。

 ルームミラーに男が映っていた。

 瞳のない黒い目が、ぱくぱくと口を上下に動かしてこちらを見つめている。

 鯉の頭。

 コイ人が、私の車の後輪部分を持ち上げようとしていた。


「あ、足が速いのね。あの人」


 震えた声でハツナの母親はいった。

 そこじゃねーだろ。

 驚くところは。

 そう私は心の中でつっこんだ。


続く

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