第14話《海釣り》


 あたしの名前は小島ハツナ。

 たまに父親の趣味である海釣りに付き合うこともある高校一年生だ。

 

「最近、学校はどうだ?」


 晴天の昼下がり。休日にお父さんはあたしを連れて隣県の海岸に連れてきてくれた。


「ぼちぼちかな」


「彼氏はできたのか?」


「んーん」


 ロッドを握るお父さんは、海を見つめたまま「そうか」とつぶやいた。

 お父さんは無口な性格で、普段家でもあまり喋ろうとしない。でも、海釣りで魚を待っている時はいつもよりお喋りになってくれたりする。

 こういう場じゃないと喋る気がしない。前にお父さんがあたしにそういったことがある。

 お父さんは、人が大勢いる前だと自分の声が通らないから黙っていることに決めているそうだ。

 お父さんと過ごすこのまったりとした時間。あたしはそんなに嫌いじゃなかったりする。


「おや、小島さん。いらっしゃったのですか」


 帽子を被ったおじさんがお父さんに挨拶をした。

 おじさんは肩に背負ったクーラーボックスを地面に置くと、あたしに会釈する。


「娘さんですか?」


「ええ」


 お父さんはあたしに「同僚の木崎さんだ」といって紹介してくれた。

 あたしが「初めまして。小島ハツナです。父がお世話になっています」と挨拶すると、木崎さんは「いえいえこちらこそ」と笑顔で返してくれた。


「釣りが趣味だと伺っていましたが、海釣りなんですね」


「ええ、まぁ」


 木崎さんが現れてから、途端にお父さんの表情が固くなった。いつも仕事に行く時のお父さんの顔だった。


「お隣よろしいですか?」


「どうぞ」


 折り畳みの布の椅子を広げ、木崎さんは腰を下ろすとロッドを振った。


「いい天気ですな」


「ええ」


「娘さんと一緒に海釣りとはなかなか羨ましい。息子も昔はついてきてくれたこともあったのですが、今じゃからっきしでしてね」


「はぁ」


 仏頂面でお父さんは相槌を打つ。

 愛想ゼロ。むしろ、こっちに干渉してくるなオーラを全開にしている。

 木崎さんはそんなお父さんのつっけんどんな態度をまるで意に返さず、「調子はどうですか?」と、積極的に絡んでいた。


「いやぁー、しかしあれですな。最近の新入社員のメンタルの弱さときたら困り者ですなぁー」


 お父さんは返事をせず、水面を凝視している。

 木崎さんがあたしの方に振り向いた。


「ハツナちゃんは大学生かい?」


「高校生です」


「おや、そうなのか。これは失礼」


 初対面の人にはよくいわれる。

 もう慣れっこだ。


「まだ会社員になると決まってないだろうけど、おじさんからアドバイスだ。会社の上司に怒られたからってすぐ逃げださない。これ大切だよ」


「逃げ出す?」


「信じられないだろうけど、最近の二〇代はちょっと叱っただけで会社に来なくなる奴ばかりだ」


 木崎さんは買ってきたであろうカップ酒の蓋を開け、ゆっくりと喉に流し込んだ。


「昔みたいに殴ったり怒鳴るならまだしも、仕事のミスを指摘しただけで会社に来なくなる。この前だって小島さんがどうにかしてくれたからよかったものの、大惨事になるとこだったんだから」


「木崎さん。仕事の話はやめましょう」


 お父さんが静かに窘めた。

 しかし、酒が回ってきたのか、すっかり顔が赤くなった木崎さんが「いいじゃないですか」と声をあげた。


「隠すことないですよ。あいつ誰でしたっけ? 小橋? 小林? 忘れちゃった。とにかく、こばなんとかって若い男。土日出勤が嫌だって俺にいうもんだから、土日何するんだ?って聞いたら、サーフィンをしたいってほざきやがったんだ」


 酔いが大分入ったのか、木崎さんの口調がだんだん荒くなってくる。


「俺はいったよ。サラリーマンなめんなって。そしたらそいつなんていったと思う? みんなの前でベソかいて、【蛆神様】にお願いして《魚になって会社辞めます》ってほざきやがった」


 全く信じられないぜ。木崎はそうぼやくと、ぐびっとカップ酒を一口煽る。


「最近の若い奴の間で流行ってるのかね。やれ山に行ってウサギになるとか、鳥になって北陸横断するとか。バカじゃねぇの」


 悪態混じりの愚痴を吐く木崎が、何かに気づいて海に顔を向けた。

 お父さんの浮きが海面奥に沈んだ。

 ぐいっとお父さんのロッドが急や角度で曲がる。

 お父さんは目を開き、ロッドを両手で強く握った。あたしに向かって「網を用意しろ!」といった。

 あたしは足元に転がしている網を手に取る。

 徐々に強い水飛沫を上がっていき、ルアーにかかった獲物の全容がわかってきた。

 釣り糸の先を見て、あたしとお父さんは無言になった。


「へぇ、こんなところにいたか。こばなんとか」


 網で掬ったのは、人間の顔の魚だった。

 ぱくぱくと魚らしく口を上下に動かし、体の両側に生えたカエルのような短い手足がぴくぴくと動いている。


「戻してぇ戻してぇ」


 魚がこっちを見て、悲しそうな声で懇願してきた。

 お父さんは魚からルアーを外すと、そのまま海に投げ返した。


「もったいない。素焼きにしたら美味かったのに」


 木崎はそうつぶやくと、カップ酒を一口煽った。

 お父さんはあたしにいった。


「帰るぞ」


 あたしはお父さんの後を追いかけた。


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