第三話 モブキャラの露木陽也にラブコメは起こらない 後編

 何の変化もない日常を送る僕は朝、いつも通りに登校し、自分の教室へ入る。すると僕の存在に気付いたクラスメイトからの視線が向けられる。これは久瀬君とゲームの話をしてから向けられるようになったが、直ぐに興味を失せて友達と談笑する。ただ一部の女子から誰が受けか、誰が攻めか、ひそひそと話し声が聞こえる。うん、何のことかは僕気にしない。

 久瀬君との事でやっぱり少しだけ変化のある日常だった。まあ特に気にする事がない些細な変化ではあるけど。

 僕は席に着く。当然、僕の席に来る友達はいない。


「…………」


 何だから虚しいのでいつもの読書時間に入ろう。その前に僕は一度だけ久瀬君の席を確認する。まだ久瀬君は登校してないようだ。しかし、一度の会話で友達……というのはまずあり得ないだろう。久瀬君も同情で僕に話しかけただけなのだから。


(あ、久瀬君から手紙を受け取るの忘れてたな)


 ただ久瀬君が言うにはその手紙の主は学校のアイドルである桜小路さんと言っていた。

 なぜその手紙が僕に?

 当然桜小路さんが僕に手紙を渡す理由は見当たらないし、僕に手紙なんて絶対にあり得ない。きっと久瀬君の気のせいだ。


 だって桜小路さんと言えば、天然のブロンド髪のハーフで碧眼の目立つ女子生徒。容姿端麗、品行方正、文武両道の三拍子揃った高スペックな美少女とえば桜小路綺音さんで、1年から3年まで告白された数は軽く百を超える程のスクールカースト上位の貴族様。スクールカースト底辺である僕に手紙を渡すなんて、宝くじで一等が当たる確率と同等と言っていい程の確率だよ? そう考えると、やはりあり得ない。

 しかし、あの手紙は確か、最初は僕の下駄箱に入っていた。何かの手違いだと思っていたけど……いや、やはり僕宛の手紙だと判断するのは早計だ。


(う~ん……久瀬君が嘘を言っているようには思えないし…………他人のそら似?)


 露木陽也の同姓同名という線は?

 2年全員の名前を知らない僕だけど、それでも同姓同名がいるのなら、どこかで知る機会がある。少なくとも同姓同名がいたという記憶はない。


(……よし! 結論は僕じゃない誰かということで忘れよう! さてラノベの続きでも読もうかな)


 手紙の件を忘れて僕はラノベの続きを読み始めた。

 確か前回はヒロインが主人公のクラスに訪れた所で終わったんだっけ。

 ラブコメの王道と言えば転入生イベントが定石……ではあるけど、軽く内容を掻い摘まんで言うと、学園で一番の美少女が他クラスから突然主人公の元へ近付いてきて、話があるとかで放課後呼び出されるという話だ。


 僕も一度夢想したことがある。相手は桜小路さんで、モブキャラの僕に話があるとかでクラスに訪れて……まああり得ない話だけど。

 しばらく、僕は読書に没頭していると何やら廊下が騒がしい。チラリと一瞥すると、ブロンドの髪を靡かせた桜小路さんを見かけた。

 どうして桜小路さんが? まさか妄想が現実に……? って絶対に違うよね。他に誰か用があるんだろうね。

 僕に関わりが無いと思い、再び読書を始めた。


 ヒロインが主人公に訪ねに来ると、突然ヒロインから放課後に屋上へ来るように告げてくる。主人公は渋々了承する。

 それにしてもこのヒロインは可愛いな。ハーフでブロンドの髪に碧眼、僕が好きな属性ど真ん中のヒロインのビジュアルじゃないか!

 何だか桜小路さんに似ているけど、まあ三次元と二次元じゃ違うし、そもそも三次元では相手にされないしな……はぁー……。

 とにもかくにも、続きを――。


「露木陽也君よね?」


「ほぇ?」


 鈴を転がしたような清澄な声で僕の名前を誰かが呼んだ。思わず変な声で返事してしまい、恥ずかしい。というか今誰に呼ばれたんだ?

 恐る恐る僕は顔を上げると、いつの間にか僕の席の前に噂の桜小路さんが立っていた………………なんで!?


「あ……え? ………え?」


 訳が分からず僕は疑問符を幾つも浮かび上がる。だってあの桜小路さんが僕の名前を呼ぶがはずがない。多分、僕が勝手に自分の名前に変換したからに違いない。恐らく桜小路さんはこう言ったに違いない。


「つゆだく春雨?」


「? 露木君は春雨が食べたいのでしょうか?」


「ご、ごめんなさい……何でもないです」


 どうやら違ったようだ。というか桜小路さんの首を傾げてきょとんとした顔が可愛い!

 とと、思わず口元が緩んで「ふひひ」とか気持ち悪い笑いが漏れるところだった。

 さて、桜小路さんは一体誰に用があるのだろうか? わざわざコミュ障の僕に聞くより、他の人に訊いた方がいいと思うけど……。


「あ、えっと……だ、だだ誰を探しているのでしょうか?」


 ちゃんと滑舌良く喋っているのだろうか? 不安だ。


「はい。私は露木君に話があるんです。少しお時間よろしいでしょうか?」


「つ、露木君はぼ――お、俺以外にいませんが……他のクラスじゃないでしょうか?」


「……そう答えてきましたが……中々手強いですね」


 手強い? はて桜小路さんは一体何と戦っているのかな?

 それより、あんまり気にしないよう意識を別に向けていたけど、周りからの視線が非常に痛い。男子から異常なほど嫉妬と恨みの視線が突き刺さってくる。やばい、胃が痛くなってきた。


「えっと……ごめんなさい。お、俺では役に立たないようです……」


「露木陽也君、私が話があるのはあなたの事よ。勿論同姓同名はいませんからね?」


 ニコリと笑顔を向ける桜小路さんに胸の鼓動が跳ね上がる。可愛い……じゃなく、僕が言おうとした言葉が封じられてしまった。

 もう正直に観念した方が良さそうだ。どうやら桜小路さんが用があるのは僕らしい。しかし、なぜ僕に?


「あ、あの……な、ななな何の用でしょうか?」


「そうね……ここでは話は難しいので、放課後屋上でお話しましょうか? そこなら誰もいませんので」


 誰もいない屋上でお話? 一体どんな話を?

 しばし考えた僕は一つの答えに行き着いてしまった。ヤバい。もしかすると僕の命はここで終わるのかもしれない。

 なぜ桜小路さんが放課後に誰もいない屋上でお話をするのか。いや、そもそも話はする気は無く、桜小路さんの狙いは僕の抹殺。なぜ僕が狙われているのか全く心当たりがないのだけど……いや、もしかすると手紙が関係するのだろうか?

 中身を読んでいないから内容は分からないけど、恐らくその手紙には重要な秘密が書かれていた。読んでいないにせよ、手紙の存在を知った僕を消すために、こうしてわざわざ僕に会いに来た。それ以外に考えられない。

 まさか僕の知らない間に非日常に踏み入れていたとは……。今日は僕の命日になるのか……。


(お父さん、お母さん、心海ここみ、どうやら僕は今日でお別れになるみたいだよ)


 僕は目に涙を溜めて頷いた。


「え? 私露木君に何か……した?」


「いえ……全て僕が悪いんです……。覚悟は……できました」


「あ、あれ? 覚悟がいるほどの事なの? わ、私の認識が違うのかしら……」


 桜小路さんが秘密の結社に所属する暗殺者だとは思わなかったけど、でも僕には助けを呼べる人も、相談できる人もいない。完全に詰んでいる。これがぼっちの弱点。

 放課後まで時間はあるし、取りあえず遺書だけでも書く必要がある。ただ桜小路さんが僕の書いた遺書を家族に渡してくれるのか分からない。


「えっと……ごほん。それでは放課後、お待ちにしておりますね?」


 そう言って、教室から出て行く桜小路さんは「どうしてこの世の終わりみたいな顔をしていたのかしら?」という呟きが聞こえてきたが、僕はそれどころではなかった。

 周りからの視線は未だに感じるが、それを気にする心の余裕は僕にはない。

 深い溜息を吐いて、ノートを取り出した僕は早速遺書を書く準備をした。



※※※※※※※※※※※※※※※



「なぜそんな絶望した顔をしてるんだ?」


 あっという間に放課後が訪れ、僕の席に久瀬君が寄ってきてくれた。これがお別れだと思うと、悲しく涙が出そう。


「久瀬君……どうやら僕は今日で終わりらしい」


「? 何を言ってるのか分からないが、まあ桜小路に話しかけられたんじゃあ、いつも通りの日常は難しいだろうな。一日中、お前に嫉妬の視線を向けてしな」


「あ、久瀬君に頼みがあるんだけど、もし僕に何かあったとき、机の中にあるノートを家族に渡してくれないかな?」


「は? ノートを家族に? 一体それって何だよ?」


「うん……遺書だよ」


「お前マジでどうしたんだよ!? 男子から一日中嫉妬や恨みを向けられて平気な顔していると思ったら……もしかして誰かに脅されたとか?」


「ううん。他の人達は関係ないよ」


 桜小路さん自身が僕を狙っているからね。どうしてこうなったんだろう……。


「今日は僕の命日になると思うんだ。桜小路さんが……あ、ごめん。やっぱり話せないよ。久瀬君まで巻き込まれちゃうから」


「おいおいおい! 桜小路に何を言われたんだよ!? と、とにかく一旦落ち着けよ」


「はは、落ち着いてるよ?」


 もう大いに悩んで、泣いて、今の僕は一周回ってスッキリした気持ちだ。さて、僕はこれから桜小路さんに……。


「うぅ、……う……」


「これは思っていたより精神にダメージを負いすぎてるぞ……。やっぱ桜小路に忠告するべきだったか」


 時間はあったけど、やっぱり気持ちの整理なんてできない。でも僕はそれでも屋上へ行かねばならない。僕が行かないと家族が狙われる可能性もある。


「それじゃあ僕は逝くよ」


「今”いく”の字がおかしくなかったか!?」


 久瀬君は何か言っているけど、もしかすると悲しんでくれているのかもしれない。最初はイケメンリア充爆発しろと思ってたけど、何だかんだ接してると久瀬君はいい人でゲームの話ができる唯一の友人……果たして友人って言っていいのか定かではないけど。


 それから僕はスクールバッグを肩に掛けて、決意を固めた。久瀬君から心配そうな眼差しをしていたが、僕は笑みだけ返して教室を出た。これが最後の僕である。

 それから重い足取りで屋上へ続く階段を上がり、僕は一歩進むごとに胃が段々と痛みが増してくる。くっ、やっぱり僕死にたくないよ!


 扉の前まで登り切った僕は震える手で扉を開いた。

 俯いていた顔をゆっくりと上げる。

 するとそこには桜小路さんが、風で揺れるブロンドの髪を手で押さえる姿を映した。

 不覚にも桜小路さんの姿を綺麗だと思ってしまう。これから僕の命を奪うのに。

 僕に気付いた桜小路さんは笑みを浮かべる。まるで「覚悟はできましたか?」と問われているようだ。


「うぅ……」


 その笑みは僕には悪魔じみた笑みに見えた。震える脚、青ざめる顔、息は乱れて桜小路さんの前に来る。


「あ、あれ……? どうして露木君そんなに顔を青くして、怯えているの?」


「ご、ごめんなさい……か、かかか覚悟できませんでした!」


「え? う、うん…………覚悟?」


 首を傾げる桜小路さん。もう可愛いという感情は沸いてこず、ただただ恐怖だけが膨らむ。


「あ、あの……桜小路さんがなぜ俺を呼んだのか実は分かってるんです」


「え? そ、そうなの? …………え? でも私まだ何も言ってないけど……」


「桜小路さんはあの件(知られてはいけない秘密の手紙)で俺に近付いたんですよね?」


「??? もしかしてあの件(露木君に話があるという手紙)? 久瀬さんから話は聞いているから、確かに間違いは無いよね……」


「……は、はい。で、ででも手紙なんですけど、お、おおお俺見てません! 信じて貰えるか分かりませんが本当なんです!」


「そう……ね。それは私の手違いで手紙が久瀬君の下駄箱に入れちゃったのだから責任はあるよね」


「なっ!? 久瀬君に責任? そ、それは俺のせいです! だから久瀬君には何もしないで下さい! お願いします!」


 僕は頭を下げて懇願すると、桜小路さんは困ったように息を吐いた。


「大丈夫よ。久瀬君とは話し合いで誤解は解けたから。ただ私は露木君と話したかっただけなの。ふふ、最初っからこうすれば良かったのかもね」


「…………やっぱり最初っから俺の事を……どうしても、俺は助からないのですか?」


「ん? …………そうね。私は露木君の事を狙っていたから」


 はにかんだ桜小路さんの表情は、憐憫な感情が向けられているようで僕はどうしようもなく歯がみする。やはり僕はここで人生が終わる。どうしても助からないらしい。やはり手紙を間違って受け取ってしまったために、僕の運命は最悪の方向へ進んでいたようだ。

 諦めた僕の脳裏には走馬燈のようにこれまでの日々が流れ…………。


(そもそも友達もいないぼっちの僕が楽しい日々を過ごしていたか?)


 何だか悲しい人生だった僕の過去。これ以上、想起すると虚しくなるだけだから覚悟を決める。


(できればリア充ライフを送ってみたかったな……彼女も欲しかった)


「あの露木君……」


 桜小路さんの真剣な顔が僕に向けられる。どうやら僕の命もあと数秒のようだ。


「…………」


「…………」


 お互い沈黙が流れる。

 僕は死刑される囚人のような心境で桜小路さんからの言葉を待っていた。ただ……覚悟は最後までできていなかった。


(……ダメだ! やっぱり僕はまだ死にたくない! リア充ライフを、彼女を、例え叶えられるか分からない青春だけど、それでもやっぱり叶えたい!)


 急に怖くなった僕は死にたくないという気持ちが強く感じ、自然と踵を返していた。そして、僕は油断している桜小路さんから、人生で一番の俊敏な動きを見せて、脱兎の如く走り出した。


「ぼ、ぼぼぼ僕はまだ死にたくなああああああああああい!!!」


 ポカンとした桜小路さんを置いて僕は屋上から出ていき、取りあえず逃走に成功した。

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