彼女は鳥かごの中

葉原あきよ

第一章 鳥かごの中にある自由(1)

 穏やかな八年をぶち壊す侵入者は突然に現れた。

 広大な敷地の遠くから、カラカラと木片がぶつかる音が近づいてくる。電子機器を止めてしまうマリエのSOF体質を考えて、ゲートの開閉やドームの破損を知らせるのは原始的な鳴子だった。来客は鐘を鳴らすから、ここに越してからこの音を聞いたのは初めてだった。

 居間で何かの設計図を書いていた父は、素早く立ち上がり上着を手にする。玄関まで見送るマリエを安心させるように微笑んだ。

「私が見てくるから、お前はここにいなさい」

 父と二人で暮らす家は、敷地の奥。ゲートはここから一番遠い一ヶ所だけだ。父の研究所や、大事な機器は全てそちらにあり、マリエは一切近寄らない。

「気を付けてね」

 マリエも微笑み返し、自転車に乗って行く父の背中を見送った。

 ざわざわとした不安に、マリエは自分の腕を抱く。感情が動くとSOFの範囲が広がってしまう。落ち着いて、大丈夫、と念じながら、ゆっくり深呼吸を繰り返した。

 シライ家の敷地は小さな町くらいの広さがある。ゲート付近は手を入れていなかったけれど、家の周辺は、土を入れて木を植え、自給自足のための畑と、自然のままの岩も活かした居心地のいい庭とに整えられていた。規模も体裁も、庭というよりは公園のようだ。特許で得た資金を使って、父がマリエのために改造してくれた家だった。十歳のときにマリエにSOFが現れてから、ここにずっと隠れ住んでいた。

 しばらく外を見ていると、木々の向こうから怒声が聞こえてきた。

「来るな! 爆発させるぞ!」

 声の主を探す間もなく、男が二人、目の前に現れた。四十代くらいの男が、二十歳くらいの男の首を後ろから抱えている。彼の腹には黒いコルセットのようなものが巻かれ、後ろの男は手に持った何かを掲げて、背後に視線を向けながら叫んでいた。

 爆発というセリフから考えると、あのコルセットが爆弾で、若い方の男は人質だろうか。

 こちらも驚いたけれど、向こうも驚いたようだった。しかし、立ち直ったのは犯人が先で、すぐさま駆け込んできた。マリエはドアを閉めることも、逃げることもできずに立ち尽くす。

「動くなよ! 爆弾だ。リモコンはここにある。わかるな?」

 人質の腹と自分の手を順に目で示して、犯人はマリエを脅した。マリエは黙って何度かうなずいた。心臓が耳の後ろに移動してきたように、どくどくとうるさく鳴る。無意識に両手を握りしめていた。

 犯人の背後に警察が見えた。盾を持って防護服を着た人たちが、距離を開けて玄関を囲むように構える。

「きゃっ!」

 犯人に腕を掴まれて引き寄せられ、マリエは悲鳴を上げた。

「おい、この子は関係ないだろう」

「うるさい、大人しくしてろ!」

 静かに抗議した人質の言葉を、犯人は遮る。いっしょくたに抱えられたせいで密着している人質の顔を見上げる。無精ひげが目立つけれど端正な顔が間近にある。こちらを見返す切れ長の目は落ち着いていた。興奮した口調の犯人とは対称的だ。

「おい、マイクが入らんぞ!」

「通信に異常が」

 警察の方がざわざわし始めた。マリエのSOFがあちらまで届いているなら、すぐそこにある爆弾のリモコンが使えるわけがない。

 ふと見ると、警察の後ろに父がいた。目が合うと、父は首を振った。黙ってろという意味だと思った。

 マリエも首を振った。それは、父の言葉には従えないという意味だった。ごめんなさいと声に出さずに言うと、父は目を伏せた。

 本当は、どうしたらいいのかわからない。こんなにたくさん人が集まってしまったら、何をどうしたってごまかせないと思う。ここまで隠れて生きてきたのに、施設に隔離されてしまう。これからどうなってしまうんだろうと考えると怖い。でも、脅されているのも怖い。このまま恐怖が続いたら、父の研究所の方までSOFが届いてしまうのではないだろうか。

 とにかく、今の状態を抜け出したくて、マリエはそれを人質の男に託すことにした。この場で誰よりも落ち着いて見える彼になら任せられる気がした。

 犯人が外を見ているのを確認してから、マリエは爪先立って彼に顔を近づけて囁く。

「私はSOFです」

 彼は目を見開いた。マリエは少し微笑んだ。彼はざわつく警察陣営に目を走らせて納得したのか、うなずき返した。

「ありがとう」

 彼は小さくそう言って、ばっと犯人を振り返った。後ろ手に縛られたまま、犯人を足払いで倒すと、思い切り腹を蹴りつけた。犯人は勢い余って、外に転がる。一瞬の出来事だった。

「捕まえろ!」

 よく通る声でそう指示したのは、人質の彼だった。

 わあっと警察官が犯人に群がる。何人かがこちらに駆け寄ってきた。その中に父の姿を見付け、マリエは抱きつく。

「ごめんなさい、お父さん」

「いや、お前はよくやった」

 父に抱きしめられ、涙が止まらなかった。

「あー、申し訳ないんだが、もしかして、お嬢さんはSOFじゃないかね?」

 ヘッドセットの通信端末をいじりながら、警察の責任者らしき男がマリエたちに話しかけてきたのは、すぐ後だった。

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