SS・短編集

藤森空音

時間に置いていかれた少女

 あら。

 こんなところで出会うなんて偶然ね。久しぶり。卒業式以来だから、もう10年は経つかしら? 変わらないですって? 貴方にそう言ってもらえるなんて、すごく嬉しい! でも、貴方はずいぶん変わったのね。あの頃は、坊主頭だったのに、今は年相応の髪型で。もっともっと、伸ばしているのかと思っていたのに。ああ、もしかして。染めたらあんまり伸びなくなっちゃった? 高校に入ったら、染めるんだって息巻いていたものね。いい気味。それより貴方、何をして居たの?


こんな夜中に、こんな人通りの無い場所で。


 俺は、何をして居たんだ。彼女の問いかけに答えるように辺を見回した。時刻は真夜中を少し回った頃だろうか。少し離れた通りで、大学生が騒ぐ声が聞こえる。確かその辺りは飲屋街になっていて、連日にぎわいを見せている。社会人になってからか、その騒がしさが苦手になり、敬遠するようになったのだ。今は、ここより南にいくらか行った通りで、同僚と飲む事が多くなった。いつもなら、この時間はその店で飲んでいるはずだし、今日もその同僚と約束をして居たはずだ。……なら、何故こんな人気も行きつけの店もない通りに居るのだろうか。

「それに、私なんかが目の前にいる理由が解らない?」

 目の前に、10年前と変わらぬ姿で立つ彼女は俺を見据えてそう言った。そう。何一つ変わっていない。あの頃、長く艶やかだった黒髪は綺麗に肩の辺で切りそろえられているものの、そんな変化など微々たるものだ。

 顔つきも、体つきも、声も。

 変わっていない。

 服装すらも、最後に合った中学校の卒業式のまま。一瞬、幻なのかと思った。あまりにも変わらないから。実は飲んだ帰りで、疲れていて夢を見ているのではないかと。

「あら。貴方には私を夢に見るほどの執着が在ったのかしら」

くすくすと笑いながら彼女は言う。

 彼女の言う通り、俺には彼女に執着する理由も、される理由も無いはず。なら、彼女は本物か? 透けている訳でもない、手を伸ばせば触れられそうだ。声も聞こえる。なら、たまたまここを通りかかったと考えるべきか。俺は、そう納得し、同僚の居るはずの店に行こうと足を動かした。その時、彼女の寂しそうな顔が視界の端に映った。


 いつもの店のドアを開ける。同僚がこちらに手を振るのが見えた。

「わるい、わるい。待ったか?」

「いや、さっき付いたとこ」

スーツのジャケットを脱ぎ、同僚の前の席に座る。ビールと付け合わせを頼む。ふと視線を感じ、メニュー表から顔を上げると、正面に座っている同僚が、俺の顔を見ている事に気がづいた。

「俺の顔に何か付いてるか?」

「さっきより顔色悪くなってるぞ。ここにくるまでになにかあったのか?」

同僚は、心配そうにそう答えた。途端、脳裏に浮かぶ少女。俺は何でも無い。といって、タイミングよく運ばれてきたビールを飲んだ。

 それから、仕事の愚痴や同僚の惚気話を時間の許す限り続けた。お互い、家が店から歩いて帰れる距離であり、電車の時間を気にしなくていいのはありがたい。休日の前や上司に理不尽に怒られた時なんかは、ここで呑むのが恒例になっている。店の前で同僚と別れ、俺はあの通りで会った少女の事を考えていた。


 そう。少女なのだ。他に言いようがあるなら教えてほしい。かつて彼女と分かれたその日のままの姿だった。無理をしている様子も、見苦しさもない。幸い、明日は休日だ。彼女と出会った場所へもう一度足を運ぶのも悪くない。そう思い俺は、そのまま歩みを進めた。

 人気のない通りで足を止める。時刻は、真夜中をまわった頃だろうか。彼女は、何か言いたげな様子でこちらを見ている。目が合う。彼女はゆっくりと——その血色の悪い——唇を、ゆっくりと開いた。

「戻ってきたんだ。なんでここにいたのか分かってないくせに」

  冷たい、とげのある言い方だった。彼女は満足したのか、そのまま振り返り、夜の闇に消えていった。俺は、彼女を追うように闇の中へと足を進めた。

 彼女の立っていたあたりだろうか、微かながら右足が何かを踏んだ感触があった。足を慎重にあげる。その足下に土に汚れた封筒があった。俺は手にとると、封筒についた土を払い、中に入っていた手紙を取り出した。


「好きです、つきあってくれますか」


 ただ一言だけ記されたその紙。どこかで見たような気がした。俺は、過去を思い出すように、上を見上げた。


 途端。見えたのだ。


 「危ない!」

どこからか、そんな叫び声が聞こえた気がした……


 そう。貴方は見た。貴方自身が落ちてくる所を。その奥に嗤う人影を。手紙の返事はきっともらえない。あなたは知らない。きっとまた……


「あら、目が覚めたのね。そんなところで、こんな夜更けに何をしているの?」

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