金のナンパ街II

第48話酒と女と孤独な人と

私は本当の意味で天涯孤独になった。

実家が火災で焼け、両親が亡くなったのだ。

私には兄弟は居なかった。


本当なら、3歳上の姉が居たところだったが

彼女は2歳の時に亡くなったということだった。

その一年後に私がこの世に生をうけたということになる。



祖母は交通事故に遭って亡くなったと言っていたが

父親曰くは、病気(小児性の何か)で亡くなったと言っていた。

もっとも、父親の説は酷く酔っ払った時に聞いた話なので信憑性は薄い。

私が成人式を迎え、父親と初めて酒を酌み交わした夜に聞いた話である。

それ以外に、両親は一切、死んだ姉について語ることは無かった。

恐らく、私が姉の存在について聞かされたのは

小学校の一年生か二年生の時に、祖母から聞いたのが初めてだったと思う。


「友雪にはね、優子というお姉ちゃんが居たんだよ。生きていればもうすぐ中学校に上がるところだね」

といった具合にだ。


そんな話だったと思う。それは本当に昔話を語るようにごく自然に語られたことだった。

戦争中の苦労話を聞いているのと、まるで大差はなかった。


それを聞いた直後に、母親に真偽を確かめるべく聞いてみた。

すると母親の答えはこうだった。

「そう?お婆ちゃんはやっぱり呆けが始まっているんだわ。困ったわね。」

と言って顔をしかめるだけだった。


しかし、私は知っていた。祖母は呆けてなんていなかった。

本当にしっかりした人だった。幼心に祖母に対して抱いていた印象は

母親よりも物知りで、何でも知っていて、料理も上手い。

世の中のことを何も知らない私の母親をだからと言って苛めたりするような人でもなかった。

「友雪のママは若くて美人でいいわね」

いつも誇らしげに私に言った。

そんな祖母がありもしない、冗談にしては笑えないことを言う筈がなかったからだ。

だけれど、私には姉が居ようが居まいが関係のないことで、私にとってはどうでもいいことだった。

それからはずっと、「僕には姉が居たかもしれないし、居なかったかもしれない。

ただそれだけのことなんだ」と思いごくごく普通に高校に行き、

さして頭の良くも無い連中が集まる大学に行き、ホンダのディーラーに就職をした。


ただそれだけのことだった。何の変哲もない人生。

そして、老いて死んでゆく。何の変哲もない人生。

必ず死にゆく。みんな誰一人残らず。

天皇陛下もアメリカ大統領もアラブの石油王も。

どんなに科学が発展しようとも、人は死んでゆく。

ああ!何たる馬鹿騒ぎよ!ならば人は他人を慈しみ、

愛し合おうとしない?何故互いに憎しみあい殺し合いを続ける?


かくして、私の両親は私が28歳の時に、灰となってこの世から居なくなった。

そして私は本当に一人になった。

清々した。という言い方は不謹慎に過ぎるかもしれないが

そういった感情に近かった。


家は全焼した。父親が25年ローンを組んで買った家。

父親が残した唯一の遺産ともいうべき家。

父親が体ひとつで、北海道から九州までを大型トラックで駆けずり回ることの代償で建った家。

そう、親父は長距離トラックの運転手をしていたのだ。


両親が亡くなってしまうまでは、恋人と呼べそうな女と付き合っていたこともあった。


結婚という夢を抱いたこともあった。

両親が亡くなる半年前まで付き合っていた女とは本当に結婚を考えていたし

両親にも会わせた。半同姓のような生活を一年とちょっとしていたし

私自身、何の不満もなかった。


両親も「アンタにはもったいない子だよ。」

「本当に家のみたいのでいいのかね?アンタくらいの美人なら他にもっとマトモな男はいくらでも…」

とか何とか言っていた。


「甘えん坊でどうしようもない子だけれど、どうぞよろしくお願いします」

とまで言って、おまけに彼女に向かって頭まで下げていた。


私も誇らしげな気分だった。


でも結局駄目になった。

男と女なんてそんなものなのかもしれない。

60km制限の道路を75kmで快調に走っていれば

ネズミ捕りやらオービスやらが待ち構えているものなのだ。


別れた理由は何だったのか?

いくら考えてもわからなかった。それがわかれば別れなくて済んだのかもしれない。

予め、レーダー探知機を積んでおけば、ネズミ捕りやらオービスが待ち構えていることを知らせてくれる。

便利な世の中だ。

しかし、私の古いワーゲンにはそういう類のハイテクな機器は搭載されていなかった。

残念ながら。


別れて半年後の暮れに、一度だけ飲みに行ったことがある。

どうして別れた女房(みたいなものだった。すくなくとも私とっては)

と飲みに行くはめになったのかは全然覚えていない。

その席で彼女は別れた理由を尋ねるとこう言った。

「価値観の不一致と性格の不一致でしょ」と。

半年後に会った彼女は、やはり美しかった。

いや、公平にみれば「美しい」という表現は誤りかもしれない。

けれど、何かしら人の目を惹く華やかさを持ち合わせた女だ。

半年ぶりに再会をして、さすが俺が愛した女だなと馬鹿げた、

実に馬鹿げた感想を私は抱かずには居られなかった。

それが私の思い違いでないことは、バーテンが証明してみせてくれた。

いつも店に入っていっても歓迎すらしてくれたことのないバーテンがだ。

その店に行くのは4回目か5回目で、私はバーテン(おそらくマスターなんだろう)

と会話を交わしたことすらなかった。

しかし、彼女を連れて店に入った瞬間、私が聞いたことのない言葉を発したのだ。

そのバーテンは。「いらっしゃい」と一言。



そのバーは、彼女と別れてから私が見付けたバーだった。

最も、酒を飲むことの楽しさをこの私に教え込んだのは彼女だったわけだが…。


私は彼女と出会うまで本当に酒というものに興味を抱いたことすらなかった。

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