第49話不夜城で。
午前4時の牛丼屋で働くおばちゃんが教えてくれた。
いや、みのもんたならお姉さんと呼んでいたに違いない。
年の頃は60手前。
牛丼屋の夜勤なんてちょっと前なら
大学生のバイトの定番だったものだ。
それがいまや、こういったおばちゃんやおじさちゃんが
牛丼屋でバイトしている姿は決して珍しくない。
少子高齢化?格差社会?その歪みの一端なんだろうか?
「宗教は数あれど、ざっくり大まかに見れば、
その根本は宗教の教えは執着心を捨てることにある。」
何故、60手前の淑女を相手に宗教の議論する羽目になったのか。
それは、僕が店に入った30秒後に入ってきた中年の男の異様な行動が発端だった。
男は親子丼を頼んだ。
お茶が出された。9月の終わりだったから午前4時という時間だし外は肌寒いくらいだった。
しかし、男は「冷たい水頂戴!」とあからさまな上から目線の態度でそう言ったのだ。
冷たい水というのも気になったが。
男の目をじっとみたが、その奥は何も語っていなかった。
死んだ魚の目だった。
それは人に命令することになれきった男の目だ。
そして牛丼が運ばれてくるなり割り箸を手に取って
半分に割って、ささくれを削ぐような動作をした。
綺麗にささくれが削げたことを確認するなり
両手を合わせ親指と人差し指の間に箸を挟んで
丁重に目を閉じ、4秒間祈りを捧げていた。
口元は一切動いてなかったので
心の口で何かを唱えていたかもしれない。
何かの宗教信者であることは間違いない。
モルモン教か天理教か何かはわからない。
しかし、60手前の牛丼屋で夜勤中の給仕に対して横柄な態度しか取れないような男が
一体何を祈り、果たしてその祈りは通じるだろうか。
その宗教の神だか仏だかは男に加護を与えるのだろうか?
気になったので、男がそそくさと食べ終え、当然「ごちそうさま」の言葉も残さずに
まだ空け切らない夜と朝の間の街へ消えて行った。l
その男があまりにも異様な光景に見とれていたのと
元来、猫舌で熱い物を食べる時は遅くなってしまうのだ。
だから淑女に聞いてみたのだ
あれは何の宗教だったんだろうか?と
すると淑女は
宗教は数あれど、ざっくり大まかに見れば、
その根本は宗教の教えは執着心を捨てることにある。
と教えてくれたのだ。
僕は、ゆっくりよく噛んで食べ
物事に執着することで生まれる煩悩。
その煩悩こそが、生きることをより一層困難にしていると。
その帰り道、音楽を聴きながら帰った
しかし、行き着けば生きることに執着しなくなればどうなるだろうか?
生きる事に執着しないこと。
ジハード?
つまり現世での役割を如何に高尚に終えるか
そうすることに因って、来世で幸福になれる?
結局は執着しているのだ。
揚げ足取り?
執着しないということは今日を如何に楽しく過ごすか
来るか来ないかわからない明日には執着しない。
今を生きるということなのか。
今を生きるということ。
執着しないということ。
そんな宗教論議を繰り返していたら
見通しの悪いT字路で飛び出して来たゴミ収集車に轢かれそうになった。
バブルの頃は執着心はあまり無かったのではないかと思う。
優子自身も言っていたこがある。
「あの頃は執着しなかった」
お金の心配は無かった。
銀行はいくらでもお金を貸してくれた。
むしろ、銀行が頭を下げて借りて下さいと頼みに来るのだ。
やはり物質的に満たされれば満たされるほど、執着心は反比例するのかも知れない。
中々新しい考えだった。
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