1章 ダンジョンは稼げない

1話 この動画は削除されました。

 パチパチと囲炉裏に焼べられた炭が爆ぜる。


「……あれ、ここは……?」


 視界がぼやけてよく見えない。起き上がろうにも四肢に力が入らず、呟いた言葉は驚くほどかすれていた。


(俺は確か、トラックに轢かれて……轢かれて、どうした?)


 記憶が定かじゃない。如月 朔。自分の名前は思い出せる。轢かれる前の、愛梨との会話も覚えている。


「ぐ、……ぅ、頭が……」


 だけど轢かれた後の事を思い出そうとすればするほど頭痛が激しくなる。頭の中でパチパチと、炭が爆ぜる音だけがひたすら反響する。


「ふっふ〜ん♪」


 ばさりと、布を捲るような音と共に何者かが鼻歌を口ずさみながら内部へと入って来る。扉が開く音では無かったから、ここは一体どんな空間なんだろうと懸命に目を凝らす。


(天幕……?)


 光源が火の光しか無いため薄暗く、更にぼやけているため断定は出来ないが、天井は布のような物に見えた。天幕であれば先ほど人が入って来た際の音にも納得が行く。


 しかしそれが分かったところで、依然として自分が置かれているこの状態は不明だ。


「はーい、着替えますねー」


 一体何が起きたのか……そう考えると突然闖入者が朔の服に手をかけた。その声でどうやら少女と言って良いほど若い女性である事が分かったが、ますます疑問は募るばかり。


「……ちょ、まっ」


 絞り出した声は言葉というより、呼吸に近いほどの音量であった。無論そんな静止が聞こえるわけもなく、少女は慣れた手つきで服を脱がして行く。正確に言えばいつの間にか着替えさせられていたらしく、薄布一枚を剥ぎ取られただけだが。


「ほうほう、これが男の子の……」


 下腹部からそんな呟きが聞こえ、朔は慌てて首を動かした。もちろん亀のようなゆったりとした速度だが、やがて朔は少女を視界に収める。



 もっと正確に描写するなら、『己の息子を興味深そうに眺める少女の姿』を朔は視界に収めた。



「やっぱりこっちも綺麗にしなきゃだよね! むしろここを積極的に綺麗にするべきだよね!」


 誰に対するものかは不明だが、少女は早口で言い訳を述べると隣に置いてある水桶に布を浸してそれを絞る。そして朔の身体を拭った。特に下腹部を、やたらと重点的に。


「……ぐ、くそ」


 言葉は出ず、四肢は強張るだけで動きもしない。自分より年下の少女に身体を好きにされる屈辱と羞恥に歯を食い縛りながらも耐える。


「わ、わわっ! 変身(メタモルフォーゼ)!?」


 下の方から何か声が聞こえるが、もはや朔にそれを気にする余裕は無かった。


(何なんだこれは……)


 己の無力さを噛み締めていると、視界の端でぶんぶんと動く何かを見つけた。


(……? これは尻尾か?)


 先端は細く、付け根に向かえばふんわりとした丸みを帯びる、筆のようなその尻尾は記憶を辿ればキツネのものが近いように思える。


 ちなみに付け根とは少女の尻であり、朔は少女の尻をまじまじと眺める。


 一方、同世代の男に自身の尻を視姦されているとは露知らず、少女は尻尾を左右にふわりふわりと振っていた。


(これはまさかーーーーいや、そんな馬鹿な)


 朔は健全な男子高校生である。『This video has been deleted』という親の仇とも言える文言と戦いながらもそういった動画は観た事があり、そしてそれらは例外なく尻に装着してあった。


 ゆっくりとだが規則的に動く尻尾を見るに、それなりの刺激が発生している事は予想に易い。しかし少女は顔色一つ変える事なく、精力的に朔へ奉仕している。……そこから導かれる結論はただ一つ。


(ーーーーこの人、間違いなく痴女だ。俺は今痴女に襲われているッ!)


 脳裏に浮かぶのは結菜と愛梨の姿。


 だが罪悪感は多少あれど、少し役得かななんて思ってしまうのは男子高校生の悲しい性。むしろ不調故に感触が殆ど無い事が残念でならない。


(まさかこんなエロゲーみたいな出来事に出くわすとは)


 朔はせめてその行いだけでも見届けようと首を動かし、少女は飽きたのかそれとも満足したのか拭う手を下から上へと動かし。


 二人の視線がばっちりと絡んだ。


「…………え?」


 長い沈黙。朔は声が出せない故に。そして少女は現状が理解出来ない故に。


 だが無言のまま少女の顔は赤くなり、青くなり、白くなりーーーーやがて、そっと息を吸った。


「わ、馬鹿やめろ」


 その行為が意味する事を察した朔はかすれた声で止めようとするが、無論その言葉は少女に届かなかった。


 そして。


「きゃあああああああああーーーーー!!」


「うわ!」


 身体を満足に動かせないのだから耳を防ぐ事も出来ずに、その馬鹿でかい叫び声が鼓膜を直撃する。


 少女は半裸の朔を放置したまま走って外へと出て行ってしまったが、囲炉裏のおかげでそこまで寒さは感じない。


(結局何だったんだ……)


 冷静に考えれば朔はトラックに轢かれたのだ。軽傷とは考えにくいし、動かない身体がそうだと伝えて来る。となると朔の身の回りの世話をしてくれていたであろう少女は、命の恩人とも言える。


「お礼、言わなきゃな……」


 ぐるぐると視界が回る。頭の中を覆う靄の所為で、上手く思考がまとまらない。


 取り敢えず動けるようになったら礼を言おう。


 何とか散り散りになる意識を繋ぎ止めそれだけを決意すると、朔は意識を手放した。







「ふっふ〜ん♪」


 楽しげな鼻歌が聞こえる。


 ゆったりとした子守唄のような、懐かしさを感じる柔らかさを孕んでいる。しかしその旋律自体は全く耳にした事の無い不思議なものだった。


 無理やり何かに当てはめるとすれば、どこかの民族や部族の音楽に近しいものがあったかも知れない。


「……ん」


 このまま眠りに就きたい欲望に抗い、朔はゆっくりと目蓋を開いた。


 視界の端では先日の少女とは違う女性が楽しそうに囲炉裏の上の鍋をかき混ぜている。


 未だぼやける視界で何故別人であると分かったのかと言うと、鼻歌もそうだが何よりも尻尾が違う。


 先端は細く、付け根へ向かうとふんわりと丸みを帯びるキツネの尻尾。そこは変わらないのだが、その尻尾の本数が四本になっていた。


(尻尾の多さはどう捉えるべきか)


 淫乱度、とも考える事は出来るし何かの部族であれば身分とも考えられる。しかし朔が住んでいた地域にそのような部族が住まうなんて聞いた事が無い。精々ネパール人をたまに見かけるくらいだ。


「ふ〜ふふ〜ん♪ ーーーーあ!」


 鍋をかき混ぜていた女性と目が合う。少女と違い疾しい事の無い女性は笑みを浮かべ、朔はその普通の反応に安堵した。


「おはようございます。ご気分はいかがですか?」


「……あ、えと」


 まだ身体は動かないけど、気分は悪く無いです。助けていただきありがとうございます。ここはどこですか?


 言いたい事は沢山ある。だけど言葉にならない。それがもどかしくて仕方が無い。


「声が出せないんですね? 落ち着いて、ゆっくり深呼吸して下さい」


 言われた通り横になったままゆっくりと深呼吸を繰り返す。目を瞑って焦らず、逸る心臓を抑えるように大きく息を吸い、吐く。


「そうです、落ち着いて……大丈夫、ここには私とあなたしかいませんから、安心して呼吸を続けて下さい」


「あの……俺…………ぐっ」


 まだかすれていたが、その言葉はようやく声となり空気を振るわせた。だがそれだけで喉は痛みを訴え、朔はゲホゲホと咳き込んだ。


「ああ、無理はしないで下さい! 今日はもう、お休み下さい。回復したらゆっくりお話をしましょう?」


 朔は首を縦に振る事で肯定の意を示し、再び目蓋を閉じた。


 起きたばかりであるというのに、まだまだ眠気があった。


「ふ〜ふふっ〜♪」


 優しい旋律の子守唄を聴きながら、朔は再び眠りについた。






「チタタプチタタプ」


 トテトテトテ……まな板と包丁が奏でる音色よりも軽快で、打楽器のような音が響く。


「……う」


 そんな音と共に美味しそうな匂いが漂うのだから、朔は目を覚まさずにはいられなかった。


(何の音だ? ……それよりこの匂い……腹減った)


 ゆっくりと起き上がり、震える手を動かす。ぐー、ぱー、ぐー、ぱー。どうやら握力は皆無だが、思い通りに動かす事が出来るまで回復したようだ。


「チタタプチタタプ……」


 朔はこちらに背を向けてトテトテと作業をする少女を見つめた。チタタプという言葉に合わせて、尻尾が左右に揺れている。


(こいつはどういう原理で動いているんだ?)


 寝起きのぼーとした頭で考える。もちろん答えは出ない。まさか本物なわけがないし……と考えた結果、一つの結論に達する。


(触れば分かるか)


「チタタプチタタプーーーーふぎゃ!」


 左右に揺れる尻尾の先端を握ると、面白いくらい一気に毛が逆立った。


「うわ……本物みたいな手触りだ」


 さらさらとしていて、ふかふかとしていて、顔を埋(うず)めるとほんのりと花の香りがする。


「い、いつの間に起きてーーーーひゃぅっ……そこはダメだって……あぅ! ……ふえぇ、匂い嗅いじゃダメー!!」


 絹のような肌触りに、柔軟剤で仕上げた純白のタオルのようなふかふか具合。それに獣の臭さなんてせず、まるで年頃の女子の首筋に顔を埋めているみたいだ。


 これが本物であればそうはならないはずだ。やはりこれは付け物で、丁寧に手入れをしているのだと言う事が想像出来る。


 だというのに大袈裟に反応する少女が朔には不思議だった。


「何を大袈裟な……これって玩具だろ?」


「ち、ちがっ、本物……!」


 尻尾を上下に扱くと、少女はびくんびくんと身体を震わせる。


(何だってこんな反応を……ああ、そうか)


 玩具の付け根を見る。渦巻き模様が大量にあしらわれた色とりどりの着物の尻の部分には、尻尾を通すためなのか穴が空いている。その下の部分は尻尾に隠れて見えないが、まあようするに『装着』してあるのだろう。


 これだけ動かせば、その刺激は容易く内部へと到達するであろう事が想像出来る。


 だがそうであれば「そうだ」と言えばいいというのに、頑に少女はこの尻尾を本物だと主張する。


「じゃあ本物だって証明してくれよ」


 朔は着物の裾を思いっきり捲った。


「ひっ……!」


 すると何の装飾も無い純白の布が姿を現わした。どうやら下着の代わりらしく、それは尻尾を通すために裂けており、裂け目を隠すように紐で縛られていた。朔は躊躇う事なく紐を掴んだ。


「やだやだやだ!」


 どう足掻いても幼気な少女の服を引ん剝く悪漢であるが、それよりも朔は本当にこの尻尾が本物かどうかが気になっていた。ここまでやられても撤回しないのだから、まさか本当に? いやいやいや……と思考を巡らせる。


「うっさいな。お前も人の下腹部をじっくり堪能していただろう?」


 突き放すようにその事実を告げると、少女はびくりと身体を震わせながら抵抗を止めた。


 すすり泣く少女の姿に少し冷静を取り戻した朔は己の行動を顧みて青褪めるが、ここまでしておいて後には退けなかった。


 ここに来てようやく罪悪感が仕事を始めるが、それを無視して紐を解く。


「……何だよ、これ」


 出て来たのは真っ白な尻であった。そしてその割れ目のやや上から、尻尾が生えている。


「本当に、本物なのか……?」


 愕然としながら確かめるべくすべすべの尻に触れると、少女が小さく悲鳴を上げた。


「あ、ああ、すまん。取り敢えず本物って事は分かったからーーーー」



「ハル? チタタプは出来たかしーーーーえ?」



「お、おねえちゃ……」


 少女とは違い尻尾が四本の女性が天幕へと入り、二人を視界に収めて固まった。


 少女の言葉から察するに姉なのだろう。


 そして朔は妹を暴行する悪漢にしか見えないはずだ。


(終わった)


 トラックに轢かれた瞬間より明確に、朔は自身の死を悟った。

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