24.宇宙王子の抱える事情

――田崎真愛は宇田川玲音に恋をしない。


「え……」


どこかで聞いたフレーズを玲音にまっすぐ目を見て言われ、目の前が真っ白になり胸の奥がざわついた。しかしそれはまばたき一つしている間の、まさに一瞬の出来事だった。


「マナ!」


手にげていた紙袋からフィードが飛び出し、すぐに真愛と玲音との間に距離を作らせる。

ピリピリとする額を押さえて真愛は後ずさった。異変に気付いた優も足を止めている。


(今の……どういう事?)


玲音が何かを真愛にしようとした。その何かに思い当たる節はあるが、真愛はそれを考えないように努めた。認めたくない。

呆然と玲音を見やると、同じような視線が返ってくる。

不気味に静まり返る廊下。その静寂を破ったのはフィードだった。


「マナにレオンへの恋を禁止する魔法を掛けたのはオマエだったんだな、レオン」


(あぁ……)


真愛が認めたくなかった事実。けれどフィードによって言葉にされてしまえば、もう逃げきれない。

諦めて現実に向き合う覚悟を決めると、胸の奥がきしんだ。


(そうだよね。そういうことなんだよね……)


さっき玲音が紡いだ呪文は、真愛が何度も聞かされていた、真愛が玲音を好きにならないようにかけられていた魔法の言葉なのだ。


「そんな馬鹿な……! 玲音、嘘だろ? 玲音が真愛を拒むなんてありえないよな!」


芹香が、まるで自分のことのように、すがり、詰め寄るが、玲音は視線を合わせようとはしない。


「……」


ただただ黙って自らの掌を眺めていた。先程真愛の額に当てた手だ。

玲音の沈黙が周囲に居心地の悪さ与え、廊下の幅が変わった訳でもないのに、妙な圧迫感を感じさせる。プールの中にでもいるみたいに胸が苦しい。


(信じたくないよ)


思い出が駆け巡り、共有してきた時の長さを実感した。小学校、中学校、そして今。どの部分を切り取っても玲音が出てこない場面などない。

長い時間を過ごして、怒ったり笑ったりを積み重ねて、友情が恋に変わって。しかし恋をして浮かれていたのは真愛だけだったのだ。魔法を掛けてまで、玲音は真愛に好かれないようにしていたのだから。

その事実が思い出をすべて虚像に変えてしまって、感情の一切が奪われていくようだった。

状況を真正面から受け入れられない真愛を置いて、玲音はポツリと言った。


「魔法が跳ね返された。貴様の魔力が真愛を守っているんだな」


前髪が玲音の顔に影を作る。少し乱れた前髪の隙間から、力ない瞳がフィードを見据えた。


「以前に掛けた魔法を解いたのもお前だな?」

「あぁ。魔法で心を操る行為は胸糞悪いからな」

「力が衰えているのは知っていたが、まさか未成人の悪魔にすら魔力で敵わなくなっていたとは……」


自嘲するような薄い笑みを浮かべた玲音の前に、フィードは歩み出て柔らかな腕をまっすぐ向ける。


「この姿を見て未成人だと気づくということは、やはり悪魔なんだろうな。レオン、目的はなんだ? なぜマナに魔法を掛けた? 返答によっては容赦しない」

「ちょ、ちょっとフィード!」


重い鉛を胸に抱えたまま、真愛はフィードを止めに入る。裏切られた事実が今ここにあるのに、それでも玲音が大切なことに変わりなかった。

魔法を使ったということは、玲音は人間ではないのだろうが、それすら真愛の意思を曲げられない。玲音が玲音であるなら、人間か悪魔かなど些細ささいな問題である。


「話を聞いてみないと分からないでしょ。玲音くんにも事情があったのかもしれないし、ね?」


フィードを説得するつもりで言った言葉に、少し遅れてふと気付く。

――事情があったかもしれない……?

違う。

――事情があればいいのに。

発した言葉の裏には素直な願望が隠れていた。

玲音が真愛に魔法を掛けた裏に、止むに止まれぬ事情があればいい。真愛が納得出来るような事情があれば、いい。

祈るようにして玲音に向き直り、その顔を見つめた。宇宙王子と言われる彼はこんな時でも美しく、苦しげに歪められた顔は、一流の彫刻師が作り上げたような芸術性を帯びている。


「……話そうとは思っていたんだ」


玲音がボソボソと落とした言葉は、言い訳の冒頭に使用する常套句だった。それが嬉しかった。言い訳をしてくれるのなら、玲音にとっての真愛が、関係を壊したくない相手ということになる。

玲音は真愛たちの反応を伺いながら続けた。


「俺は、真愛を好きになりたくなかった。真愛を……好きになるわけにはいかないと思っていたんだ。――だから、真愛に魔法をかけた」


玲音が喋るのを見つめ、真愛は言葉の先を待った。


「人間は知らないだろうが、暗示系の魔法を自分にかけることは不可能なんだ。だから自分に恋を禁止する魔法をかけるかわりに、真愛の俺への恋を禁じた。そうしておけば真愛を好きにならずに済むと思っていたんだ」

「真愛を好きになりたくなかったから真愛に魔法をかけた、ね」


呆れを多分に含んでいるのが分かる言い方で、優は言った。


「その部分だけなら筋が通る話だけど、本質的な答えになってないな。一番大きな疑問としては、どうして真愛を好きになりたくなかったのか、だよ」

「……怖かったからだ」


優の疑問に、少しだけ声を小さくして答えた。


「好きになってしまえば、別れる時が辛くなる。俺はもう、あんな思いはしたくない」


嘆き。叶わなかった願いに対する執着。真愛はそう感じ、玲音の心を癒してあげたくなった。


「私は玲音くんから離れたりしないよ。今までだって仲良くやってこれたんだもん。玲音くんが悪魔だと知ったって、玲音くんが何か変わるわけでもないし、これから先もずっと一緒にいるよ」


そう告げると、玲音は悲しげな顔になる。


(どうして?)


「時は来る……意志に依らず、な」


真愛が言葉を理解しかねていると、静寂を裂き、フィードが小さく「そういうことか」と漏らした。

視線が、深刻そうに腕を組んだフィードへと集まる。


「寿命の差だな」


玲音は力なく頷いた。


「人間は俺たちとは違い、幻のように存在して儚く死んでいく。友人や恋人だった者たちも……みんな、死んでいった」

「しかしそれなら、どうして人間界に留まり続けたんだ? 魔界に帰って他の悪魔たちと過ごせば、寿命の差など気にすることはないだろう」


言葉のトーンから、なんとなしに言ったことが伺えた。だからこそ、その後に生まれたわずかな沈黙が、とても奇妙に映る。

玲音の返答を待つ時間が延び、奇妙さは不安へと変貌し、ついには嫌な予感となって真愛の中で膨らんだ。

ようやく玲音は口を開き、か細い声を零した。


「…………れない……」


グッと奥歯を噛み締め、拳を強く握る玲音。肩が震えていた。


「帰れないんだ!」


玲音が発した声は、真愛の胸を貫いた。予想だにしていなかった声量もだが、それよりも悲痛な響きが真愛の心に刺さったのだ。

……んだ、……だ、と声が反響し、芹香が慌てて玲音の肩を押さえ、自ら唇に人差し指を当ててみせる。


「……悪かった」


我に返って周りを確かめた後、玲音は声のトーンを落として話を続けた。


「時と場所の亀裂というものが、魔界にはある。……お前は知っているよな」

「あぁ」


同意を求められたフィードは、身体に対していささか大きめの頭を振って頷いた。ふと動きを止め、丸い目を大きく見開く。


「――まさか」


囁くような声だった。


「吸い込まれたのか? 時と場所の亀裂に……」

「運が悪いことに……俺は以前にも人間界に来たことがあった」

「……っ!」


カミナリに打たれたかのように大きく身を震わせた後、フィードは動かなくなった。

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