2.絶望、不安そして希望

 五つの箱はみな同じデザインをしている。手前に開くその箱の扉には、古くから伝わる魔界の紋章が細やかに彫られており、取手は龍の爪を模して作られている。


 中央の箱にスタッフが二人寄り、龍の爪に手を掛けた。ゆっくりと扉が開かれる。


 ゴクリ。喉が鳴る。



「……あ」



 複数段に分けて収められていたそれは、ぼんやりとした光を発していた。光りの強さや色がひとつひとつ異なっている。風もないのに揺らめくその神秘的な様子に会場内が水を打ったように静まり返る。


 ――前世の魂。そう意識しているからか、懐かしさを感じる。



「今から皆さんにこれを順番に受け取っていただきます。招待状に書かれている番号の部屋に移動して下さい」



 前世の魂の授受は個別に行われる。二千人をそのまま並ばせると日付が変わっても儀式が終わらないので、事前に五グループに分けられているのだ。


 参加者に見せるためだけに開かれた扉は閉じられ、他の四つの箱にと共に壇上からはけて行こうとした、その時――。


 ガシャン、ガシャンという音が立て続けに起きた。ほぼ同時に砕けたガラス片が降り注ぐ。



「なんだっ?」



 非常事態なのは本能で理解した。誰かが「上だっ!」と叫ぶ。


 見上げると、割られた会場の窓から次々に黒い影が飛び込んで来るのが見えた。


 大きな破片がフィードに向かって落ちる。



「うわっ!」



 紙一重でかわしたものの、バランスを崩してたたらを踏む。



「怪我はないか?」


「……なんとかな」



 心配そうな顔をした友人に、引きつった笑顔を返し、その流れで会場内に視線を走らせ――絶句した。


 前世の魂が収められた五つの箱。そのどれもが横倒しにされ、淡い光を放つ魂たちは無防備に転がっていた。それを目にした瞬間、肝が縮み、目眩さえした。



「なんなんだ貴様らは!」



 先ほど壇上で祝辞を述べていたお偉いさんの一人が魔力で形成した剣を手に、今にも前世の魂に触れようとしていた侵入者に詰め寄った。



「……お前、英雄になりたいか?」



 侵入者がそう問うたのが合図となり、侵入者たちは一斉に動いた。一カ所に魔力を放ち、誰かが声を発する間もなく、壇上に闇が現れた。会場に着く前に見た闇のような雲ではない。不吉な前触れを思い起こさせる本物の闇。


 それを目にした数人の顔色が変わる。その中には隣に立つ友人も含まれていた。



「あれはまさか……っ!」


「どうした、ラック」



 瞠目したまま顔をこわばらせたラック。発せられた声は上ずっている。



「させるかっ!」



 フィードの問いかけを無視して、ラックは床を蹴り空中に身を踊らせた。そのまま猛スピードで壇上まで飛んで行く。



「おい! 待てって!」



 わけも分からずフィードは後を追った。


 壇上にたどり着いたラックが、大きな魔力を闇に向かって立て続けに放っている。



「ラック!」



 フィードの声は今回も無視され、ラックは息を弾ませながらも魔力を放出し続けている。



「無駄だ、無駄だ。その程度の魔力などで、時と場所の亀裂を閉じられると思うな」



 侵入者が嘲笑を含んだ声で言った。



「時と場所の亀裂だってっ?」



 瞬時にグレイグルンドの最期が頭に浮かんだ。


 確か彼は時と場所の亀裂に飲み込まれて……。


 フィードは今この場所が非常に危険なのだと、ようやく理解した。時と場所の亀裂に飲み込まれてしまってはどうなるか分からない。そんな死の危険が目の前にあるのだ。



「ラック、危険だ! ここから離れよう!」


「馬鹿を言え、前世の魂はどうするつもりだ!」


「っ!」



 どうしよう。命は惜しいが前世の魂も重要だ。前世の魂が時と場所の亀裂に吸われれば、もう二度と成人になれる見込みはなくなる。


 そうしているうちにも、闇は水がシミを作るように広がっていく。



「あ」



 放り出されていた前世の魂が一つ、闇に吸い込まれた。それから間をおかず、一つまた一つと頼りない光は闇にかき消されていく。


 会場を侵食する闇は、ついにラックの足下に及んだ。彼の身体を支えていた床が消える。



「ラック!」



 傾ぐラックの腕を全力で引く。



「放せ!」


「無理だ!」



 恐怖がフィードの行動を支配する。目の前で跡形もなく消える魂たちに数瞬後の自分が重なっていた。その恐怖は、成人できない恐怖とは比較にならない異質のものだった。


 ラックの抵抗を力でねじ伏せ、時と場所の亀裂から距離を取る。



「離れるぞ!」


「……ックソ!」



 ラックはもう抵抗しなかった。彼ももうどうすることも出来ないと悟ったのだ。


 あまり感情を出さないラックが、珍しく怒りとも嘆きとも取れる悪態をついた。


 ほどなくして、ラックが立っていた床が消えた。……周りに散乱していた魂も、全て飲み込まれた。





 悪魔、悪魔、悪魔。フィードの前には悪魔で形成された列が伸びている。まだまだ自分の番は回ってきそうにない。首を回し後ろに目を向けると、そちらにもうんざりするほどの長い列ができていた。


(……なんでこんなことに)


 こんな順番待ちをする原因となった成人の儀襲撃事件を思い出し、奥歯を強く噛んだ。


 時と場所の亀裂は全ての魂を葬った後、徐々に勢いを落として嘘のように消えてしまった。時と場所の亀裂とはそういうものだ。突然生まれて、突然消える。今回は意図して魔力の摩擦を起こして生み出した者がいたが、本質は変わらない。


 成人の儀を襲撃した連中は全員捕まった。予想していたことだが、犯人の大部分はなんらかの理由で前世の魂を失った未成人者だった。ほかに金で雇われた成人たち……その中には会場の警備も含まれていた。襲撃者側の手際の良さと、主催者側の手際の悪さを思い返すと、なるほどと頷ける。


 襲撃事件はひとまず解決となったが、成人の儀参加者たちにとってはそこから先の方が重要だった。


 ――喪失した前世の魂はどうするのか。


 前世の魂の代わりはない。しかし、前世の魂の授受をもってのみ成人の儀は完了する。


 そこで魔界政府は一つの提案をした。


 時と場所の亀裂に飲み込まれた魂は、いつかの時間のどこかの場所に存在している。時空転送でその座標に向かい、自分で探して来いと言い出したのだ。


 その発表から成人の条件を変えない方針だと知り、成人の儀で前世の魂を失った者たちは、否を唱えることも出来ずにこうして時空転送の順番待ち行列を作ることになった。


 自分は時空転送でどこに向かわなければならないのだろう? そんな疑問が頭をよぎる。未知の先にあるのは希望か絶望か。悲喜こもごも渦巻く胸の内が苦しくてしょうがない。


 前の人が減ったな、と思ってから順番が回ってくるまではあっという間だった。


 個別に部屋に入れられ、さらに人ひとり入る程度の箱に押し込められる。そこで青紫の光を全身に当てられた。上から下へ、下から上へと、二往復。身体の情報をスキャンしたのだ。


 フィードを箱から出るように促した後、転送係の女性がフィードの情報を解析していく。コンピュータが操作される無機質な音だけが部屋を支配する。



「人間界ですね」



 落ち着いた声に、手持ち無沙汰で椅子に座っていたフィードは頭を上げた。解析が終わったらしい。



「人間界……」


「はい。人間界の日本という国です。時代は平成だそうです」



 日本の平成時代。そこに前世の魂がある。


 グッと拳を握り込むフィードに、女は表情を変えずに取り決められた質問をする。



「命の保証はしませんが、希望であれば転送を行います。平成時代の日本への転送を希望しますか?」


「もちろん!」



 フィードの熱い声が小さな部屋にこだました。



「分かりました」



 女はコンピュータをカタカタと操作しながら口を動かす。



「良かったですね。フィードさん、あなたまだ人間界へ行ったことは無いようですから」



 はい、と簡潔に答えたフィードは、本当に良かったと安堵していた。


 因果律の掟というものがある。時空転送で様々な場所、様々な時へ行くことはできるが、一度行った場所の別の時代に行くことはタブーとされている。未来の技術や歴史を過去に持ち込むことで本来の流れから外れてしまう可能性があり、それは世界の意志によって許されておらず、破るとどんな罰を受けることになるか分からないないのだ。


 人間界へ行ったことのないフィードは、転送先に人間界を選ぶことを許可された。



「それでは転送しますので、こちらに横になってください」



 女が示した先にはあるのは、ベッドの形をした転送装置だ。言われたとおりにフィードは装置に横たわる。



「では、いきます」



 いよいよ人間界へ向かう。大人になるために。不安と緊張を覚悟で相殺し、腹に力を込める。



「お願いします!」



 頭上でピピッと音がした。グンと天井が遠くなる錯覚を覚えた。



「あぁ……言い忘れてましたが、未成人は実体で人間界に行くことは禁止ですので、魂だけを転送することになります。向こうで適当な身体を見繕ってください」



 薄れゆく意識の中、とんでもないことを言われた気がした。


 ちょっと、待て。あ……声が出ない。


 すでに肉体との切り離しが始まっていたらしい。


 んな大事なことは早く言えぇぇぇ、というフィードの魂の叫びは誰に届くこともなく虚しく消えた。

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