命のためなら悪魔とだって契約します

月宮明理-つきみやあかり-

第一章 襲撃された成人の儀

1.胸は期待に膨らんで

 金糸と銀糸による刺繍が入った特別な服に身を包み、フィードは低い空を見上げた。分厚い黒雲が果てなく広がっている。


「すごく綺麗な雲だ。まるで闇みたいじゃないか?」


 子供のようにはしゃぐフィードに、隣を歩く友人――ラックも釣られて笑う。


「あぁ」


 空が光った。ラックの声をかき消すように、化け物のうめき声によく似た轟音が辺り一体に響く。

 フィードは一層無邪気に笑った。


「良い天気だな。こんなに真っ黒な空の日に成人の儀を迎えられるなんて、なんか良いことがありそうだ」

「そうだな」

「なんだよ。もっと他に言うことないのか?」


 短い返事ばかりの友人に不満を感じたフィードがラックに視線を移すと、その横顔には微かに笑みが浮かんでいた。


「もっとその感動を言葉に表せよ」

「君が表に出しすぎるんだ。大人になるんだから、もう少し落ち着きを持ったらどうだ?」

「……ジジくさ」

「うるさい、ガキ」


 互いが互いを見つめたまま黙り込む。ゴロゴロと獣が喉を鳴らすような低い音だけが二人の間を通り抜けて行った。


「はっ」

「ぷっ」


 堪えきれなくなって同時に吹き出す。それがまたおかしくて、二人の笑い声はますます大きくなった。


「よーっし!」


 笑いを収めぬまま、フィードはだだっ広い道を横断し、小さな丘に向かって一直線に駆けていく。


「お、おい転ぶなよ。式に出る前に服をダメにしたんじゃ幸先悪すぎるだろ」

「へーき! へーき!」


 後ろから母親みたいな小言を言ってくるラックに手を振りながら、フィードは一気に駆け上がった。


「負けないからな!」


 顔ごと空を向き、両の拳を高く突き上げる。視界の端にラックを捉えて、そのまま言葉を続けた。


「大人になっても、絶対にラックに負けないからな!」

「なんだそれ。まさか今までも負けてなかったつもりなわけ?」

「そ、そりゃあ……」


 頭の中を思い出が駆け巡る。


(基礎的な魔力のテストではあと一歩ラックに及ばなかったし、魔法の詠唱ではラックの方が三つ多く覚えていたし、魔力技術ではラックがクラス一位だったし、魔界史はオレがクラス最下位で……)


 敵わなかった場面ばかりが思い出され、返す言葉が見当たらない。


「えーっと、えーっと……そうだ! 体力テストはオレの方が成績良かったよな!」


 勝っている部分をなんとか探し出し、うんと頷く。完敗ではなった。

 フィードとは違いゆっくりとした歩調で歩いていたラックが、ようやく傍までやって来る。


「というか、そういうことは空じゃなくて俺の顔を見て言えよ。面と向かって言えないなんてすでに結果が」

「負けないからな!」


 ずいっと顔を寄せ、今度は視線をぴったり合わせて誓う。

 一瞬目を見張ったラックは、すぐに笑みを浮かべた。その笑い方はなんとも挑戦的だ。


「望むところだ」


 変わらない友情を確信し合って、フィードたちは再び成人の儀会場への道を歩き出す。 ちょうどその時、一際大きな雷鳴が轟いた。

 その音がフィードには、福音(ふくいん)のように聞こえた。


 福音だと信じていたのだ――この時はまだ。




「……というわけで、彼は今でも英雄として私たちの心に深く刻まれているのです。皆さんも彼にならい――」


 二千強の椅子が向く先の壇上で、ベルベット生地の上質な上着を羽織った男性が荘厳な声を響かせている。

 今年五百歳を迎える者たちが招かれる成人の儀。フィードはその成人の儀第一部の真っ只中にいた。

 成人の儀は大きく二つの行程に分けられる。魔界のお偉いさん方のありがたぁいお話と、前世の記憶の授受だ。

 平均寿命が一万年を超えるのが悪魔という種であり、そうなると当然『偉い』とされる人間も増えていく。そのせいでありがたいお話の時間は年々増加し、今も成人の儀の参加者達を眠りへと誘うのに一役買っている。フィードの周りの参加者達も、椅子に腰を預けたままこっくりこっくりと船を漕いでいた。


「ふぁっ……長いな」


 あくびを噛み殺しながらフィードがそう言うと、隣の椅子に座るラックも深く頷いた。


「成人の儀のメインはこれじゃないだろうに。……さっさと終わらせろよ、何人出てくるんだまったく」


 壇上のお偉いさんは、儀式の主役達が飽きているのに気づいているのかいないのか、未だに長々と話を続けている。

 ラックと話しているうちに、いつの間にやら壇上の人物が交代していた。


「今日この後、君たちは前世の魂をその身に受け記憶を取り戻すことになるが、それだけで大人になったなどとは思わず、グレイグルンドのように英雄といわれるよう技を磨き――」

「二二人目だ」


 うんざりしたような声色でラックが言った。


「何が?」

「英雄の話を持ち出した人数」

「おまっ……そんなの数えてたのかよ。っていうか、二二人って……」

「ちなみに祝辞に登壇した人数は二五人な」

「……それだけ凄い悪魔ってことか」


 祝辞の中に登場する英雄・グレイグルンド。もう何十万年も前の悪魔であり、彼の生きていた時代を知る者はいない。しかしまた、現在の魔界で彼の名を知らぬ者もいないだろう。

 ――グレイグルンドが英雄と呼ばれるようになったのは、成人の儀に起こった事件がきっかけだった。

 成人の儀の二つ目の行程である前世の魂の授受をもって、悪魔は大人と認定される。逆に言えば、授受なくして成人にはなれない。成人には結婚や政治に関わる仕事に就くことが許されているが、成人できなかったものには永久に縁のないものになってしまうのだ。

 その重要な儀式が前世の魂を持たない者たちに襲撃され、参加者たちの前世の魂が強奪されそうになった。それを迎え撃って前世の魂を守り、参加者たちの人生を救ったのがグレイグルンドである。

 前世の魂は元々個人が持って生まれたものを取り出して五百年間保管しているだけであり、それぞれの悪魔に適合する前世の魂はこの世に二つとない。つまり失われれば二度と成人することができなくなる。それを阻止したグレイグルンドの功績は大変大きなものだった。

 この時の戦いで、巨大な魔力の衝突によって生じた時と場所の亀裂にグレイグルンドは吸い込まれ、帰らぬ人になった。その悲劇的な顛末も彼を伝説的英雄たらしめているのだろう。


「――これをもちまして、祝辞を終了します。続いて前世の魂の授与に移ります」


 司会者のあっさりとした声が会場に響く。どうやら全お偉いさんの話が終わったらしい。

 今まで眠りに落ちていた参加者たちも、ひとりまたひとりと顔を上げて前を向き始める。そうして全ての頭が上がったのと時を同じくして、壇上に縦に大きな箱が五つ用意された。

 視線が、集まる。

 ――あれだ。

 フィードも例に漏れず、箱に収められている前世の魂を思い、一心に箱を見つめた。

 いよいよだ。五百年前に別たれた魂が、もうすぐ戻ってくる。不完全な自分が完全になる。

 胸に熱が篭るのをフィードは確かに感じていた。


「嬉しそうだな」


 ラックの笑みを含んだ声に、「あったりまえだっ!」と大声を出しそうになるのを堪え、代わりに大きく三度頷いた。


「ラックだって嬉しいだろ?」

「あぁ。……でも不安もある。自分が自分でなくなる可能性だってゼロじゃないからな」


 五百歳まで前世の魂を切り離すのにはそうしなければならない理由がある。強すぎる前世の記憶は現世の成長に多大な影響を与え、最悪の場合、前世が肉体を乗っ取るような事態になるのだ。だから自我を成熟させるための期間として五百年間は前世を取り除き、前世に飲み込まれることのない個人に成ってから元の肉体に魂を戻す。しかし五百年というのは根拠のある数字ではなく、「多分大丈夫だろう」という推定値だ。しかも「大丈夫」というのは、前世が肉体を乗っ取らないという意味であり、現世の個性に微塵も影響を与えないということではない。

 フィードもその話を知らないわけではないのだが、不安よりも期待の方が大きかった。


「大丈夫だって」

「……だといいんだがな」

「ラックは心配性なんだよ」

「フィードは楽天的すぎる」

「皆さまこちらをご覧ください」


 エスカレートしかけたフィードとラックの言い合いは、司会者の発した声によって阻まれた。二人とも指示に従い前を向く。

 ラックに小さなコンプレックスがあることも影響して、フィードの心に一抹の不安が生まれた。けれどそれも大きな期待の前に、あっけなく吹き飛ばされた。

 心配したところで前世の魂を受け取ることは変わらない。そう考えて、フィードは悩むのをやめた。

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