三郎君の話
二人がそんな話をしている間にも、他のベータ族は二人を追い抜いて先へ先へと走って行きます。ふと、雷太郎君は大切な事を訊き忘れていたのに気づきました。
「そういえば、まだ君の名前を教えてもらってなかったっけ。ボクは太郎って呼んでもらえばいいけど、君は何て呼べばいいのかな」
「ああ、私たちにはあなたたち雷のように、名前というものはありません」
「名前がない!」
雷太郎君はびっくりしました。まったく予想していなかった返答です。
「名前がないのならどうやって呼びあうの?」
「私たちはお互いに呼びあうことはまず無いので、名前はそれほど必要ではありません。それに名前はありませんが識別用の個別番号なら付いています。私は20170802ヨムカク5536です」
「えっ、えっ、さんろく!」
目をパチクリさせて復唱する雷太郎君。あまりにも長いので最後の方しか頭の中に残っていません。
「そ、そんなに長いと困っちゃうなあ、とても覚えられないや」
雷太郎君は困惑しました。これでは覚えるまでにかなりの努力を必要としそうです。それにようやく覚えたとしてもこんなに長い名前をいちいち呼び合っていたのでは、不便な事この上もありません。
「さんろくかあ、さんろく……それなら
「えっ!」
そのベータ族は口を開けたまま絶句しています。雷太郎君は首をかしげました。
「気に入らないかなあ。いい名前だと思ったんだけど」
「い、いえ、とんでもありません。ただ、あんまり急だったので。三郎ですか。ありがとう。その名で呼んでください。ああ、今日の私は本当に幸せです」
三郎君は目を閉じてしみじみと言いました。
「雷に会えただけでなく、名前まで付けてもらえるなんて。こんな落ちこぼれで出来の悪い私が……太郎さん、本当にありがとう」
三郎君は雷太郎君の近くに寄ると右手を差し出しました。雷太郎君も右手を差し出しお互いに手を握りました。雷太郎君はその手を通して暖かいものが流れ込んでくるような気がしました。地上へ来て、単に出会っただけではない、初めて心を通わせ合えた親友……それは雷太郎君にとって大きな力でした。やはりベータ族に会って正解だったのです。自分をベータ族に会わせてくれたあの声の主に、もう一度感謝せずにはいられませんでした。
雷太郎君は手を離すと三郎君に訊きました。
「ねえ、三郎君、ボク、今まで不思議に思っていたんだけど、君たちベータ族はいったいどうしてあんなに急いでいるの。みんなとお喋りする暇もないほど何を急いでいるの。それにさっきの変電所っていうのは何だったの。もしよかったら今度は君たちの話をしてくれないかな」
「ああ、そうですね」
三郎君はもっともだという顔をすると話し始めました。
「確かにあなたたち雷からすれば、私たちベータ族は奇妙に見えるかもしれません。でもそれは仕方無いのです。なぜなら私たちベータ族は人間によって作り出されたのですから」
「人間に作られた、だって?」
「そうです。人間の役に立つために、人間によって作り出されたのです。ですから人間の四つの法則に縛られて、互いに触れ合うこともできません。近づいて握手をしたりお喋りを楽しんだりしないのは、それができないからです。ベータ族は近づけば互いに反発し合います。近づけば近づくほど反発力は大きくなります。ですから誰もが一人です。ただ自分だけを見つめ、孤独に耐えて進んでいくしかないのです。私が初めて太郎さんと出会った時、凄く驚いた理由がこれで分かったでしょう。ベータ族同士が体を触れ合うなんてこと、絶対に不可能なのですから。それが可能なのは四つの法則に縛られない荷電体だけ。でも、まさか本当に雷だったなんて、今でも信じられないくらいですよ」
三郎君は本当に嬉しそうです。勇気を出して声を掛けてよかった、雷太郎君はそう思いました。
「じゃあ三郎君たちはこの電線の外には出られないの?」
「はい。私たちは好きな場所へ移動する自由を与えられていません。この電線が人間によって決められた私たちのコースです。ここから外れてはならないのです。たまにこのコースから外れてしまうベータ族もいますが、もしそうなったら、もう二度と真っ当なベータ族として生きることはできないでしょう。私たちはこのコースの中で様々な知識を吸収し、人間の社会の役に立たせるのです。最も優れたベータ族とは、最も人間の役に立つベータ族なのです。ですからもうみんな必死です。最も優秀なベータ族になること、これが私たちの一番の関心事ですから、他の事はどうでもよくなってしまいます。どうすれば他のみんなよりも優れた存在になれるだろうか、他のみんなは笑い者にされても自分だけは笑われないで済むだろうか、どうすれば自分は失敗せずに済むだろうか、他のみんなよりも得ができるだろうか、こんな事で頭が一杯なので、誰かが泣いていても一緒に泣いてあげることもなく、誰かが喜んでいても一緒に喜んであげることもなく、ただひたすら速く前に進むのです。そう、速く行けば行くほど、エネルギーの損失が少ないのでそれだけ有利なのです。だからみんな他のみんなより少しでも有利になるように、あんなに急いでいるのです。この電線の中で、できるだけたくさんの知識を――それが役に立つかどうかは関係なく――とにかく詰め込めるだけ詰め込みながら、このコースから決して外れることなく、狂ったように前へ前へと走り続ける、これが私たちベータ族なのです」
三郎君はそう言うと顔を下に向けて大きく息を吐きました。そしてそのまま黙ってしまいました。雷太郎君は三郎君の話を聞いて、何と言えばよいか分からなくなってしまいました。そうしてしばらくの間、二人とも何も言わずに電線の中を流れていました。たくさんのベータ族が相変わらずびゅんびゅん走って行きます。そんなベータ族を見ながら雷太郎君がつぶやきました。
「何だか……悲しい話だね」
雷太郎君の寂しそうな声。三郎君は顔を上げました。
「太郎さん、私はあなたに会えて本当に良かったと思っています。何か全く違う新しいことに気づいたような気がするのです」
「そ、そうかなあ」
雷太郎君は照れくさそうに笑うと言いました。そして自分も三郎君と友達になれて本当に良かったと思うのでした。
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