真名館、ワタルと剣道~天才剣士と努力剣士
はやしばら
本編
第一章
01-1/5
竹刀の先、お互いの間合いを計る。
そして、お互いのアァァ!! という咆哮が道場に響いた。
ここは小さな道場、真名館。
その気迫は、子供だというのに一種のプライドを掛けた大勝負。
ワタルは、手首を軽く捻ることで、竹刀の先だけで相手である菊池へと牽制を送る。
そして――
「メ―――ン!!」
咄嗟に軽く振りかぶり、右足を踏み出す。
菊池が弱気に左足を下げたのをワタルが見逃すワケがない。
そうなると、足がつんのめり、竹刀で防ぐことしかできなくなる。
反射的に竹刀が――その小手先が浮くのを経験上、ワタルは理解していた。
「コテ――ッ!!」
審判を仕切る大木田館長の白い旗が挙がる。
「小手アリ!! ソレマデ!!」
二人は向き合い、竹刀を収め、後ろへと下がる。
そして、一礼。
剣道はそう、礼に始まり、礼で終わるスポーツ。
そのことを子供たちは理解していても、いなくてもそれがルールであり作法。
だが、礼が終わった瞬間――
「ヨォォシ!!」
と、ワタルはガッツポーズを決めた瞬間だ。
「――おい、ワタル」
館長はニコニコしながらワタルを手招きした。
最近、成長しきれない彼らに、大木田は少し枯れた花のようになっていた。
試合が終わり、面紐を素早く外したワタルは館長が待つ神前へと向かう。
「どうしましたか館――」
だが――
「このバカヤロォォォ!!」
耳がキーンとするほど張り詰めた館長の声が道場に響き渡った。
「――う、ウルセェェよ木偶の棒、薄ハゲジジイ!!」
「誰がハゲだ! まだ生えとるわい……」
少し弱気になったが、咳をしてゴマかす。
「ワタル、前も言ったよな? 試合が終わった後ガッツポーズをしちゃダメだ。
剣道というのは礼儀作法……相手を重んじる武術だと何度言ったらわかるんだ?」
そう、彼がこう言われるのも一度や二度の騒ぎではない。
ついこないだの大会のときもそうだった。
市内小学生剣道大会個人に出場したワタルは、この勘の鋭さと小学生とは思えない忍耐能力だけで決勝まで勝ち進んだ。
だが、彼の悪い性格が仇となる。
お互い一歩の引かない戦い、そのまま延長戦へと縺れ込んだ試合。
それでも、体力に自信のあるワタルが取った作戦。
それは相手の連続で撃たれる剣先が鈍る瞬間――どうしても、一本をせがむ態度には限界がある。
その乱れ撃つ剣裁きの中、相手が無理強いな面での突進、そこに狙いを付けた。
潜り込むように竹刀を寝かせて相手の懐へ、
「――コテェェ!!」
それは、あまりにも賭けに近い勝利だった。
だからこそココで、ワタルのワタルらしい最大の弱点が浮き彫りになる
「ヨッシャーァァァ!!」
と叫び、ルンルンとワタルが白線へと戻った矢先だった。
今まで上がって審判の赤旗が下斜めになる。
「反則二回、減点一、勝負あり!!」
その瞬間、ポカンという顔で、何もわからぬままワタルは礼をする。
剣道では、試合中にガッツポーズをすることは禁止されている。
剣道は元が武士道、相手を重んじるスポーツだからだ。
もしガッツポーズをした場合、そのとき取った点は無効になる。
減点という処置は大変珍しいことだが、それだけワタルの行為は剣道を軽んじた行為だと言える。
その後ろで大木田館長も心の中で堪忍袋にも似た亀裂が狼狽していたのは言うまでもない。
思えば、およそ十年ぶりの喉から手が出るほどの快挙をミスミス逃したことになる。
それからというモノの、大木田はワタルの喜びクセをなくす特訓をしているが……それが、逆効果になる可能性を恐れていた。
それは、大木田館長の一存でもある。
子供たちには剣道は楽しく、気持ちよくやってもらいたい。
よく剣道は常識の作法として教える人間は少なくない。だが、実際のところ子供に肩苦しく礼儀を教えたところでそれは縛りでしかない、と大木田は考える。
実際になぜ礼が必要か理解できなくても、気持ちよくスポーツを行うことで、相手を思いやる心は自然に身につくモノだ。
そして、思いやりを知れば、齢上の者を敬う気持ちはずだ……と、今までは考えていたのだが――
この絵にかいたような少年、岡崎ワタルだけは違う。
剣道を思う気持ちが人一倍デカく、礼儀作法もスポーツとしてとらえている、それだけ見ればもっともらしい剣道少年。
しかし、彼の弱点――ワタルは自身の感情に嘘が付けない性格なのだ。
「あ――、スミマセン。つい、うまく小手が入ったのが嬉しくて……」
そう、ボサボサとした髪をワタルは掻く。
「……あのなぁ? ガッツポーズをされた相手の気持ちを考えてみろ?」
「う……ん、いや、悔しいな」
「そうだろ!? 負けてガッツポーズされたら悔しんだよ」
「いや、それは違うよ」
「……え?」
ワタルは堂々と大木田館長へと凝りもせず、言葉を繋ぐ。
「負けた以上に悔しいことはないよ。
でも、それで相手が喜んでいたら、それはそれで嬉しいと思うけどな……」
ああ、なるほど……と、大木田も考えてしまう。
だが、そう言い包められたからって、そのルールを外れた教えを納得するワケにはいかない。
「それも一理あるな。――だけど、人によってはとても悔しいんだ。
勝った側は、負けた側の気持ちを重んじるのが武士道ってもんなんだよ」
「……そっか、武士道か……。それなら、仕方がないかな」
そう武士道というワードにワタルは心を惹きつけられる。
この道場は、大木田のずっと前の先代には、本当の武士が剣術を習うために教えを説いていた。
それを引き継いで今も尚、スポーツ剣道と言われる時代でありながらも、ここで教えるのは子供であっても大人であっても由緒正しき武士道。
「いつも読んでる三つの心があるだろう?
ワタル、もう一度読んでみなさい」
「え……あ、はい」
渋々ながら、神前に飾られた古ボケた家訓をワタルは見上げて音読し始める。
「はい、という『素直な心』
スミマセンという『反省の心』……
ありがとうという『感謝の心』…………」
そう、読むたびにバツが悪いように、ワタルは縮まっていく。
なにやら、言われることに察しが付いたのだろう。
「もう、俺が言いたいことはわかるな?」
「あ……はい」
この『三つの心』はこの道場が建てられてから、ずっと存在するモノ。
それは、本来の三つの心と異なる言葉は初代から変わることなく引き継がれている。
この教えは他の道場と異なる教えではあるが、その違いについて大木田でさえも知る由はない。
それはともかく、ワタルが考えるだけでそのすべてが自身に欠けていると思うと場が悪くも感じられた。
「まあ、次からはそれに趣くようにしてくれ。
一度、今日の練習は終了――全員、位置についてくれ」
そう大木田が号令を掛けると、小剣士たちは騒めきながら、次第に一列に正座。
終わりの礼が終えると、大木田はそのまま明日行われる積年の長きに渡る争いについて語り始めた。
「今日道場を開いた理由はみんなわかっているだろうが……。
明日は、ココ『真名館』と『越谷茜小学校剣道クラブ』で通例の練習試合をする。
各館の高学年代表の五対五の団体戦だ。
……それで、今回は絶対に負けたくない。
次から呼ばれた奴は、大きな返事、それとこの道場を代表として試合に励んでくれ」
前回……のことを大木田を含むここに今いる高学年の連中が忘れるはずがない。
と、言うのも惨敗も良いトコロだった。
結果は1対4……。
交流と実戦経験による練習意欲の向上のためにふた月に一度のペースで執り行われる交流戦だが、それを競わせる大人たちも真剣の眼差しで立ち向かう。
なぜなら、勝敗を決める以上負けっぱなしが腑に落ちないこともありながら、親御さんにもその姿を見せつけることに大木田は遺憾を感じている。
なにより、『クラブ』と名が付いた剣道を楽しくやろう的なチームに負けること自体が甚だしい。矛盾にも似た感情がそこにはある。
そして、とうとう今日負けることで丸々一周年の負け試合が決まる。
大木田はこの緊急事態に待ったを掛けるべく、この日、普段なら練習のない金曜の夕方、時間が作れる生徒たちに招集を掛けたのだ。
一同が、一度大きな返事をした――そして、大木田は準備していた果たし状のように折り曲げられた全紙を広げて読み上げ始めた。
「高学年の部――、先方、相川……」
次々とポジションが名前が挙げられていく中、ワタルは息を呑む。
勝率だけが団体枠に入れる条件ではないことを子供ながらに理解している。
実際に、さっきのような反則で負けた次の大会ではワタルは反省の意を込めて、ポジションを貰うことはなかった。
だから、最後の大将が読み終えるまで、その胸の高鳴りを抑えることができない。
次々と同級生たちが規律の良い返事をした。
いつの間にか、副将の名が挙げられると、残るは大将のみ。
「大将――、」
思わず息を呑むが――大木田も演出なのか一度周りを見渡した。
「岡崎ワタル……」
そう呼ばれた瞬間だ――
「え……はい」
思わず拍子抜けする返事。
今までの緊張が解けるように嬉しいはずなのに、どうしてか大声を上げることができないワタルがいた。
「あ――、諸刃の剣だけどな……反則は多いし、礼儀もたまに忘れる……。
だけど、この中で一番強いのは確かだ」
認めたくない部分も少なからず存在する。
だが、恥を垣間見ず大木田はそのことを述べた。
それに、なんだかんだで岡崎がこの中で一番剣道が好きだ……というのもわかっているつもりだった。
自分なりの剣道、それが見つけられいる彼なら主将に抜擢しても――
「――しゃあぁぁぁ!」
思わぬ水が背中に流れていたのは、岡崎も大木田も変わらない。
だが、それだけ負けたくない試合――大木田はそんな彼の個性を今回だけは呑み込むことにした。
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