【公募用】タイトルはまだない

柿木まめ太

プロローグ

 隣に座る男は最初、離れたカウンターの端っこに居た。いかにもうらぶれた中年男で、けれど顔は優しげなもので女にモテそうだった。水商売の女が面倒を見てくれると聞いても、さして驚かなかった。

 役者をしていて、主演を張った作品も一つだけあると言っていたが、タイトルに聞いた覚えはなく曖昧に誤魔化した。こちらも代表作の名を上げたがきっと彼の知らない泡沫作家だ。


 売れない三文作家と売れない役者崩れの息がぴたりと合うのは、これはもう致し方ない話ではないかと思う。うらぶれた男同士、酒が進み、話が弾み、気付けば三軒目へ行こうと肩を叩き合っている。

 彼の紹介のその店は、うらぶれた二人に見合いのうらぶれた酒場で、陰気なママが一人カウンターの奥で煙草をぷかぷかやっていた。年季の入ったというより老齢に差し掛かった女だ。しわの目立つ風貌は真っ白に塗られ、時代遅れなメイクの瞼が孔雀のようだった。

 一人で切り盛りしているものか、店もママと同じにくたびれて年季の入った様相で、壁紙から床のカーペットに至るまでが煤けてうらぶれ、余計に店を薄暗く見せた。ママは耳が遠く、物忘れも激しく、オンザロックを頼んでも一向に作ってくれない。けれどどういうわけか居心地は抜群に良かった。

 常連だけでもっている店は気安くて、だから彼もこんな珍しい話をする気になったのかも知れない。聞き手の男が作家だと聞いた時から、あるいは話したくてうずうずしていたものだろうか。

 もし書く気があるなら一冊献本をお願いするよと言い置いて、彼は不思議な体験談を聞かせてくれた。


 ある屋敷の住民たちに纏わる話で、そこがどこにあるかは堅く口止めされている。どこか片田舎の話でなく、都会のど真ん中にある大きな屋敷だとだけ教えられた。

 その屋敷には、三人のドールと一人の、下半身麻痺の御主人様とが住んでいたそうだ。その当時から売れない役者だった彼、仮に名を付けよう、近衛正孝(このえまさたか)はその時、久々に金の話を受けていたという。

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