第10話 夜明け

「なんで遊園地なんですか? しかも今、夜明け前ですよね? どうやって入ったんですか?」


いつまでたっても止まったままの観覧車を不審に思ったのか、彼女が訪ねた。


「さっきまでの君が来たいって言ったんだ。遊園地に入るのは力を使えば簡単だった」


「会ってたんですか? 記憶が戻る前の私に?」


「一週間前からだけどな」

やっぱり彼女にこの一年間の記憶はない。

当たり前のことだけど、少し胸が痛む。


そうしてさっき託された物を思い出した。

これも俺の、忘れちゃいけない記憶だ。


「これ、三十分前の君から。君に渡してくれって頼まれた」

手にした茶色い封筒を彼女に渡す。

中身は知らない。

結局、最後まで教えてくれなかった。


「なんて書いてあるんだ?」

中身を見た瞬間に、動きが止まった彼女が気になって声をかける。


「……内緒です」

いたずらっぽく笑う彼女に、少し見惚れてしまった。


「……名前、なんていうんですか? まだ、聞いてませんでした」

確かにそうだなと思う。

俺たちはずっと、名前も知らないまま一緒にいた。

一年越しの自己紹介なんて、なんだか笑える。

今更、少し気恥ずかしいな。


「藍月 涼介」

自分の名前なのに、なんだかおかしな感じがする。


「涼介さん…… あなたに、ぴったりですね」

彼女に言われるとなんだか照れ臭い。

彼女の一言一言が耳に響いて、それがとても愛おしい。


本当はもう知ってるけど、「君は?」と迷わず尋ねる。

彼女の口からしっかり聞きたい。


彼女は、少しもったいぶるかのように間を置いた後、ようやく口を開いた。


「私は、柑露寺 蛍です」


「……柑露寺 蛍」

その名前はすんなりと、口から滑るように出た。彼女が呼ぶ俺の名前も、耳によく馴染んだ。


観覧車の窓からは朝日が差し込んできていた。

眩しい、朝を告げる合図が。


ああ、やっと夜が終わる。

俺たちの長い長い夜が。


心臓の音が聞こえた。

二人の心臓の音が、重なって、響く。


今まで一番、最高に実感する。

俺たちは生きていると。

もう、何回目だろうか?

この生の実感は、全部彼女がくれたものだった。


あの日を思い出す。

後悔しないようにと、一筋の光を目指して前を向いたあの日を。明日に向かったあの日を。


「涼介さん」と彼女が沈黙を破った。


「次はどんなわがまま、聞いてくれます?」

「なんでもいいよ」

「やった」


いつの間にか観覧車は動き始めていた。

これを降りたらどこに行こうか?


どこだっていい。どこだって行ける。

彼女となら、どこまでだって行ける。

彼女となら、どこまででも生きて征ける。

あの日感じたその思いは、間違ってなかった。


光を目指してどこまででも行こう。

精一杯、後悔しないように、前を向いて。


そうして夜が明けた。

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最適な時間の戻し方 湯浅八等星 @yuasa_1224

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