最適な時間の戻し方

湯浅八等星

第1話 夜

もし仮に時間を巻き戻せたとして、それがなんだというんだ?


そんなものなんの役にも立ちやしない。

いや、役には立つのかもな。

それでも、この能力を持つことによって、失うものの方がきっと多い。


「あぁ! ふうせん〜」

甲高い泣き声が耳に響いた。


どうやら子供が風船から手を離して飛ばしてしまったらしい。


仕方がない、そう思いながらいつものように念じる。


時間を戻るのは、そう難しいことじゃない。

ただ、少し手に力を入れ、そうして念じる。

戻れ、と。


ほら、戻った。簡単でしょ?


少年が風船を離す瞬間まで戻る。

それだけで本当に簡単に、風船は俺の手に収まった。


「わぁ! ありがとう、お兄ちゃん」

「いいよ。もう離すなよ?」

「うん!」

そう言うと、少年は勢いよく走り去っていった。


と、まあ、時を戻す力なんてこんな風に使うのが関の山。

これ以上の使い方なんて、身を滅ぼすだけだ。


「優しいんですね」


突然聞こえた声が俺に向けられていると気づいたのは少ししてからだった。

振り向くと同い年くらいの女の子が立っていて、結局俺は変な間の後に言葉を返す。


「別に、ただ風船をとっただけだろ? たいしたことじゃない」


「でも、時間を戻してまでわざわざとってあげるなんて……やっぱり優しいですよ」


彼女の言葉に、心臓がドキンと跳ねたのがわかった。

俺の聞き間違いか?

だとしたら自分の聴力には不安を隠せないが、それならいいんだ。

でも現実はそう簡単にはいかなかった。


「なにいってるん——」

「だから、戻したじゃないですか、時間」


どうやら聞き間違いではないらしい。

聴力への自信は取り戻せたが、代わりに他の問題が発生したみたいだ。


「戻りましたよね? 見てましたよ。タイムリープってやつですね」


「なんで……なんでわかったんだ?」

声が震えているのが自分でもわかる。

生まれた時から持っていたこの能力、今まで誰かにばれたことなんてなかった。

というより誰も気づいてなかったんだ、時間が戻ったなんて認識できたやつは、今まで一人もいなかった。

それなのにどうして?


「簡単なことですよ。私もできるんです、時間の巻き戻り。だからわかりました、あなたが時間を戻ったことも。というより、あなたと一緒に私も戻ったんです、勝手にですけど」


彼女は事なげにそう言ったけれど、俺は到底信じる事ができなかった。

時間を戻すなんて……とは言わない。現に俺だってできるしな。

でも、俺以外にできる人には会った事がない。


「信じられませんか?」

「少し」

嘘。本当はだいぶ。

「どうすれば信じてくれますか?」

「いま、戻してみてくれよ。俺が時間を戻した事が君にわかるなら、その逆も成り立つはずだ」

彼女の話が本当ならだが。


「それは無理です」

「どうして?」

「もう戻ってるからです」

一瞬彼女が何を言ってるのか理解できなかった。

彼女の答えは思ったよりも大胆で、俺の想像を遥かに超えるものだった。


「私、一年後から来たんですよ」

ニコニコしながら話す彼女に、言葉が詰まる。

どういう反応をしたらいいかわからない。


「驚きました?」

「驚いたというより信じられない」

「なんでですか?」

「一年も戻すなんて聞いたことがない」

「あなた以外にこの能力を持ってる人がいるんですか?」


「いない」と思わず口から漏れてしまう。

「だったらわからないですよね」

彼女の言うことはもっともなのかもしれない。

だとしても、やっぱり信じることはできなかった。


一年も時を戻る。考えたことはあるけど、いつもやってみようとは思えなかった


「なんで一年も時を戻ったんだ?」

信じられないと言いながら、結局俺は彼女が時を戻った前提で話し始めていた。

まあでも、多分それでいいんだ。

そうでもしないと話が進まない。

「信じることから始めよう」なんて誰かが言ってただろ?

そういうことだ。


「嫌になったんです。受験とか進路とか、そういうの考えるの。高校三年生の夏は私には息苦しすぎたんです」

彼女は重いものを全て吐き出すように息をついた。

「だからここはパーっと戻っちゃおうかなー、と思いまして……」

あっさりと、ただただあっさりとそうはにかむ彼女は、何故だか美しく見えた。


受験、進路。 その言葉に、夏休みに入る前担任に渡された、進路希望調査用紙を思い出す。

未だ役割を果たすことなく白紙のままのその紙は、俺を縛り付けるようにポケットに押し込まれていた。


「真っ白なキャンパスにはなんでも描ける」

そんな言葉は嘘だ。

いくら白くたって、色付ける絵の具がなければ何もできない。

あいにく俺はそんなもの持ち合わせてなかった。

あの能力で俺は生まれた時に色を奪われたんだ。

俺だけじゃない、みんな色を奪われて生きている。性別、年齢、学歴、その他諸々、たくさん色を奪われて、それで自由だなんてよく謳えたもんだ。


そんな中で急に真っ白な未来を押し付けられて、何かを描けなんて言われて、そんなことできるわけがない。そんな白は黒と大差ないんだ。


進路なんて見えなくて、俺たちは白という闇に飲み込まれている。

光を求めて、夜明けを求めてどれだけもがいても抜け出せずに。


だから俺には彼女の気持ちが痛いほどわかる。

「ええと……信じてくれました?」

伏し目がちに聞く彼女に、俺は二つ返事でイエスと返していた。

さっきまであんなに疑っていたのに、たったそれだけのことで、確証なんてなくても俺はいつの間にか彼女を信じきっていた。

単純かな?

きっとそうなんだろうな。


彼女は「そうですか、よかった」と息を吐くと、続けてまたとんでもないことを言い出した。


「じゃあ、そんな優しいあなたにお願いがあるんです」

「お願い?」

その少し上がった口角に俺はもっと注意するべきだったのかもしれない。

「はい、簡単なお願いです」

だけど、残念ながらもう遅かった。

もう、彼女の口は開かれてしまった。


「私とデートしてください」

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