奇談その二十五 最高のカメラ

 人混みが嫌いな私は連休中には何処にも出掛けずに家で過ごそうと思ったが、付き合い始めて三年になる彼女は私の出不精を許してくれず、連休のど真ん中、無理矢理引き摺り出されて銀座に連れて行かれた。

 彼方を見ても此方を見ても、人、人、人。いい加減辟易した私は何処かに逃げ込めないかと思い、辺りを見渡した。するとお誂え向きの避難場所を発見した。其処は表の喧騒とは隔絶したような静かな所で人が全く居なかった。

「いらっしゃいませ」

 奥からしわがれた声が聞こえた。中は外の明るさに慣れた眼にはやや暗い照明しかなく、奥から挨拶をしてくれた男の容貌がはっきりするのに若干時間がかかった。そして其処が写真の個展を催している貸しフロアだと分かった。

「ようこそおいでくださいました。何れも自信作です。じっくりご覧ください」

 男は聞き取りにくい声で言った。私は愛想笑いをして、直ぐに出るつもりだったが、一番手前にあった風景写真を見て息を呑んだ。それは写真とは思えなかった。窓だった。窓から実際に自分の眼で観ているかのようなものだったのだ。

「なかなかのものでしょう?」

 男は得意そうに言ってのけた。確かにそうだった。もしかして高名な写真家なのだろうか? その方面に疎い私は男の顔に見覚えがない。彼女は高校時代写真部だったと聞いていたので、知っているかも知れないと思い、尋ねようと振り返ったが、いつの間にか居なくなっていた。

「これだけのものを撮るのに随分苦労をしましたよ。南米やアフリカにも足を運びました」

 男は奇妙な事を言った。写真はどう見ても日本国内の風景だ。どうして南米やアフリカに行く必要があったのだろう?

「これ程の鮮明さを出すためには優れたレンズが必要ですからね」

 男はそう言いながらカメラを持ち出して来た。もしかしてカメラを売りつけるのかと思い、警戒していると、

「アフリカの奥地でやっと手に入れたんです。お陰で最高のカメラになりました」

 男が見せてくれたカメラのレンズは人間の眼球そのものだった。私は呼吸が止まってしまう程驚いた。

「貴方もお一つ如何ですか?」

 その言葉を聞き終わらないうちに私は気を失っていた。

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