奇談その八 丘の上の病院

 二郎は生まれつき身体が弱い子である。日本の敗戦が濃厚になってきた昭和十九年、当時は不治の病の結核にかかり、彼はある高原の療養所サナトリウムにいた。周りは皆結核の患者で、何時まで生きられるかわからない。二郎もそうだった。思うように医療物資も食料も入手できなくなり、大人達が戦争の行方を心配する中、二郎は毎晩のように夢に出て来る丘の上の病院の事を思い出していた。その病院は真っ白な壁で、開け放たれた窓から壁よりも白く見える顔をした長い髪の可愛い少女がこちらを見ている。浴衣姿の二郎は丘の中腹にポツンと立っているが、何故そこにいるのかわからない。

「はやくこっちに」

 少女が微笑んで手招きする。二郎は微笑み返して歩き出すが、少女の手を取ろうとしたところで目を覚ます。それを何日も繰り返していた。あまりに不思議だったので、彼の身の回りの世話をしてくれている看護婦にその話をすると、

「それはきっと死の国の人よ。貴方の命を奪おうとしているに違いないわ。だからいくら呼ばれても行ってはだめよ。行ったら貴方はその子に取り殺されてしまうわ」

 何故か怖い顔で言われた。更に看護婦は二郎の両肩を強く掴み、

「いい? 約束よ。絶対に行かないって誓って、二郎君」

 有無を言わせぬその言葉に黙って頷くしかなかった。爪が肩に食い込むようでひどく痛かった。

 二郎はその夜、また同じ夢を見た。同じように長い黒髪の少女が微笑んで手招きする。

「はやくこっちに」

 二郎はふと看護婦の言葉を思い出し、

「僕に構わないで!」

 大きな声で拒絶するときびすを返して丘を駆け降りた。夢の中なので、自分でも驚くほど速く走れた。

「だめよ、二郎、そっちに行ってはだめよ!」

 背後で少女が叫ぶのが耳に届いた。すると二郎の目の前に突然切り立った崖が現れた。二郎は勢い余ってそこから転落した。落ちながら、彼は全てを悟った。少女は数年前に丘の上の病院で結核で亡くなった姉、担当の看護婦だと思った女性は見た事もない顔だった事を。

(ああ、僕は死ぬんだ)

 そう思い、泣いた。彼は確かに命を落とした。だが、それは結核が原因ではなく不審火による焼死であった。

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