第26話 黒い唇

「むかしある国の田舎にお金持の百姓が住んでいました。百姓には兵隊のシモン、肥満ふとっちよのタラスに馬鹿のイワンという三人の息子と……」


 深夜の書斎に本を読む声がする。明かりは燭台にロウソクが二本。本を手にするのはジョセフ・カッパーバンド。その机の上には蓋の開いたガラス瓶。闇の詰まったガラス瓶。


「読むのは構わないのだが」ジョセフは一息ついた。「おまえは理解できているのか」


 瓶の中の黒い何かは、うなずくように波紋を描いた。


「そうか。理解できているのなら良い。ただ、少し時間がかかるな。もう少し効率的に情報を与える手段がないものか」


 すると、瓶の中の黒い何かは、ぬるぬると瓶の中から出て来ると、突然ジョセフの手に持つ本に飛びついた。


「あ、こら何をする」


 そしてページを一枚びりびりと破ると、その漆黒の身の内に飲み込んでしまった。その直後、その黒い表面に唇が現れ、声を発した。


「……お前はうちのためになることを何もしたことはない。それにどうして三分の一やることが出来よう。第一イワンやマルタにすまない」


 ジョセフは驚いた。


「ほう、そうやって読むことが出来るのか。どれ、ひとつ」


 ページを一枚破り取ると、ジョセフはそれを黒い何かに沈めた。黒い唇が震える。


「ところが、それを年よった悪魔が見ていました。悪魔は、兄弟たちが財産の分け方でけんかをするだろうと思っていたのに、べつにいさかいもなく、仲良く別れて行ったので大へん腹を立てて……」


 飲み込んだページを読み上げる黒い何かに、満足そうにうなずくと、ジョセフはこう言った。


「知識は知恵を生み出さない。いくら知識を増やしても、それだけでは知恵は訪れない。だが知識は道具だ。知恵を得たとき、それを活かすためには必ず知識という道具が必要になる。ワシの書斎には人類の築き上げた、その無形の道具が満ちあふれている。それをすべておまえにやろう。人類の叡智をおまえに託そう。それを使って、どうか人類を導いてくれ。この通りだ、頼む」


 頭を下げるジョセフに対し、黒い何かは喜びを表すかの如く、その表面にさざ波を浮かべた。そして本のページを次々に破り取ると、貪り喰らうように次々に飲み込んで行った。

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