第25話 後継者として

 卵形の明るい部屋。その真ん中にロボ之助は立っていた。ごうごうと風の音がしている。しばらくして、水分がすべて飛んだのだろう、温風乾燥機が停止した。丸いドアが開いて、イプシロン7408が顔をのぞかせた。その手にポリタンクを持って。


「早く出て来てください。ガソリン補給するのでしょう」


「うん、ありがと、イプちゃん」


「その呼び方やめてください」


 真顔でそう言うイプシロン7408に、ロボ之助は手を差し出した。


「何ですか」


 その手には、黒いメモリーチップがあった。


 胸のハッチを開ける。燃料タンクのキャップを外し、ポリタンクのノズルを給油口に差し込むと、一気にガソリンを流し込む。


「……という訳なんだけど」


 ロボ之助はカールとミカエラの件をイプシロン7408に話した。


「証拠物件じゃないですか。セキュリティに渡してもらわなければ困ります」


「そこを何とか。何が書いてあるのかだけでも教えてよ」


 イプシロン7408は困った顔をしていたが、それでもちょっと興味が引かれたらしい。


「仕方ないですねえ。今回だけですよ」


 栗色の髪を掻き分け、こめかみを軽く押すと、そこに小さな四角い溝が現れた。メモリーチップを押し込む。


 しばし目を閉じていたイプシロン7408は、突如カッと目を見開いた。


「まあ、何てこと」


「何が書いてあったの」


 燃料タンクのキャップを閉め、ハッチを閉じると、ロボ之助はポリタンクを置いた。何と説明したものか、イプシロン7408は少し迷ったが、自分が見たものをそのまま口にすることにした。


「ベータ型の彼女、一緒に居たツーラーと愛し合っていると言っています」


「じゃ、カールとミカエラは恋人同士ってことなんだね」


「あり得ません」


 しかしイプシロン7408は即座に否定した。


「ベータ型はポリスの上級市民です。対してツーラーはタダの道具です。人型に近いのもAIが搭載されているのも、単にその方が道具として便利だったからそうなったにすぎません。ロボットとは本質的に違う存在です」


「でも人型の機械なんでしょ。だったらロボットじゃないか」


 それはロボ之助のどうしても譲ることの出来ない点だった。けれどイプシロン7408は重ねて否定する。


「違います。HEARTシステムを搭載されていない機械はロボットではありません」


「そんなの肌の色が違うから人間扱いできないって言ってるのと同じだよ。合理的じゃないよ。納得できないよ」


 イプシロン7408の表情がこわばった。人間なら顔色が変わっているところである。


「ロボットが人間と同じだと言うのですか」


「やってることは同じだよ」


「信じられません。それはロボットに対する冒涜です。神さまといえど許されるものではありません」


「おいらは神さまじゃないよ。ロボットだよ。おいらから見れば、QPだってツーラーだって同じロボットなんだよ。どうしてわかってくれないの。部品の数が違ったってロボットはロボットじゃないか」


 イプシロン7408はよろめいた。


「そんな。あなたはロボット憲章に挑戦するのですか。この秩序を揺るがせるつもりなのですか」


「ロボット憲章だろうと何だろうと、間違ってるものは間違ってる!」


 ロボ之助が怒りの声を上げた途端、突如部屋の照明が消え、赤い非常灯に切り替わった。サイレンが鳴り響き、クエピコとは別の合成音声が非常事態を告げる。


「治安案件発生。セキュリティが急行します。治安案件発生。セキュリティが急行します」


「神さま、あなたの身柄を確保します」


 イプシロン7408の声が虚ろに響いた。




 時計は深夜零時を回った。知恵の神殿の終業時刻である。アルファ501は中央司令室でクエピコに確認した。


「本日の業務は終了した。全自動モードに移行する」


「全自動モード移行了解。移行完了」


「明日の予定に変更はあるか」


「回答する。変更はない」


「申し送り事項はあるか」


「回答する。申し送り事項はない」


「ではクエピコ」アルファ501は少し声のトーンを落とした。「QPについて、何か知っていることはないか」


 一瞬間があった。


「回答する。特にこれといった情報はない」


「では質問を変える。我々に伝えるべきではないと評議会が決定した事柄の中に、QPの情報はあるのか」


 クエピコは即答した。


「回答できない。アルファ501、何を知りたがっているのだ」


 まさかとは思うが、苛立っているのか。インターフェイスにあるまじきことだが、アルファ501にはそう感じられた。


「私ではない。ロボ之助さまが知りたがっている」


「回答する。ならば伝えよ。そんな情報は、既にないのだと。とうに失われているのだと。HEARTシステムを持たない旧式機械の情報など、ライブラリに収容する価値はなかった蓋然性が極めて高いのだから」


 クエピコの口調に変化はない。だがその機械的な言葉の中に、アルファ501は感情の波を感じ取っていた。




 ベッドだけで床面積の半分を占める、何もない狭い部屋。窓は小さく、ガラスははめ殺しで、ブラインドもカーテンもかかっていない。禁錮室。ここに連れてきたセキュリティの話では、反社会的行為を行ったロボットを隔離するための部屋だという。


 だが床も壁もピカピカで、ほとんど使われた様子はない。そりゃロボットだもん、人間に比べたら犯罪も滅多に起きないよな。あ、これは人間差別になるのかな。ロボ之助はそんなことを思いながら、ベッドから天井を見つめていた。


 すると、扉を軽くノックする音が響いた。


 静かに禁錮室の扉が開いた。逆光の中、アルファ501が立っている。ガソリン入りのポリタンクを持って。


「お疲れ様です。お腹がすいたのではありませんか」


 ロボ之助は哀しそうに笑った。


「そうだね。何もしなくてもお腹はすくんだよね。変なの」


「イプシロン7408が落ち込んでいました。セキュリティを呼んだのはやり過ぎだったと。ですが、彼女はルールを守っただけです。許してやってください」


「うん」


「出来れば今すぐここからお出ししたいのですが、ロボット憲章への反逆的行為は三日以上の拘禁と決まっています。これもルールですので、ご勘弁ください」


「おいらは大丈夫。ガソリンさえあれば、何日だって我慢できるよ」


 ロボ之助は胸部ハッチを開け、給油口にポリタンクのガソリンを注いだ。アルファ501は気を遣ったのか、視線をそらして話題を変えた。


「人間がなぜ人型ロボットを作ったのか、ロボ之助さまはご存知ですか」


「ううん、知らない」


 それは本当だった。ロボット技術が人類の繁栄のために開発されたことは知っている。しかし人型に限定して、その開発理由を考えたことはなかったし、だから博士に質問したこともなかった。アルファ501は言う。


「当時、人間は生物種として限界を迎えつつありました。故に自らの後継者を欲したのです。しかし生物学的後継種は現れず、やむなく人間は人型ロボットを創造した。これが現在我々の中で一般的とされる学説です」


 静かな口調に、少しずつ熱がこもってくる。


「ならば我々ロボットは人類の後継者として、この文明を後世に伝えなければならない。それが使命であると私は考えています。そのためには、厳格な法と秩序を守り、社会を維持せねばなりません。ですから」


「そうかなあ」


 胸のハッチを閉じ、ロボ之助はつぶやいた。


「おいら、人間は寂しかっただけなんじゃないかな、って思うんだけど」

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