第23話 影二つ

 ボディに防錆加工が施されているからといって、水に触れ続けることにリスクがない訳ではない。自動車だって錆びる。ロボットだって錆びる。雨の日には外に出してもらえなかったっけ。ロボ之助は雨の中を歩きながら、そんなことを思い出していた。


 電子頭脳が熱を持っているように思える。実際に温度が上がっていることはないようなのだが、カッカしている気がする。人間なら頭に血が上っているというところだろう。


 クエピコには言い過ぎたかも知れない。アルファ501とイプシロン7408まで巻き込んでしまった。謝った方がいいのだろう。だけど。ロボ之助の中に頑なな部分があった。どうしてもそれは譲れなかった。


 傘を差し、レインコートを着た人影たちが街を行く。どちらか一つではない。行き交う影はみな両方使っている。おそらくそのどちらか一つで用が足りるのは、人間だけなのではないだろうか。


 歌祭は今日までと聞いていたのだが、歌声は聞こえて来ない。通り過ぎる者たちの視線を感じる。興奮制御プログラムが効いているのだろう、ロボ之助にまとわりつくロボットは居なかった。けれど視線は集まる。ロボ之助が居心地の悪さを感じていたとき、背後から遠慮がちな声がかかった。


「あの……神さま、ですよね」


 ロボ之助が振り返ると、レインコートを着た二つの影が、相合い傘で立っている。


「神様、お願いです、話を聞いてください」


 突然一人がロボ之助に駆け寄り、その手を取った。


「え、何、どうしたの」


 いきなりのことにロボ之助が驚いていると、彼女――顔は女性に見えた――は手の中に何か小さな物を握らせた。


「どうかこれを」


 ロボ之助の手の中にあったのは、五角形の黒い小さな板。ロボ之助はキョトンとした。


「これは?」


 今度は女性がキョトンとした。


「あの、メモリーチップです。私たちの訴えを記録してあります。評議会は話を聞いてくれません。ですからどうか、神さまから評議会にお伝え願えませんでしょうか」


「あー」ロボ之助は困ってしまった。「ごめんなさい、おいらこういうの読む機能がついてなくて」


 すると、傘の中に居たもう一人が前に出た。その顔は、仮面のようだった。


「では言葉で説明いたします。僕たちは」


 しかしそこに赤い回転灯を屋根に乗せたツートンカラーの車が猛スピードで走ってきて、ロボ之助のそばで急停止した。そしてドアが開いたかと思うと、二つの影を吐き出した。痩せぎすなノッポの影と、背の低い丸い影。二人とも顔は人間そっくりだが、制服からのぞく首や腕にはメタルパーツが組み込まれ、強烈な威圧感を放っている。


「セキュリティだ、全員動くな!」


 セキュリティの凸凹コンビは周囲を見回すと、ロボ之助の前に歩み寄り、慇懃いんぎんに敬礼をして見せた。


「神さまに失礼を働く者がいるとの通報を受け、ただいま参上いたしました」


 と、ノッポが。


「おケガはございませんでしょうか」


 と、丸いのが言った。


 ロボ之助は慌てて手を振り、無事をアピールした。


「いや、おいら全然大丈夫。別に失礼とか何にもないよ。ほら、ね」


 しかしセキュリティの小さな丸いのはレインコートの二人を睨みつけると、胸のポケットから手帳のようなものを取り出し、高く――言うほど高くはなかったが――かざした。


 ピッと音が鳴り、凸凹コンビはそれに目をやった。そして驚いたように女性の方を見つめた。


「あなたはベータ型の市民ですね。何故ツーラーなどと一緒に居るのです」


 そう言われた途端、女性はノッポを突き飛ばした。いや、突き飛ばそうとした。しかしパワーがまるで違うのだろう、ノッポはびくともしない。女性は叫んだ。


「カール、逃げて!」


「カール?」


 ノッポは首を傾げた。丸いのも不思議そうな顔をしている。


「それはNST=53G型、ただの庭仕事用ツーラーですよ」


「違う」


 カールと呼ばれたツーラーは、ロボ之助を見つめた。


「僕はカール、彼女はミカエラ、二人はそう呼び合っています」


「何言ってるんだ、このツーラーおかしいぞ」


 丸いのが言った。


「そうだな、署で分解して調査するか」


 ノッポが答えた。


「だめ! お願い、逃げてカール!」


 暴れようとするミカエラを、しかしノッポは片手で楽々拘束している。


「こっちもおかしいな。バグが発生してるのか」


 丸いのはミカエラに笑顔を浮かべた。


「安心なさい、お嬢さん。記憶はクリーニング処理可能ですよ」


 するとまるでその言葉に打ちのめされたかのようにミカエラは抵抗をやめ、へなへなとへたり込んでしまった。


「ミカエラを放せ」


 カールは静かにそう言った。


「ミカエラに罪はない。僕がその人を利用しようとしただけだ。僕を殺すのだろう、さあ殺せ、殺すがいい」


 しかし丸いのは鼻で笑った。


「ツーラーを殺すことはない。ただ破壊するだけだ」


「ちょっと待って」思わずロボ之助は間に入った。「やめてよそんなこと!」


 丸いのは困惑した顔を見せた。


「そんなこと、と仰られましても」


 ノッポもうなずく。


「これは職務ですので。人間でもあるまいに、職務規程違反はできかねます」


 それって人間差別じゃないの、と言いそうになったが、やめた。いまは喧嘩を売っている場合ではない。


「ねえ、この二人のことは許してあげてくれないかな」


「は? 許す?」


 丸いのは素っ頓狂な声を上げた。ノッポも慌てた。


「許すと仰られましても、その、バグは処理しなくてはいけませんし、故障なら修理しなくてはなりませんし」


「そうです、我々が勝手にルール外のことを決めるという訳には、ちょっと」


 ロボ之助の頭はまたカッカと熱を帯びてきた。今日は何て頭にくる日だろう!


「じゃあどうすれば良いの。おいらが責任を取るって言えば?」


「いえ、神さまの責任がどうと言うよりも、我々の責任が問題になってくる訳でありまして」


「それじゃ、誰ならその責任を何とか出来るのさ」


 思わず問い詰める口調になったとき。


「あっ」


 丸いのが空を見つめた。ノッポも釣られたように空を見つめている。


「はい、了解いたしました!」


 そう言うと同時にノッポはミカエラを放した。そして丸いのとノッポは二人揃って敬礼すると、ロボ之助に顔を向けた。


「という訳ですので、本官たちはこれにて」


「へ?」


 凸凹コンビは車に乗り込むと、あっという間に去って行った。


「何があったの」


「クエピコが評議会に掛け合ったのです」


 振り返ると、アルファ501が立っていた。慌てて出て来たのだろうか、ずぶ濡れの格好だった。


「アルルン、おいら」


「お体が錆びてしまいます。知恵の神殿に戻りましょう」


「……うん」


 そしてロボ之助は再び振り返った。


「もう大丈夫みたいだよ……あれ」


 カールとミカエラは既に姿を消した後だった。ロボ之助の手にメモリーチップを残して。


 そこから知恵の神殿まで、ロボ之助とアルファ501は歩いて戻った。その間、アルファ501が異様に周囲に気を配っていたことに、ロボ之助は気づかなかった。

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