第14話 森の妖精

 ああそうだ、あのときも緑が綺麗だった。夏は終わりかけていたけど、紅葉がやってくるのはまだ随分と先の時期。世界を知るのも勉強だって言って、博士がQPとおいらをキャンプに連れて行ってくれたんだ。おいらはとってもとっても楽しみで、前の日の晩は全然眠れなかったなあ。


 山のキャンプ場に着いて、テントを張って、たきぎを集めて。初めてやることばっかりで、楽しくて時間の過ぎるのも忘れてた。


「火を使うのは大丈夫なんだよね」


「ここは直火OKだよ。安心して薪を集めろ。僕は落ち葉を集める」


 QPは以前にも来たことがあるらしくて、慣れた手つきで乾いた落ち葉を集めていた。その日は他のキャンパーは誰もいなかったし、薪も落ち葉も拾い放題だった。そんなとき。おいらの耳にはそれが聞こえたんだ。


「歌が聞こえる」


 遠くてかすかな声だったけど、たしかに歌だった。


「なに言ってんだ、おまえ」


 QPは落ち葉を探す手を止めて、おいらを不思議そうに見ていた。


「歌だよ、ほら、この歌」


「いや、何も聞こえないぞ」


 QPにはあの歌が聞こえないようだった。おいらは何故か、いても立ってもいられなくなって、森の中を走り出した。


「ちょっと探してくる」


「あ、待て、おい、こら、夕飯の準備があるんだぞ!」


 後ろから聞こえたQPの声を放っておいて、おいらは薄暗い森の中を突っ切った。歌の聞こえる方に向かって。


 どれくらい走ったろうか、森が急に開けた。空が青かった。そこには、建物が建っていた。でも人影はない。誰の気配もない。それはもう随分と前に廃校になった学校らしかった。二階建てで赤い屋根の木造校舎。窓ガラスは全部割れてしまって、中が丸見え。そんなボロボロの校舎の二階から、歌声は聞こえてくる。おいらは扉の壊れた玄関から入って、階段を上った。


 二階に上がったとき、歌声は止まった。でも声が聞こえた大体の場所はわかっている。おいらはゆっくり廊下を歩いた。ボロボロにささくれ立った廊下の板がきしむ。歩くたび、あちこちから音が響く。教室の窓ガラスも全部割れてなくなっている。階段から数えて三つ目の教室、音楽室って書いてある室名札が残ってた。その教室の中、倒れた机の上に、あの子は座っていたんだ。


 顔以外は全身緑色で、背中まである長い髪は真っ赤。背中にはトンボみたいな透明な羽根が生えていて、そしてその身体は、おいらの手に乗るほどの大きさだった。


 おいらは教室の外から声をかけた。


「さっきの歌は君が歌ったの?」


 緑で赤い子は、おいらを睨みつけて言った。


「何で聞こえるのよ。あたしの声は人間には聞こえないはずなのに」


「おいら人間じゃないよ。ロボットのロボ之助」


「ロボットって何」


 おいらはちょっと困ってしまった。そう言われてみると、ロボットって何なんだろう。


「何って言われても。何でもできるよ。掃除、洗濯、犬のお散歩。空だって飛べるんだ」


 そこでトンボの羽根の子は、やっとわかってくれたみたいだった。


「……そうか、あんた機械なのね」


「そう! 機械だよ、機械のロボット。君は人間なの?」


「あたしが人間な訳ないでしょ。馬鹿じゃないの」


 自分のことを棚に上げて、手に乗るような小さな子は不満そうな顔をした。おいらはこう返事したっけ。


「んーとね、よくわかんないんだ。本で読んだ妖精に似てるな、って思うんだけど、おいらまだ生まれたばっかりだし、世界中の人間に会ったわけじゃないから、君みたいな人間もいるって言われたら、そうかな、って思うし」


 すると妖精みたいな子は、今度はちょっと感心したような顔を見せた。


「へえ、己の足らぬを知っているの。存外に高性能の機械ね」


「えへへ、ありがと」


 おいら褒められると弱いんだ。


「君、名前は?」


「そんなものはない」


「え、そうなんだ。名前ないのか」


「個体の識別は必ずしも言語による必要はない。名前なんてものがあるのが当然だなんて思わないでちょうだい」


 ああ、そうか。これか。だからあのとき、イプちゃんの言葉をどこかで聞いた気がしたんだ。


「それよりさ、さっきの歌は君が作ったの。いい歌だねえ、おいらホレボレしちゃったよ」


 嘘じゃないよ。おいら本当にそう思ったんだから。そうしたら、あの子はちょっと寂しそうな顔で、こう言ったんだ。


「あたしが作ったのかどうかはもう記憶にない。ただ星の間を巡るうちに、いつの間にか覚えてた」


「ねえねえ、もう一度聞かせてよ」


 おいらがお願いすると、妖精の子は目をつり上げて怒った顔をした。


「何言ってるの、馬鹿じゃない。何のためにそんなことをしなきゃいけないの」


「だっておいら感動しちゃったから。遠くで聞いてあんなに感動したんだから、近くで聞いてみたいって思うじゃない」


「知らないわよ、そんなの」


「そこを何とか」


「いやよ」


 それでもおいらがしつこくお願いすると、しばらくためらった後、あの子は歌い始めたんだ。


 世界の果て 流されて一人

 宇宙の果て 泣き濡れて一人

 一人立つ浜辺 砂に指を埋めて

 一人歌う歌 暮れる空に消え行く

 けれど

 緑なす大地 雲遊ぶ大空 

 風走る海原 降るような星の

 光満ち 朝な夕な 私をいざな

 歌に満ち 朝な夕な 心揺らすこの惑星ほし

 でも一人 私は一人

 天を指し 涙を数える


 とっても綺麗な声だったよ。おいら涙が出ないのに、泣きそうになっちゃった。おいらたちは、それからいろんなことを話したんだ。何を話したのかはもう覚えてないや。でも日が暮れるまで、たくさん話し合ったことは覚えてる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る