第3話 黒いゴルゴン

 電子頭脳内の距離カウンターが百三十メートルを刻む。デルタ9813は立ち止まり、周囲を確認した。穴はまだ奥に続いている。しかし金属反応はこの近くのはずだ。六体のタウ型が少し遅れて追いついた。彼らの肩についた照明が四方を照らす。その小さな異常に気づいたのは、やはりデルタ9813だった。


 横穴の壁面には霜が厚くこびりついている。水分を含んだ空気が通り抜けることの証左である。この横穴はさっきの入り口以外のどこかで地上とつながっているのだ。だがその霜の厚さが均一ではない。いや、霜の全くない場所がある。デルタ9813はその壁面に近づくと手を当てた。それは凹凸も歪みもない、磨かれた鏡のような壁面。


「照明!」


 タウ型たちが慌ててデルタ9813の手元を照らすと、光は氷の壁面の中に吸い込まれた。その驚くほどに透明度の高い氷の中に、鮮烈な、曼珠沙華のような赤が閉じ込められていた。丸みを帯びた真っ赤な箱形の胴体の上に、饅頭のような頭部が乗り、やや長めに見える腕と脚、手はキャッチャーミットの如く、足は大きな弁当箱を思わせる。絵に描いたような大昔のロボットの姿が氷の向こう側にあった。


「これは……」


 圧倒されるタウ型たちに、デルタ9813は告げた。


「これがクエピコの言っていた、オリジナル・オブ・オリジナルズ。我らのご先祖さまって訳だ」


 そのとき、デルタ9813の視覚センサが闇を捉えた。いや、闇は最初からそこにある。ただ彼の見た闇は、動いていた。タウ型たちの照明が作る光の輪の中を、蛇のように走ったのだ。


 六体のタウ型の聴覚センサは音を捉える。それは、笑い声。厚い氷の壁の中を移動する蛇の姿をした闇。そこから女の笑い声が響いてきた。六つの顔が恐怖に歪む。だが次の瞬間、轟音が響いた。氷の壁に亀裂が走る。デルタ9813の大口径ショットガンが火を噴いたのだ。


「ひるむな、撃て!」


 タウ型たちは、壁面をヌルヌルと動く影に向かって機銃の弾丸を浴びせる。腕に組み込まれた弾倉が空になっていく感覚。削られて行く氷の壁。しかし影は動きを止めない。壁から壁へ、そして壁面から床へと降りたその瞬間、稲妻の速度で影は駆けた。一条の太い直線として凍った床を走り、そして突然破裂するかの如く、その身を無数の糸へと分ける。その糸の束が宙に躍った。それは一体のタウの全身を包み込むように広がると、クモの糸のように絡みつき、次いで蛇のように締め上げた。


「う、うわああっ」


 体の自由を奪われたタウ型を、高く高く持ち上げるそれは、まるで黒いゴルゴンのように屹立した。蛇のように髪を蠢かせながら、腕が、脚が分岐して行く。それは人間になりたい、人の姿になりたいと、もがいているように思われた。


 ああ、なるほどな。デルタ9813は理解した。何故この横穴が真っ直ぐ水平であり続けているのか。何故赤いロボットの埋め込まれた壁面が鏡のように磨かれているのか。おまえの仕業なのか。


 仲間を奪われた五体のタウは、銃口を向けることもできず、ただ呆然と立ち尽くしている。悪魔、そんな言葉が脳裏をよぎった。自分たちの攻撃は通じるのか、銃弾で倒せる相手なのか、恐怖がタウたちの心を蝕んだとき。蠢く影の胸のあたりを打ち抜いたのは、やはりデルタ9813のショットガン。


「怖じ気づくな、攻撃は効いている!」


 しかしゴルゴンは頭上のタウ型を放さない。一瞬ゆらりと倒れかけた姿勢を戻したかと思うと、他のタウ型たちに向かってその両腕を伸ばした。暗闇に悲鳴が上がる。


 デルタ9813の足の下でローラーが高速回転する。摩擦係数の低い氷の床をものともせず、それは巨体を風のようにはしらせた。絡みつこうと迫ってくる黒い腕をかいくぐり、デルタ9813はゴルゴンの本体へと突進した。


「ロボットに恐怖は不要!」


 高く跳び上がったデルタ9813の機体は、まるでダンクシュートのように、ゴルゴンの頭を右手で掴むと、そのままタウの体ごと、渾身の力で髪の毛を引きちぎった。同時に左手のショットガンの銃口がゴルゴンに近接する。轟音が二つ。顔面と首の辺りを撃ち抜かれ、黒いゴルゴンはゆっくりと倒れた。


「撃て!細切れにしろ!」


 横穴の闇を銃声の洪水が埋めた。無数の銃弾で撃ち抜かれ、削られ、やがて朽ちた棒の如きとなった黒いゴルゴンは、ようやく動きを止めた。


 デルタ9813は己の右手を見た。ゴルゴンの髪が巻き付いている。しかもまだ動いている。


「回収袋を出せ」


 タウに命じるとともに、左腕のショットガンを変形させ、手の形に戻す。


 タウ型の一体が、薄い合成樹脂で出来た黒い袋を取り出すと、口を広げた。ロボットは任務中に破損するかもしれない。その際に体から落ちた部位や部品を回収するための袋である。薄くて柔らかいが、かなりの強度がある。デルタ9813は右手にからまり蛇のようにうねる黒い髪を、左手でこそげ落とすように引き剥がすと、袋の中に突っ込んだ。


「口をしっかり縛っておけ。逃がすなよ」


「これは、いったい何なんですか」


 いまだ恐怖から覚めやらぬ様相のタウ型たちに、デルタ9813はこう言った。


「宇宙樹の根のヒゲだ」


 そして氷の中の赤いロボットを見やる。


「これからこいつを掘り出さにゃならん。骨が折れるぞ」

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