プリン

白夏緑自

1話完結です

「この女なに?」

 付き合って五年。けんかなどいくらでもしてきたしその度に仲直りもしてきた。着地点を見つけることに関してはそれなりの自信がある。

 大事なのは自分にとって最悪な結果を迎えないこと。

 俺にとっての最悪は破局。彼女と昨日までの日常を崩さぬため、俺はありとあらゆる手段をとらなければいけない。

 どう、言い逃れしようか。

 彼女が見せてきたのは俺と浮気相手が手を組んで歩いている写真。彼女自身が撮ったのではなく、友人が偶然見かけてパシャリしたらしい。幸い俺たちは後ろ姿しか映っていないし、相手のほうは帽子をかぶっている。人物の特定まではできていなさそうだ。

「その友達って誰?」

「私の大学の同級生。時々お茶してる」

「俺の知っている人?」

「多分知らない。水上波留さんって」

「ああ、うん、知らない」

 本当は知っている。ツイッターでよく登場する人物だ。当然写真もあげているわけで。ばっちり加工した顔も、薄い加工を施した顔もメイクする前もだいたい知っている。

 浮気相手と会うときはそれなりに気を使ってきたはずだ。自分の知り合いはもちろん、彼女の知り合いとも出くわさないように注意は払ってきた。いったい誰がこんな写真を撮ったのか。

 やられたな。

 この写真を彼女に渡すことにどんな意図があるかわからないが、今はとにかくやられたという感想しか出てこない。俺は波留さんの恨みを買っただろうか。

 いや、それは後だ。

 今はとにかく決着に行き着けばいい。

「たぶん、自分が思っているようなことじゃないよ」

「私が思っていることって?」

「浮気って疑っているんでしょ?」

「自覚あるんだ」

 もし君が疑っていなかったら、そんな態度で詰め寄ってくるわけないでしょ。ほんとに。目は口ほどのものをいう。声が怖いもの。目は泣きそうなくせに。

 まだその眼をしてくれるってことは俺に勝ち目があるってことだ。

 俺の目標は彼女と別れないこと。

 そのための勝利条件は泣かせて、好きだと言わせればいい。

「えっとさ」

 俺はもう一度写真を見る。

 うん、覚えはある。

「その写真って三日前の夜のでしょ?」

「やっぱりこれあんたなんだ」

「まあ、それは確かになんだけど。その日俺飲みに行ってたじゃん」

「やけに帰り遅かったね」

「いや、飲みに行ったときのいつも通りぐらいに帰ってきたよ」

 一時間半ぐらい誤差の範囲。三十分延長を三回分。

「それでまあ、終わったのは確かに早かったんだけど、同期の連中と二次会になってそこからまあ、恋愛話になるじゃない」

 酔いのせいでだいたいみんな饒舌になって、清い話以上に下種な話題も上りだすから俺としては大変楽しい時間だった。

 こっちがちょっとその手の話題を出せば、みんな溜まっているのかペラペラとしゃべりだす。男の下な話に興味はないが、女の子が若干恥ずかしながらしゃべるのがまたいいのだ。前の彼氏のがどうだったか、とか。おかげで独り身になったいま処理に困っているとか。

「それで、一人どうしようもないぐらい酔っぱらっちゃっている子がいて、家が近い俺が送っていくことになったのよ。おかげで終電逃したけど。だからいつもより帰りが遅いって感じたんじゃないかな?」

「連れて帰るにしたってもうちょいやり方はあったんじゃない。これじゃあまるでただ手を組んでいるだけだよ」

「いやいや、まだ話は終わってないって。その子、最近別れたばっかりらしくてさ。どうも元彼と俺を勘違いしたらしくて、こんな感じになっちゃって……」

 ここが大事だ。一通りしゃべったら手札を出し尽くした感と同時に申し訳なさそうな雰囲気も出す。すべての辻褄を合わせすぎると前から言い訳を用意していたと思われるのであえてここは矛盾を残しておく。突かれたらそこだけ辻褄を合わせていけばいい。嘘はないのだから。本当しか語らないのならいつしか矛盾は消えている。俺と彼女の間にだけ矛盾なしの事実が出来上がればそれでいい。

「浮気なんてしないよ」

 俺と彼女の間にだけ存在する真実。

 かっこつけた言葉はいらない。筋が通ってなくとも、彼女が彼女の中で納得してくれさえすればこのけんかは決着する。

 別れるとは彼女は言っていない。それはまだ相手が俺と一緒にいることを望んでいる決定的な証拠だ。

 だから、このけんかで彼女が疑っているのは俺じゃない。俺と一緒にいることを、それを否定しようとする材料の存在を疑っている。俺がそれを消しさえすれば、おのずと態度は変わる。

「本当に?」

 ほら、こんな風に。

「本当に」

 彼女は一瞬笑顔を見せたかと思うとすぐに泣き出して、こちらを抱きしめにかかってきた。

 俺はそれをただ抱きしめる。

 ここからは彼女のターンだ。言いたいことを言わせて、こちらはイエスかノーの答えを出していけばいいのだが、「あのね、私ね、妊娠したみたい」。冷たい風が体をぶち抜いた。

「そっか。順序が逆になるね」

 俺の口は止まらない。

 心にも思ってもないことを言い続けた罰かもしれない。だけど、彼女を抱きしめる手がきつくなることもまた真実だ。俺じゃない俺が口を開き、本心を告げる。

「結婚しよっか。でき婚みたいになって申し訳ないけど。一週間わかるのが早かっただけの話でしょ」

 こうして、今回のけんかは幕を閉じた。


 仲人やお互いの両親への報告を終えて、市役所へ婚姻届を出したその帰り。近くのカフェで休憩がてらお茶を飲んでいると携帯が鳴った。

「誰から?」

「先輩。ちょっと待っててね」

 店を出て、電話に出る。

「もしもし」

 なぜかけてくる。話は終わらせたはずだ。

「もしもし」

 女の声だ。

 数日前に終わりの話をした時とは違う、楽しげに気分があがっている声。

「私もね、できたみたいなの」

「できたって何が?」

「赤ちゃん」

 妻になった女性に言われた時よりも強い風が体を抜けていく。芯が凍って腰が抜けそうになる。

 黙る俺がおかしいのか少し笑って、

「私とも結婚してくれるよね」

「馬鹿言えよ」

「いいじゃない。わかるのが一週間早かっただけの話、でしょ?」

「何で知ってるの?」

「彼女さん、いや、もう奥さんかしら。奥さんから教えてもらったの。すごく嬉しそうだったわ」

「だったら」

 身を引けよ。邪魔をするなよ。なんで今になって。

「ね、私ともしてくれるでしょ?結婚」

 俺に恨みでもあるのかよ、波留さん。

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