第4話「-100度の瞳」金海怨神篇


 新しく通うことになった学校は、金海市の街中にあった。こぢんまりとしたグラウンドに六月の湿気た風が吹き抜ける。砂が巻き上がり、帷レンは目を細めた。その視線の先を追って、前を歩いていた担当教師が口を開く。

「このグラウンドは狭いんだけど、第二グラウンドがあってそっちを主に使っているんだ。運動部は全部そっちだな。体育館も第二グラウンドに隣接している。第一グラウンドにあるのは格技場だけで、剣道部とか柔道部とかがローテーションで使っている。帳君は、前の学校では何部に?」

 部活に入っていることが前提として話を進められていることが気に入らなかったが、ここで嘘を言っても仕方がないとレンは正直に答えた。

「薙刀部です」

「薙刀、ねぇ。うちの学校にはないけれど、剣道とかそっちには興味ない?」

「いえ、別に……」

 最初からまともに取り合う気がないのならば聞かなければいいのに、とレンは感じるが口には出さない。余計なトラブルを招くのは御免だから、というのもあるがこの場合、どう答えても剣道部の顧問であるこの教師はそちらに話を持っていくつもりだったのだろう。自分の都合のいいように他人の話を解釈する。苦手なタイプだ、と内心思う。レンは薄汚れた校舎の壁を見やる。これから卒業するまでの二年半、この場所で過ごさなければならないのかと思うと気が重かった。校舎はコの字型になっており、三階建てで渡り廊下が中央にある。休日だというのにも関わらず、部活に勤しむ生徒たちの姿が多く見られた。レンは、といえば転入する前に学校のことをある程度知ってもらおうという教師のはからいで休日を潰してまで見学をさせられていた。前を歩く教師に視線を向ける。いかにも体育会系らしいがっしりとした身体つきでボーダーのシャツを着ていた。髪の毛は短く刈っている。レンは前を歩く教師に引っ張られるように力なく歩を進めていた。湿気が纏いつき、窓の外を見上げれば今にも降り出しそうな重い曇天である。六月の中旬、あと一ヶ月もすれば夏休みというこの時期に転入とは我ながらついていない。このような中途半端な時期に来る生徒は珍しく、その理由ももちろん特殊であった。前を歩く教師はその理由を知っているはずなのだが、口火を切ろうとしてなかなかタイミングをはかりかねているようだ。何度かちらちらとこちらの様子を窺う教師の反応がじれったく、レンは自分から口を開いた。

「こんな時期に転校してくる人間は、やっぱりいないですか」

 教師が目に見えて動揺したのが分かった。それでも平静を保とうと明るい口調で返してくる。

「ああ、そうだな。もうすぐ夏休みだからな。みんな、浮き足立っている時期だ。それに期末テストもある」

「そんな時期に、自分みたいな問題のある生徒を抱え込むのは、学校側も嫌なんじゃないですか?」

 教師は立ち止まった。レンは次に何が来るのか予想した。熱血教師を気取った言葉が来るのか。体罰か。それとも、当たり障りのない言葉か。教師は振り返り、レンを見下ろした。レンはこうして見下ろされるのが好きではなかった。背丈は百四十センチ程度しかない。運が悪ければ女子にも見下ろされてしまう。教師はレンの肩を掴んだ。体罰が来るのだろうか、と思っていると、教師は熱のこもった口調で、「気にするな。前の学校は前の学校だ」とだけ告げて、身を翻した。レンは肩を手で払いながら心の中で、くだらないと一蹴した。熱血教師にもなりきれず、かといって当たり障りのない言葉で適当に誤魔化すだけの器用さもない。そんな言葉で子供が大人の言うことを聞くとでも思っているのだろうか。だとすれば見当違いも甚だしい。

 教師はその後、レンに剣道部を見学させた。場内を突き破るような声が響く中、教師は満足そうな顔をしてレンに「どうだ?」と尋ねてきた。

「まぁまぁですね」とレンは答えた。入る気はないかと訊かれたが、やんわりと拒否した。



 次の日は学校へ行かなければならなかった。レンにしてみれば、新しい生活の始まりでもある。学校見学の日の夜のうちに、次の日の荷造りは済ませたが、レンには特に必要なものなどなかった。授業進度はその都度、聞けばいい。期末テストが迫っているようだったが、高校一年の前期ではさして重要視もされないだろう。後期に入る前に慣れればいいだけの話だった。レンにとってしてみれば、授業の重要度などその程度のものだった。問題なのは前の学校での行動がどう影響してくるかだったが、これも気にしても始まらなかった。どう受け取るかは個人次第だし、弁解したところで人の口に戸は立てられない。クラス内での秘密は必ず公然の秘密となる。教師が口を割らなかったとしても、興味本位で調べる連中はいくらでもいるだろう。

レンがこの街で暮らすに当たって必要だったのは、一人になれる時間と部屋だった。姿見の前で自分を見つめながら、それは手に入ったと周囲を見渡す。六畳ほどの部屋で、隅には勉強机がある。まだダンボールから出されていない荷物もあるが、生活必需品はあらかた出しておいた。勉強机の反対側には薙刀が立てかけられている。もちろん、本物ではない。刃の部分は木製である。試合時には、その部分さえ取り替えねばならない。

一人になれる部屋は手に入った。あとは時間だと、レンは壁の厚さを確認する。隣の物音は聞こえない。誰かが住んでいるのかもしれなかったが、まだ顔を合わせておらず表札もまともに見ていなかった。

「一応、挨拶ぐらいはしておくか」

 煩わしい人間関係は嫌いだったが、わざわざこじらせる必要もない。円滑に物事が進むのならば、それに越したことはなかった。レンは買っておいた引越しそばを引っさげ、外に出た。レンが引っ越してきたのは学生用のアパートだ。といってもトイレや風呂はきちんと部屋についているために、安アパートという感じではない。しかし、外に出ると廊下内の掃除はあまり行き届いておらず、ここの大家はそういうものには無頓着らしいことが分かる。レンは隣の部屋の表札を始めて見た。西垣、というらしい。インターホンを押すと、扉が開いた。西垣、という人物はどうやら自分とそう歳は変わらなさそうだった。背は高く、ひょろりとしており、青いTシャツに半ズボンを穿いている。レンは好印象を与えようとは思わなかったが、隣の部屋で悪印象を与えるのもよくないと思い、愛想笑いを浮かべた。

「隣に越してきた帷です。これ、お近づきのしるしにどうぞ」

 引越しそばを差し出すと、西垣はレンと引越しそばを見比べてから、「どうも」と会釈をした。西垣は部屋から出ると、レンの部屋の表札を見て、「ああ」と合点したように頷いた。

「引越しだったんだ。何の音かと思った。ほら、このアパートって防音がちゃんとしているから。あんまりお隣の音って聞こえないんだよね。それに、トバリって読むの? この漢字。珍しい苗字だね。えっと……、失礼ですけどいくつですか?」

 レンに対してこういった質問をしてくる相手は珍しくなかった。レンはもう慣れっこだったので、特に怒りも何も覚えずに返す。

「十五ですけど」

「中三?」

「いえ、高一で」

「あっ、じゃあ俺と同じじゃん」

 西垣は顔を明るくさせてレンに手を差し出した。その手をレンが怪訝そうに見つめていると、西垣は言った。

「握手しよう。このアパートで同い年の奴が来るのは初めてなんだ」

 はぁ、とレンは気のない返事をしてその手を掴んだ。西垣は後頭部を掻きながら、「親御さんは?」と尋ねる。

「いや。俺一人で……」

「おー。俺も一人暮らし。いやー、同い年の相手が隣とは心強いな」

 西垣は勝手に盛り上がっている中、レンは妙に醒めた気持ちでそれを見つめていた。だからどうだというのだろうか。少なくともレンは、今まで生きてきて心強いと思える相手と出会ったことがない。そもそも心強いという言葉自体、普段では使わない。そんな言葉を簡単に口にする西垣を、レンは信用していいものか迷っていたが、西垣のほうはレンを既に信用しているようだった。

「まぁ、お互い頑張ろう。一人暮らしって大変だけど、なんか困ったことあったら俺に聞いてくれればいいから。と言っても、俺も春からここに住み始めたばかりなんだけどね」

 快活に笑い、西垣は言った。レンは適当に相槌を打ちながら、嵐のように喋る西垣から解放されるのを待っていた。西垣はひとしきり喋ってから、「それじゃ」という簡素な言葉で扉を閉めた。レンは息をついて、自室へと向かう。どっと疲れた身体を布団に沈みこませる。腕を額にやりながら、「悪い人じゃ、ないんだろうな」と言葉を発した。西垣は全て善意からレンに歩み寄ろうとしているのだろう。しかし、初対面の人間に突然歩み寄られても、レンには距離を取る以外の選択肢が思い浮かばなかった。

「同じ学校じゃなさそうだし、できるだけ会わないようにするか」

 そう結論付け、レンは夕食を作り、さっさと食べて早めに寝た。


 チョークというものには慣れない、とレンは思う。黒板に書くときの音だとか、指の腹にこびりつく粉だとかが異物として認識される。それでも名前だけだからマシだ、と思い、レンは黒板に大きく自身の名前を書いて、振り返った。じっと黙したクラスメイトたちの視線が集まる中、レンは昨日会ったばかりの教師に促されて自己紹介をした。

「帷レンです。よろしくお願いします」

 簡素な自己紹介に、教師が勝手に補足説明を付け始める。

「えー、帷君は昔、この街に住んでいたそうだ。だけどもう六年ぶりになるらしいから、みんな、よろしく頼む。授業進度はその都度、担当の先生に聞いてくれ。帷の席は新山の隣だ。新山、よろしく頼む」

 レンは教室の窓際に近い席へと歩を進めた。隣に座っていた男子が「よろしく」と小さく口にする。レンは少し会釈して、その男子生徒を見た。小柄で、どこか虚弱そうな顔立ちをしている。小柄と言ってもレンよりは背が高い。彼が新山なのだろう。

 ホームルームが終わり、一時間目の授業が始まる。レンは教科書を出すが、ノートは取る気がなかった。取ったところで仕方がない。赤点さえ取らなければ、どうにでもなる。レンは頬杖をついて、窓の外を眺めようとした。その時、視線を感じてそちらへと目を向けた。一人の少女がレンと目が合ったのを気まずそうに逸らす。黒い長髪で、オレンジ色の髪飾りをつけている。レンの席からはそれくらいしか分からなかった。どうして自分を見ていたのか。気にかかったが、どうでもいいことだと割り切った。レンは外の景色を眺めていた。遠くの山間部にかかった高速道路を車が行き交う様子が視界の中で何度も反復された。


 放課後に、レンは真っ先に帰ろうとしたが教師に呼び止められた。どうやら今日も剣道部の活動があるらしい。もうすぐ大会も近いとあって、部員の士気は上がっているとのことだが、それがどうしたというのだろうか。レンは自分に関係のあることとは思えずに教室を出た。教室の前で新山が数人の大柄な生徒に連れられて帰っているのを見た。彼らは一様に髪を染めており、ピアスも空けている。制服を着崩した彼らに付き従うように新山は歩いていた。どうやら新山は彼らの標的にされているようだったが、関わり合いになるのは御免だとレンは視線を合わせずに行き過ぎた。校門近くまで俯き加減で歩いていると、突然、前方を影が遮った。避けて通ろうとすると、影も合わせて動く。レンは顔を上げた。

 そこにいたのは教室の中でレンを見ていた少女だった。正面から見れば整った顔立ちで、目は小動物のように大きく、僅かに紫がかっている。レンよりも少し背の高い少女は、レンの前に歩み出るとノートを差し出した。レンが訝しげにそれを見ていると、少女は喉の奥から引っかかりながらも言葉を発した。

「あの、レン君。多分、授業の進み具合とかまだ分からないと思って。ノート貸すから」

 レンは眉根を寄せた。この少女は何を言っているのだろうか。転校してきた異性の生徒にノートを突然貸して、どうしようというのだろうか。何か見返りでもあるのだろうか。レンがじっとノートと少女を見比べていると、少女は胸元を押さえて、つっかえながらも口にした。

「わ、わたしのこと。覚えて、いない……?」

「悪いけど、知らない。あんた、誰だ?」

 その言葉に少女は目に見えて落胆したようだった。肩を落とし、「そっか。そうだよね」と呟いてから顔を上げ、

「日下部(くさかべ)アカリ。名前でも、やっぱり覚えていない、よね」

 日下部、という苗字に心当たりはなかった。アカリ、という名前にも該当するような記憶はない。レンは今にも泣き出しそうな日下部アカリの顔を見たが、やはり思い出せそうになかった。首を振って、

「悪い。やっぱ思い出せねぇ」

「……そう。あ、でもノート貸すから。役立てて欲しいなって」

 レンはノートを写すつもりなどさらさらなかったが、ここまでしつこく言われると借りないのも悪い気がしてきた。周囲の目も気になるレンは、ノートを受け取って、「分かったよ、悪いな」と言った。日下部アカリは顔を明るくして、「ありがとう」と笑顔を咲かせた。どうして貸した側が礼を言うのだろう、とレンは思ったがそれは口にしなかった。今は一刻も早く、この場から離れて家に帰りたい気持ちが先行し、「じゃあな」と素っ気ない言葉を投げて日下部アカリの横を通り過ぎた。



 部屋に帰って勉強机の上でレンはノートを広げた。綺麗な字で、等間隔に余白の取られた見やすいノートだった。レンは自分のノートを広げ、まだ習っていない範囲を写し始めた。数式とそれに至る解の求め方を写しながら、レンはぼんやりと日下部アカリのことを考えた。以前に会っているのだろうか。向こうは知っている口ぶりだったが、レンには心当たりがなかった。数学のノートそっちのけで、レンはペンを額に当てて思い出そうとする。

「日下部、日下部……。俺がこの街にいたのが六年前だから……、九歳のときか。小学校三年生の時で、日下部……。そんな奴、いたか? 日下部、アカリ……。アカリ……」

 数式を解くよりも頭の中がこんがらがってくる。黒い長髪の少女などいたか。

「いや、長い髪だという記憶に頼らなけりゃいいのか。えっと、とりあえず女子の友達で、日下部……。アカリ……。アカリ?」

 その時、レンの脳裏に閃くものがあった。ダンボールに飛びつき、中を漁る。昔のアルバムがあったはずだった。アルバムを見つけ、ページを捲るとようやく見つけた。小学校二年生の時の写真である。その中に、髪を二つに結った少女と自分が、それぞれの両親と共に写っていた。

「……アカリか。完全に忘れちまっていたな」

 日下部という姓と、もう七年も前だから記憶から掻き消えていた。この街に住んでいた頃、アカリとは家が近く幼馴染だった。よく遊んだものだったが、その頃のアカリは男勝りで今の様子とはかけ離れていた。だから頭の中で符合しなかったのだ。しかし、そうだとして、どうしてアカリは声をかけようと思ったのだろう。普通ならば、知らない振りをするのが当然ではないか。少なくともレンは知っていても転校初日に声をかけたりはしない。

「覚えていてくれたのか」

 その言葉で胸にやわらかな灯火を感じるが、それを押しとどめるようにレンは首を振った。アルバムを閉じて、静かに息を吐く。

「んなわけない、か。あったとしても気まぐれだな。それに今の俺は……」

 そこから先は言葉にならなかった。かつての日々は戻らない。レンは別のアルバムを取り出して眺めた。両親は転勤続きで同じところに留まるということはなかった。しかし、この街は気に入っており、この街だけはレンが生まれてから九年間はいた。しかし、そこから先はぶつ切りのような日々だった。長くても一年、短ければ二ヶ月ほどで去らねばならないために友人も作れず、作ったとしても大抵は友情が深まる前の別れが待っている。それでもレンは一度も両親を恨んだことはなかった。両親も大変なのだと身に沁みて分かっていたレンは、何も言うことはなかった。

 両親が写っている写真に視線を落とし、レンは悔恨を滲ませた言葉を喉から発する。

「でも、いなくなっちまったら恨み言も言えねぇよ」

 両親は先日、自動車事故で亡くなったのだ。レンは親戚に引き取られるよりも、一人で生きていくことを選んだ。それはレンのある〝体質〟によるところもあった。以前いた場所でそれを明かしたことがある。周囲の反応はやはりというべきか、予想されうるものだった。レンの〝体質〟に理解を示す者など皆無で、大抵は気味悪がられた。薙刀部が唯一、安らげる場所だったが、そこさえも追われる結果になった。人の口に戸は立てられない。身をもってそれを知ったのだ。好奇の視線を浴びせ、時によっては糾弾の対象とする。人間なんてものはそんなものだとレンは思っていた。

「アカリも、そうなんだろうな」

 いくら幼馴染の間柄だったとはいえ、話は別だ。物心ついた時からあった〝体質〟は呪いのようについてまわる。レンに近づく者を遠ざけるかのように。だとするならば、レンは周囲の人間などいらないと考えていた。呪いを振りまく存在になるくらいならば、誰も呪いに近づかなければいい。近づかせないことこそが、最大の思いやりになるのだと。それはいつの間にかレンの処世術の一つに成り果てていた。生きるためにやっていたことが、それがないと何もできない木偶の坊になっていた。しかし、それを間違っていることだとレンは思ったことはない。こうあるべきなのだ。こうあらねば、誰かが呪いと不幸を背負うことになる。

 レンはアルバムをダンボールに仕舞い、机の上に広げられたノートに視線を落とした。明日には返そう。そう思い、ノートを閉じた。

 

 学校に行こうとすると、西垣がちょうど出てきた。制服を着ているので、学校に行くのだろう。レンの学校とは制服のデザインが違っていた。西垣が「おっす」と手を上げるので、レンは軽く会釈をして行こうとすると、「まぁ待てって」と西垣が呼び止めた。

「一緒に行こうぜ。西高だろ。俺、金高だからさ」

 金高というのは金海中央高等学校のことだろう。偏差値の高い高校だった。金海、という名前だが駅で電車を乗り継がなければならない。駅までの道が同じだから一緒に行こうということなのだろう。レンの通う金海西高等学校は駅の向こう側にあった。レンが承諾すると、西垣は荷物を担いでレンの横を歩く。西垣が担いでいるのは黒い大荷物だ。中に何が入っているのか尋ねると、西垣は「コスチュームとか色々だな」と答えた。

「コスチューム?」

「あれ? 言ってなかったか。俺、コスプレ同好会なんだ」

 初耳だったし、コスプレ同好会なるものが存在するのかどうかも疑わしかったが、レンは「ふぅん」と適当に返した。

「これは俺らにとっていわば正装だからな。大切にしないと。クリーニングしたから、今日持っていくんだよ」

 レンにはコスプレのことは今一つよく分からなかった。しかし、西垣は背が高いので似合うのかもしれないと思った。

「何のコスプレするんだ?」

「最近では魔法少女だな」

 その言葉にレンは疑問符を置くように沈黙を挟んだ。先ほど似合うかもしれないと思ったが、それはバーテンダーのような格好を想定していたので、まさか魔法少女だとは思わなかった。レンは頭の中のイメージを練り直そうとしたが、うまく構築できずに諦めた。きっと似合うコツでもあるのだろう。

「帷は? 部活やってないのか?」

「教師に剣道部に誘われているけど、やる気ない」

「前は何やっていたんだ?」

「薙刀部」

「薙刀って、あの武士の家とかに置いてある長くって、先のほうに刃がついている奴か」

「そう、それ。でも、ちょっと色々あってやめちまった」

 やめた理由についてあれこれ詮索してくるかと思ったが、西垣は「ふぅん。大変だな」と言うだけで特に追求してはこなかった。今まで勘繰る連中が多かったせいか、西垣のようなこちらが踏み込んで欲しくないラインを見定めてくれる人間が珍しく、レンは妙な居心地のよさを感じた。歩いていると、駅が見えてきた。

「この辺で。じゃあな、帷。お前、話していると面白いな」

 レンはその言葉に立ち止まった。西垣は一度だけ振り返って手を振り、駅のほうへと歩いていく。レンの胸中には戸惑いがあった。何も自分は面白いことを言っていない。それなのに面白いと言われたことに、僅かながら喜びを見出している自分と、期待してはならないと感じている自分が同居している。

――期待すれば、裏切られた時に辛いぞ。

胸の内の自分が発する言葉にレンは顔を伏せた。その通りだ。西垣はレンの〝体質〟のことを知らない。きっと、知れば遠ざけるだろう。そうなった時の傷は浅いほうがいい。ならば、関わらないほうがいいのだ。今までもそうしてきたし、これからもそうすべきではないか。レンは踏み切りに差し掛かった。遮断機が下りて、揺れる電車の発した風が叱責のようにレンの頬を叩いた。


 学校に着くとレンは何も言わずに席に着いた。そこに至るまでクラスメイトから挨拶されたが、全て無視した。「感じ悪」という小言が聞こえてくる。どうせ小言ならば聞こえないように言えばいいのに、とレンは思いながら時計を眺めた。ホームルームが始まるまで、残り十分ほどだ。文庫本でも買っておけばよかったと後悔しながら、指の腹で机を叩きつつ時間が過ぎるのを待つ。その時、机に影が差した。顔を上げると、アカリが立っていた。何だ、と訝しげな視線を向けていると、アカリがノートを差し出す。

「レン君。昨日は数学だけだったから。世界史のノートも。明日は国語のノートも貸すから――」

「日下部」

 思いのほか冷たくレンの口から発せられた声に、アカリは肩を震わせた。レンはアカリへと真っ直ぐに目を向け、ため息混じりに言った。

「昨日は思い出せなくて悪い。俺はお前のことを知っていた。七年前の写真が出てきた」

 その言葉にアカリはパッと顔を明るくさせて、レンへと歩み寄った。

「思い出してくれたの?」

「ああ。よく覚えていたな。だけど、日下部。俺はお前と高校になってまで仲良くするつもりはない」

 アカリは一瞬何を言われたのか分からないようだった。今度はアカリにはっきり分かるように、ゆっくりと口にする。

「俺の何を知っているのかしらないが、こういうのは迷惑だって言っているんだ。安い同情心で関わっているのかもしれないが、そういうのはいらないんだ」

 その言葉はクラスメイトにも聞こえていた。女子生徒が眉をひそめてレンを見ている。構いはしなかった。言っておかなければ、アカリはいつまでもレンのことを構うかもしれない。それに甘えて、自分を知られてしまってから裏切られるのが怖い。臆病かもしれないが、レンにとってはその恐怖こそが生きていく上での障害となっていた。甘えるのは簡単だ。しかし受け入れてもらえるはずがない。その先を考えるのならば、ここで断ち切るのが賢明に思えた。

「レン君。わ、わたし、何か悪いことしたかな。悪いところあったのなら、謝るから」

 アカリが声を震わせる。悪いことなど何一つしていない。ただ自分と関わってもろくな目に合わない。忠告のつもりで言っているのに、何故分からないのか。それがレンの神経を逆撫でした。

「俺のことは放っておいてくれ。ノートもいらない。自分のことぐらい、自分で何とかする」

「何とかって、それじゃ駄目だよ。レン君。ノートなら、わたしのできることなら、やるから。だから、もっと素直に――」

「素直になってどうしろって言うんだよ!」

 レンは立ち上がって叫んだ。気がついた時には、アカリの手からノートを叩き落していた。ノートが床に叩きつけられ、中身が捲れる。捲れたページの中に、赤いペンで丁寧に授業についてのことが書いてあるのが見えて、レンは覚えず目を背けた。

「……鬱陶しいんだよ。日下部」

 アカリはよろめくように後ずさった。すぐにアカリの友達がアカリへと駆け寄り、「アカリ、大丈夫?」と心配してくる。レンは見せつけられているような気がして、その場から走り去った。ちょうどホームルームに来ようとしていた教師とすれ違い、背中に声をかけられたが振り切って走った。誰の声も聞きたくなかった。この世界から切り離されてしまったほうがマシだと思えた。なまじあのように優しくされるから、孤独が色濃く迫ってくる。最初から闇の中に身を投げてしまえば、そんなもの怖くはないのに。

 レンは階段を駆け上がり、いつの間にか屋上に来ていた。蒸し暑い風が吹き抜け、身体を重くさせる。息をつきながら、屋上の手摺へと歩み寄った。手摺の向こう側には背の高いフェンスがあり、飛び降りることはできない。だが、レンには自傷に及ぶような神経も持ち合わせていなかった。そんなことをしても何の解決にもならないことは〝体質〟が証明しているからだ。レンは手摺に背中を預け、この場にいるものを見据えた。

「俺は、お前らみたいになるのはゴメンだ」

 レンの眼にはこの場所でかつて飛び降りた者たちが見えていた。それこそがレンの〝体質〟だった。幽霊や妖怪が見える。何の価値もない、この世でもっとも忌むべきものこそがレンの持つ唯一のものだった。

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