人を食った話

@makoto-yamasato

第1話 序章

 それで? と、男は言った。

 椅子に座り、机の上で組んだ両手であごを支えた男は、さも面白いものを見るように、上目遣いに私を眺めている。

「それで、どうしたんだい?」

 先を促す男の声音には、私の話に対する興味はうかがえない。ただ単に、私の反応を面白がっているだけだ。

 事実、男は私の顔をじっと見て、にやにや笑っている。――いやらしい笑みだ。

「君はその後どうしたって? 何を、したんだい?」

 私から言葉の続きを引きずり出そうと、男は言葉を投げかけてくる。

 だが、それに素直に反応して、男の思う通りにふるまってしまうだろう自分を想像して、ひどく腹が立ち、私は何も言わなかった。

 いや、想像などではなく、それは実際に起こり得る未来だ。

 私はきっと、この男の望むとおりの反応をする。そうして男は心底喜ぶ。

 に、と男が笑った。

 眼鏡の奥の鋭い目が歪む。

 私はその視線を受け切れなかった。

 目を逸らして顔を伏せた私を、男は覗きこんだ。

「答えられないのかな? 答えたくないのかな?」

 どちらもだ、という言葉は口から出てこなかった。言葉は喉の奥で固まって、おりになった。

 喉が張りつく。胸が詰まって苦しい。呼吸がうまくできない。

 しかし、息をしようと口を開くのは嫌だった。呼吸と一緒に、言いたくない言葉まで出てきそうだったから。だから必死で唇を噛んで耐えた。

 口の端から、鼻の穴から、聞くに耐えない醜い音が漏れる。

 それが私の呼吸音なのだと気づいて顔を上げた時、男と目が合った。

 男はやはり、笑っていた。

「苦しそうだね」

 うう、と私の喉が鳴る。

 喉から何かが這い出してきそうだった。

 それが胃の内容物なのか、ただの空気なのかは分からない。

 いいや、私には分かっている。

 それは答えだ。男の望む答えだ。

 だがそれは、それだけは――絶対に。

 とん、と男がひとさし指で机を叩いた。狭い部屋にやけに響く。

「――僕は、暇じゃあないんだ」

 眼鏡の奥の目は、笑っていなかった。

「そう何時間も、君に付き合っていられないんだよ」

 椅子をきしませて、男は立ち上がる。

 上背のある男は、立ち上がると異様な威圧感がある。

 たじろいで一歩退いた私に、男はぐん、と体を寄せた。

 近くで見る男の目は、氷のように冷たい、鈍い灰色だった。

 ふう、と男の息が顔にかかる。

「どうしたのか、聞いているんだよ。――あの後」

 ぐう、と私の口から音が漏れる。

 駄目だ、口を開いては駄目だ。

 脳が命じているが、体はそれを無視して口を開こうとしている。

 駄目だ。

 駄目だ。

 駄目だ、駄目だ、――駄目だ!

「答えろ」

 低い男の声が、私の心臓を一瞬止めた。

「く」

 一声発して、私はこらえきれずに、床に崩れ落ちた。

 開いてしまった口からは、とめどなく嗚咽が漏れた。一度解放してしまうと、もう止めようがない。私は子供のように泣きじゃくった。

「駄目だよ、それじゃあ」

 背中に圧迫感を覚えた。しばらく経って、男が私の背中を足蹴にしているのだと気づいた。

「それだけじゃあ、駄目だ。きちんと言葉にしてごらんよ」

 ぐいぐいと、男は足で私の背中をなじる。

 私にはもう、抵抗する力はなかった。

 鼻水とよだれにまみれた口で、私は答えた。

「く、くった…」

 ふ、と背中にかかる体重が、消えた。

「なんて?」

 私は赤ん坊のように体を丸め、頭を抱えている。男の顔は見えない。

 それなのに、その時はっきり、男が笑ったのが分かった。

「なんて言ったんだい?」

 男は楽しそうに、心底楽しそうに笑っていた。

 ああ、だから嫌だったのだ。

 答えればこうなることは分かっていた。男を喜ばせるのは癪だったから、喋らないでいたのに。黙っていようと思ったのに。

 それでも私は、男の望むとおりに、望む答えを与えてしまった。

 ――嫌だったのに。

 男は、笑っていた。

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