第10話 運河の街
やや強い風が通り、酒場の木製の看板がバタバタと音を立てて揺れた。
大勢の人で賑わい、活気に溢れ、多少の喧騒はかき消される。このコールリッジは滅多なことでは誰も立ち止まる者はいない。それ程大きな街であった。
溢れんばかりの品物を積んだ荷馬車が大通りを行き、土埃を上げている。小さな店が所狭しとならび、人々があくせく働いていた。
街の端に運河があり、それはこの街の名所でもあった。運河から毎日定期船が往復し、たくさんの人や品物が行き来する。コールリッジの街は世界の流通の要である。
この世界では、職業によって服装に大まかなパターンがある。
大抵、商人ならターバンを、貴族ならいかにも高級そうな外套、兵士や剣士なら鎧兜着ている。また、魔法使いならローブ姿に杖やロッドを持っていて、盗賊ならバンダナや短剣を所持している、という具合だ。あとは懐事情や好みによって、粗末だったり豪奢だったりする。
職業に貴賎はないとはいえ、盗賊が歓迎されないのはどこの世界も共通である。アネットは街を歩きながら、オウエンからそう教わった。
言われてみれば、オウエンも鎧をつけているし、魔導師だと言っていたアンもローブを羽織ってた事を思い出す。アドルフの武器はは短剣だった。
アネットにとって、この街は中性ヨーロッパを思わせるような雰囲気だった。煉瓦づくりの家々や石畳の路地など、アネットには珍しい物ばかりだ。元の世界ではついに行けなかった土地へ、旅行に来たような気分になる。
オウエンきらは、目立つからあまりキョロキョロしないようにと言われているが、ついつい見てしまう。久しぶりに楽しく、わくわくした気持ちで心が逸った。
しかし、街の賑わいにも、不穏な空気が立ちこめ始めていた。アネットとオウエンが連れだって運河にやって来ると、急に人混みが激しくなった。さらに、怒号や困惑の声も聞こえてくる。
「マルコワ行きの船が出ているはずなんだが……様子がおかしいな」
オウエンは彼の隣に立っていたアネットにそう言うと、眉間にしわを寄せた。船着き場の様子を調べに行きたいが、この雪崩のような人混みを縫って移動するのも気が引ける。
どうしたものかとオウエンが思案していると、アネットの隣に立っていた商人風の男性が口を開いた。男は頭に巻いたターバンを風になびかせて、途方に暮れたような困り顔をしている。
「魔王の軍がこの先の町を占領したらしい。今朝、運行中止の張り紙が出てこの騒ぎさ。これじゃ商売上がったりだよ」
本当なら今頃はこれを卸している頃だったのに、と商人はため息をついた。彼は手で持っている木箱を、よく太って突き出た腹で支えながら立っている。
アーツの魔の手が、すぐそこの街まで迫っている。オウエンは、瞳を不安そうに揺らすアネットの肩にそっと手を置いた。アネットもオウエンを見上げる。
「大丈夫だ。俺もついている。装備を調えて、またダミューで行こう」
「うん……ありがとう」
アネットの表情はやや強ばっているものの、やや穏やかさを取り戻した。
オウエンの手のひらの暖かさと頼もしさは、アネットに安心感を生む。夫に似ているからなのか、それともオウエン自身の人柄に依るものなのかは、アネットにもわからない。
オウエンは商人に礼を言い、アネットと共に街の中心部へと向かった。
コールリッジまでの道中で捕まえ、乗ってきたダミューはこの街のダミュー屋に預けている。ちなみに、ダミューを持っていなくても、その店で借りることができる。さらに定期船に乗る時は自分のダミューも一緒に船に乗せることもできる。ダミューだけでなく、ダミュー屋も旅人には無くてはならないものだ。ダミュー屋は世界各地に存在している。
二人は真っ先に、その晩の宿を確保した。野宿続きでクタクタだったし、さすがに風呂にも入りたかった。今日はふかふかのベッドで寝られると思うと、アネットは嬉しくて仕方がない。
また、オウエンにとっても、もまともに寝られる貴重な日だ。心なしか二人ともうきうきしている。
二人は荷物を部屋に置くと、再び街へ出た。必要な物を買い揃え、次の移動に備えるためだ。度重なる戦闘で刃こぼれしていたオウエンの剣を研ぎ直し、壊れた防具を買い換える。
アネットの服も新調した。彼女の服装はアーツの宮殿で用意されていた白いワンピースのままだった。川で溺れたり、平野を歩き回ったりしたせいで生地は黒ずみ、裾は既に端切れのようにボロボロになっている。元より旅には向かない服装だし、本格的に大穴が空く前に買い直そうというわけだ。
アネットは細身のパンツスタイルを選んだ。若草色に近い色合いで、トップスも同色のホルターネックにした。肩が出るデザインだが、その上に濃い紫色の丈の短い半袖の上着を羽織って痣を隠すことにした。
ふくらはぎまでの丈の焦げ茶色をしたブーツを履き、ずいぶんと身軽になった。さらに上から黒に近い紫色のローブを羽織り、旅装の完成である。
また、ローブにはフードがついているので、アーツ軍から顔を隠すこともできる。トリスタンから支給されたロッドも相まって、端から見れば魔導師のように見える。
そして、ダミュー用の鞍も買うことにした。これまではオウエンがアネットを落とさないように必死で支えながらダミューを操っていた。二人乗り用の鞍があればアネットも自力で捕まれるようになるので、ずっと乗りやすくなる。
あとは傷薬などの消耗品、干し肉などの日持ちする食料を買えるだけ買い占めた。
アネット達は倒した魔物から採れる革などの素材を採取し、質屋に売ることで稼いでいる。
質屋は買い取った素材を職人達に卸し、職人達は道具を作って道具屋に卸す。そしてアネット達のような旅人が道具を買って使用し、魔物からまた素材を採取する。多くの人の懐を潤すありがたい仕組みである。
アネットはまだ一人ではモンスターを倒すことすらまだできないが、素材を巡るシステムには感謝していた。なんせ、来たばかりだ。仕組みも分からぬ世の中で、まともな職など得られる気がしない。
再び宿へ荷物を置きに戻り、二人は酒場で食事をすることにした。
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