ちょっとディープな『花やぐ愛は大正ロマン!』用語解説集

青星明良

用語解説1―1話~3話編

<1話 潮騒は初恋のメロディー>用語解説


〇ユリカモメ

だいたい全長40センチの冬鳥。冬にだいたいカムチャツカ半島あたりからやって来て、だいたい4月中旬ぐらいに日本から離れる。

三重県四日市市では「市の鳥」に指定されていて、原動機付自転車と小型特殊自動車のナンバープレートがユリカモメのデザインになっている。

物語とは何の関係もない、どうでもいい情報である。



〇たくさんの船が出入りする四日市の港

四日市港では、綿花の輸入、陶磁器の輸出などを行なっていた。

四日市市史によると、1910年代ごろまでは四日市港は名古屋港よりも貿易が盛んだったらしい。ただし、1920年代に逆転された。



〇この時代に認められていた飛び級の制度

大正時代はわりと飛び級する人がいたようである。たとえば、日本初の女性パイロット・兵頭ひょうどうただしは、小学校を卒業後に高等女学校の3年生に飛び級している。ちなみに、彼女はNHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』(1976年放送)のヒロインのモデルの一人である。






<2話 夢見がちな菜々子>用語解説


〇麻布西町

現在の元麻布。麻布区のほぼ中心部にあった。元々は門前町だったが、明治期からは高級住宅地となった。

つまり、花守家はわりとお金持ちだったりする。



〇ガス七輪

投稿時、うっかり「ガスコンロ」と書いてしまった。許してクレヨン。

明治37年(1904)ごろにイギリスから輸入され、ガスコンロの原型となった調理器具。ていうか、現在のガスコンロと見た目があまり変わらない。



〇メイデン友愛女学校

モデルは、麻布の鳥居坂に実在した東洋英和女学校。カナダ・メソジスト教会の宣教師マーサ・カートメルが明治17年(1884)に開校した。

『赤毛のアン』の翻訳者として有名な村岡花子や、その友人で「白蓮事件」で知られる柳原白蓮もこの学校の出身である。

ちなみに、アニメ『大正野球娘。』の舞台となった東邦星華高等女学院も、東洋英和女学校をモデルにしているらしい。



〇少女小説の読みすぎだな

この当時(1916~1924)、吉屋信子が有名な『花物語』を少女雑誌『少女画報』で連載していた。菜々子もこの『花物語』を夢中で読んでいる読者の一人、という裏設定がある。

いわゆるエスと呼ばれる少女同士の絆を描いた『花物語』は、現在の小説やマンガにも影響を与えていると思われる。



〇大学教授の仙造

かなりどうでもいい話だが、仙造は、忠犬ハチ公の飼い主で有名な上野英三郎(東京大学教授)と顔見知りという脳内裏設定があったりなかったり。

ちなみに、上野教授は桜子と同じ三重県出身である。






<3話 百年前の東京>用語解説


〇東京駅

東京駅は大正13年(1914)開業。東京駅の駅舎は皇居に真正面に向き合う位置にあり、いわゆる「皇室御用達の駅」というイメージが当時は強かったらしい。

だから、東京の庶民の間では、始発の東京駅ではなく新橋駅から列車に乗るという習慣が昭和初期ごろまであったようである。

でも、大正時代を舞台にした物語ではだいたい東京駅の赤レンガ駅舎が華々しく登場するので、『花やぐ愛は大正ロマン!』でも東京駅を出した。



〇東京駅の駅舎内にあるホテル

東京駅丸の内側駅舎にある東京ステーションホテルのこと。大正4年(1915)創業で、現在も営業中。江戸川乱歩、川端康成、松本清張もこのホテルを利用した。



〇タクシー

日本で初めてタクシーが運行されたのは、大正元年(1912)8月5日。最初は6台だけで、流しはなかった。上野駅や新橋駅を拠点にお客さんがやって来るのを待ち、「辻待ち駕籠」ならぬ「辻待ち自動車」だった。後に東京駅が開業すると、東京駅にもタクシー車を置いた。

当初、初乗り料金は60銭。半マイルずつ10銭加算。山手線の一区間が5銭だったので、かなり運賃が高かった。(当時、3銭でもりそばが食べられた)

大正10年(1921)ごろには、タクシー車の数は1205台に増加していた。

タクシーは全国にも普及したが、最初は料金がバラバラだったので苦情が殺到したらしい。



〇東京の名物を歌った音楽の中にも、スリの名前が出てくる

大正時代に流行した東京節(別名、パイノパイノパイ)という東京名物を歌った曲の中に、「スリに乞食にカッパライ」という歌詞がある。とてもリズミカルで面白い歌なので、一度聴いてみることをおススメする。

アニメ『大正野球娘。』では1話の冒頭で主人公の鈴川小梅がこの東京節を歌っていて、大正時代の東京を紹介してくれている。ただし、「乞食」というキーワードがNGだったらしく、「スリにケンカにカッパライ」に歌詞が変更されている。



〇(当時の警察官は)「ガチャガチャ」と市民たちから呼ばれてバカにされていた

この物語(1922年)から数年前、景気がとてもよく、就職先がたくさんあって警察に志願する若者たちが激減した時期があった。

そういった理由で、困り果てた警視庁は普段なら絶対に採用しない気弱そうな若者まで警官にしたのである。

新米巡査たちは立派なサーベルをガチャガチャ鳴らしながらふんぞりかえって街を巡回したけれど、いざという時はまったく頼りなかったので、「ガチャガチャ」と市民たちから呼ばれてバカにされていたのだった……。



〇アメリカ産の外車フォード・モデルT

1908年にアメリカで登場して以来、1927年までに1500万台以上も生産された。自動車史の中でも特筆されるべき車。

日本で1912年に初めて運行されたタクシー車も、フォード・モデルTが使われていた。



〇銀座のレンガ街

大正11年(1922)当時の地図を見ると、洋酒輸入販売店「亀屋」、「銀座ビヤホール」、チュウインガムを輸入販売していた「リグレー」、「川崎銀行銀座支店」などが建っていた。

1年後の関東大震災で大きな被害を受けるが、復興した銀座大通りには松坂屋、三越、松屋などの大きなデパートが進出することになる。

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