2.岡野涼太
始まった文化祭。学校中がざわざわと沸き立っている。流行りの甘ったるいポップソングも、今日ばかりはなんだか悪くない。生徒からのリクエスト曲を挟みながら進行する放送部のラジオをBGMに、模擬店や展示、文化部の発表に、運動部の他校交流試合など、北高全体が活気に満ちている。
なかなかどうして結構盛り上がっているじゃないか。なんだかんだフィクションの〝学園祭〟とは天と地の差ほどあるかと思っていたけれど、意外や意外、現実も捨てたものではないらしい。そこかしこから青春の香りが漂っている。ナベさんの演奏発表も、相方と息ぴったりでとても良かった。あの二人、既に恋仲だったりするのだろうか。
……一方で。
「だからなんでそうつまんなそうな顔してんだよ」
隣を歩く小娘は、どうにも不服そうに往来を睨みつける。……こちとら三橋たちとの約束蹴ってお前といるんだぞ。いや、俺から誘ったわけだけれど。人といるんだからもうちょっと楽しそうにしたらどうなんだよ。一体何がそんなに憎いんだ。
――いや、違う。
「参加できない自分に対する自己嫌悪」
図星だった。彼女はびたっと、分かりやすく歩みを止める。
「仕方ないだろ……そうやって捻くれてもなおのことつまらなくなるだけだぞ。出展はまた来年やったらいいさ。入学してから時間なさすぎたし、きっと一年はほとんど客みたいなもんなんだよ。悠歩先輩たちの芝居までは少し時間あるし、校舎一周してみようぜ」
「……うん」
納得したのかしていないのか、小さく頷いた彼女と一緒に、賑やかさに混ざっていく。
こういうのは思い切って、楽しんだ者勝ちなんだよ、きっとさ。
「あ! 田中さんにセキヤくん!」
賑わう廊下、群がる生徒たちを避けながら連れ立って歩いていると、見知った巨漢に声をかけられた。
「ん、岡野」
岡野は両手にプラカードを抱えながら、不快に汗だくで迫ってきた。隣の田中真由子は俺の後ろに隠れるように一歩下がって、どうにも所在なさげに目を逸らす。
「今から時間あったりする……かな? よかったら演奏聴いていかない? 多分二人も気に入ってくれると思う曲を演奏するんだけど!」
教室での彼や、かつて話した時の彼とは違い、どことなく陽気だ。文化祭の熱に中てられているのだろうか。手元のプラカードには『軽音楽部、ライブ中‼』と書かれている。
「……てか岡野、お前軽音部入ってたのか」
「あれ、言ってなかったっけ? まぁとにかく、暇なら是非観ていってよ!」
正直、岡野がどんな演奏をするのか気になった。隣でむすっと膨れているこの傲慢娘、田中真由子がSSS団加入を断ったその相手が、どんな学校生活を送っているのかも気になるところだ。
教室じゃ目立たない振る舞いをしている(とは言え体格でどうしても目立つ)岡野だが、先程の目の輝きはこれまでに見たことのないもので、どうにも興味をそそられた。
というわけで、自分の出番ももうすぐだという岡野と一緒に会場へ向かう。
案内された二階端の特別教室。演劇部の新歓公演の時のように暗幕が張られ、むわっとした熱気が充満している。教室入って左手側にステージ、右手側に音響卓と照明器具があって、間に挟まれるように観客が群がっていた。
会場に入った時に演奏していたバンドの出番が終わった。ぱちぱちと起きる拍手の中、会場BGMが薄くかかり、次のバンドとの交代作業に移る。
「さあー! 続いては満を持して、軽音部期待の新人の登場だあ!」
おそらく同じ軽音楽部の部員であろう観客たちが、MCの言葉に楽しそうに声を上げる。
内輪ノリとはいえ異様な盛り上がりだ。次の演奏はタイムテーブルを参照するにどうやら岡野の所属するバンドのようだけれど、彼は特別視されるような新一年生とバンドを組んだのだろうか。ということは彼自身も、それに見合うくらいの演奏テクニックを持っているということなのかもしれない。
岡野を含めた四人が、ステージで機材設置や楽器のチューニングなどを行う。岡野は客席から見て右端。拙い知識しかないが、彼が抱えているのはレスポールタイプのギターだ。某平沢姓の彼女のギターと言えば分かりやすいだろう。何故かその頭にはウサ耳カチューシャが装着されており、彼の容姿と相まってどうにもシュールな光景だった。左端にはベースを抱えた女子生徒。彼女もまた、ショートカットにウサ耳カチューシャをつけている。中央ではギターをぶら下げた男子生徒がマイクスタンドの高さを調整しており、いわゆるギターボーカルというポジションのようだった。やはり彼もまた謎にウサ耳カチューシャを装備している。イケメンなので妙に様になっているのが悔しい。ギターボーカルの背後にはドラムをセッティングしている眼鏡の男子生徒。……これまたウサ耳を装備していた。
準備が完了したようで、会場の照明が暗くなる。籠った静けさに包まれる教室。
ノイズを圧し潰すように、歪んだギターの和音が一発鳴らされた。
そして、暗い照明のまま、マイクを通さない肉声がカウントを叫ぶ。
「ワン、ツー、ワンツースリーフォー!」
四人が一斉に演奏を開始する。同時にスポットライトが点灯。観客から歓声が起きる。
始まった一曲目。有名なアニメソングだ。一時代のブームの先陣を切った軽音楽アニメの曲。某平沢姓のアレ。女性キーの曲だが、ボーカルの男子生徒は原キーで器用に歌う。
流れるように続くのは、これまた某アニメの挿入歌。作品内で陽動部隊を担当する四人組ガールズバンドの持ち歌だ。それなりにシンプルなギターサウンドだったように思うが、聴き覚えのないメロディがボーカルの裏で鳴っている。
「岡野、アレンジ入れてる……?」
それは決して歌メロの邪魔をせず、耳ざわりよく伴奏を引き立てる。
期待の新一年生、それってまさか――。
「えー、このバンドは、軽音楽部のエリートオタクたちがね、揃ったバンドなんだけど」
二曲を終えて、ボーカルがMCを取る。内輪ネタのようでいまいち話題についていけないが、その軽快な喋り口調は場を盛り上げ、観客の間に笑いが起きる。
「この新入りがさ、これまた超がつくほどのオタクで、しかもギターが俺より上手ぇんだよ」
「岡野~!」と誰かが声援を飛ばす。岡野は照れた表情でへこへこと身を屈める。
そうか、やはり。――期待の新人とは、岡野だったのだ。
「てなわけで、まあ正直俺たちのバンドが今日のトリでもよかったと思うんだけど、一年は通例、文化祭では演奏しないので、さすがにそこまではやらせてもらえませんでした~」
「お前たちが優勝~!」
観客がまた野次を飛ばし、暖かい笑いが広がる。
「ところでこのウサ耳どうよ。立川は直前までバニーガールの予定だったんだけど」
そう言ってセンターでマイクを取るイケメンは、ステージ左側、ショートカットのベース担当を指差す。皆が彼女に注目する。
「事務所NGかかってるから」
ベースの彼女は恥ずかしそうに俯き、ぼそりとマイクに吹き込む。また笑いが起きる。
ボーカルの男子生徒は三年生のようだった。どんな風にトリのバンドが決まるのかは知らないし、比較対象の演奏を聴いていないから断言はできないが、先の二曲を聴いただけでもその完成度は十分トリを張ることのできるものだと思った。
「じゃ、次はそんな岡野の激烈なプッシュで演奏することになった二曲を、続けてどうぞ」
ドラムのフィルイン。始まる演奏。リードギターのフレーズが特徴的なあの曲。
「あ、God knows…」
隣の田中真由子が目を見張った。踵と顎を上げ、ステージ前で群れて跳ねる男子高校生の身長を越えようとする目線。その姿はなんだか滑稽で、でも微笑ましい。
彼女はちょっとずつその身をステージ側に前進させる。身体はリズムに乗って、今やステージ前で手を突き上げる聴衆と一体化していた。
岡野は、笑顔で、全身で演奏する。激しいギターソロ。照明に煌めく汗、その汗は、デブが常時代謝しているあのどうにも不快なそれとはまるで違う――なんて言い方はどうかとも思うが、それは確かに、爽やかで、輝いて、どうしようもなくカッコいいものだった。
あいつは笑っている。きっと心の底から楽しんでいる。激しく揺れる頭から落ちたウサ耳に目もくれず、一心不乱に弾き倒す。曲はあっという間に終わり、拍手と歓声が上がる。
「軽音部――――ッ‼」
テンション最高潮の岡野が声を張り上げる。その言葉にはにかむドラム担当がシンバルでカウントを刻み、ギターのチョーキングが鼓膜を突き刺す。
「Lost my music‼」
俺たちの気に入る選曲、か。なるほど岡野、文句無しだ。
左隣で突っ立って、呆けたようにステージを眺める田中真由子に目をやる。
ステージから跳ね返る照明が、彼女の顔をぼんやり照らす。その目から、溢れんばかりに伝わってくる感情。羨望、無力感、悔しさ、憧憬、嫉妬心、大好きであろう曲を背景に、溢れ出す。切なそうに、楽しそうに、寂しそうに、高揚している。傍で見ているだけで、それははっきりと見て取れる。
ついには俺も堪え切れず、目の前で跳ねる汗臭い群れに、思い切って飛び込んだ。
もみくちゃになって、両手を掲げて、一緒になって歌った。
岡野、すげえよ、カッコいいよ、輝いてるよ、お前。
「次で最後の曲です! 短い時間だったけどありがとうございました!」
始まった最後の曲。きっと誰しもが一度は聴いたことのあるその超有名アニメ主題歌は、原曲から大きくアレンジが施されていた。直前のMCによれば岡野が打ち込みのアレンジ音源を作ってきたらしい。四つ打ちも織り込んだ〝ノレる〟アレンジだ。曲のテンポも少し早くなっていて、疾走感が強調されている。間奏のギターソロはもちろん岡野の馬鹿テクが炸裂。眩しい笑顔。メンバーも皆笑顔。観客も笑顔。サビは声を揃えて大合唱。
〝無限大な夢のあとの――〟
その有名なサビのフレーズは、じくりと胸に広がる。爽やかでポップな曲調の中で、どこか寂しく響く。
隣の田中真由子をちらりと見やる。彼女も一緒になって口を動かしている。歌っている。両手をぎゅっと握って、顎を上げて、ステージに見入っていた。
「ありがとうございました~!」
バンドメンバー一同が声を揃えて深く一礼。観客からは大きな拍手。俺だって心からの拍手。顔を上げた岡野は両の握り拳を天井に向けて突き上げる。その顔に充ちているのは達成感。充足感。汗がキラリと流れて光って、そうして彼は爽やかに笑う。
ああ、そうだ、岡野は――――。
「岡野」
会場隣の資料室――文化祭の間、軽音楽部の控え室となっている小さな部屋で、汗を拭きながらコーラを呷っていた岡野に声をかける。一瞬で空になるペットボトル。そりゃあその体格になるよ。
「あ……セキヤくん! どうだった? ナイスな選曲だったでしょ」
「おう、ノリ良くてライブ受けしそうな選曲だったな。最高だったよ」
岡野に向けて、親指を立てた拳を突き出す。にぃ、と砕けて笑う岡野。
「よかったよ~! 聴いてもらえて」
「にしても岡野、ギターめちゃくちゃ上手いんだな。びっくりしたよ」
「中一の時からやってるからね~。でもきっかけはアニメだよ。うんうん!」
腕を組んで、大袈裟に首を振る。ライブ終わりでテンションがハイらしい。
「某軽音楽アニメ?」
「そうそう。ミーハーっぽいっしょ?」
「あそこまで上手くなりゃ儲けもんだろ」
「ツインテールの彼女になりたかったんよ、俺」
「あー、じゃあなんでムスタングじゃないの?」
「デブにはレスポールって決まってんの!」
そう言って「どわはは」と大笑いする岡野。普段の彼からは想像できないような、明るく陽気で、きっとありのままの岡野がここにはいた。こんな風に、自分の好きなことを、少しの後ろめたさもなく表現できる場があるってことは、幸せなことなのだと、思う。
そして同時に、とてつもなく、羨ましかった。
「なんか、教室での岡野と全然違ってさ、その、マジでカッコよかったよ」
「いやー、照れますなあ。なんだろう、ギター弾いてる時は無敵? みたいなの、あるよね」
いつもの岡野とは違う、突き抜けるような笑顔。こんな一面もあったのかと、彼の好感度がグッと上がる。眼鏡を外した岡野はタオルでぐしゃっと顔を拭って、
「明日もやるからさ、よかったらまた観に来てよ。同じ曲目で恐縮だけど」
滴る汗も拭い切れないで、笑った。
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