8.部室探し

 田中真由子が痛々しい勧誘を始めてから二、三日すると、休み時間に時折、他クラスや他学年の生徒が廊下から教室を覗き込み、何か話してはひそひそと笑うような場面に出くわすことが増えた。視線が向かってくる先が俺の右隣で、廊下から俺まで同じ直線上にあるため、どうしたって意識に入ってきてしまう。

 このクラスの生徒に何か尋ねたりする様も見て取れ、かなりの有名人になっているようだった。そりゃあそうだ。なんだかおかしな生徒が同じ学び舎にいるとなれば、なんとなく気になるし、中には見世物的な愉快さを感じる者だっているだろう。同じような毎日の繰り返しの中で、なんとなく楽しめそうな出来事があるらしいと知れば、飛びつくことだって不思議じゃない。それ自体は特別残酷なことだとは思わないし、事実あいつはそんな風に他人から笑われるような振る舞いをしている。


 けれど――――。

 かなりの頻度でやってくる男子三人組がいた。彼らだけどうにも他の見物人とは空気が違った。何かよからぬことを企んでいるかのようないやらしい目つきでニヤニヤ笑っている。近くをすれ違った時に分かったのは同じ一年生だということ。クラスメイトも田中真由子以上に、休み時間に教室の前で下品に騒ぎ立てる彼らが迷惑のようで、そのあたりこのクラスは温厚なのだなあとしみじみ実感するのだが、そんなクラスなので誰かが「目障りだ」と注意しに行くようなこともなく、しばらくしたら落ち着くだろうと無関心無関係を決め込んでいる。


 無論、笑い者にされるような行動を彼女は取っている。それは純然たる事実であり、その点に関しては擁護のしようがない。しかし、だからこそ、ああいうある種無邪気な悪意は幅を利かせてしまう。あちらには大義名分にも似たものがあり、大手を振るって彼女のような人間をからかうことが出来る。「出来る」などと言ったがもちろんそんな権利を誰も与えるわけではない、認めるわけでもない。しかし実際問題、面と向かってそれを悪だと批難する人間はあまり多くない。

 どうやら三人組は全員同じクラスで、サッカー部に所属しているようだった。時折クラスの石川を始めとするサッカー部員たちとつるんでいるところも確認でき、田中真由子みたいな存在に理解がある人間とは到底思えなかった。


 次第にその男子三人組の行動はエスカレートしていった。大抵の人たちが一度見に来る程度で終わっていく中、彼らだけは違った。執拗だった。

 休み時間、廊下から丸められた紙屑が飛んでくる。目標の頭上を越えたそれは俺の机の上で小さくバウンドする。廊下を見ると「なに外してんだよ」という表情でいやらしく笑い合っている。当の対象田中真由子は無視を決め込み、それはそれで正しいのだが、正さないといけない部分はそんなところじゃないんだよなとなんだか別の部分に腹が立つ。


 いい加減限界だった俺は、思い切って立ち上がり、彼らの元に向かう。糾弾の正当性は、こと俺に関しては真っ当にあるはずだった。

「……あのさ、俺の方にも飛んでくるんだけどやめてくれないかな? 迷惑なんだけど」

 彼らは俺が彼女と同じ謎の団体で活動していると把握しているのだろう。見下すように、馬鹿にするように、俺の言葉を反復した。

「迷惑なんだけど~」

 クククと声を殺して笑う。

 高校生になってまでそんな中二みたいなメンタルで行動するような人間がいるのかと首を傾げたくもなるが、そういや中二メンタル全開で他者からのヘイトを溜めまくっているのは当の田中真由子自身だったことを思い返し、複雑な心持ちになる。


「お前らまた来てんのかよ~、オラ、帰れ帰れ」

 情けなくもそれ以上何もできない俺が立ち尽くしたまま三人を睨みつけていると、背後から声がした。

 振り返ればクラスメイトの石川。仕方ねぇなぁ、という表情でしっしっ、と右手を振る。

「オッ、石川~今日顧問出張でいないらしいぜ」

「ラッキーじゃん。ほら、帰れもう。あんまくだんねーことしてっと顧問にシバかれるぞ」

 石川は気怠げに、深刻さなどまるで感じさせないで、三人を追い払った。

 三人組は不満げに何かぶつぶつ言いつつも、石川の言うことなら、とそんな風に自らの教室へ戻っていく。


 あっさりと、この場は収まってしまった。

 小さくなる三人の背中を見送りながら石川は、やれやれといった口調でぼやく。

「あいつらなぁ、悪いやつらじゃないんだけどなぁ。ああいうところあんだよなぁ」

 どうやら石川は、外面だけでなく内面もイケメンであったらしい。

「なんか、悪いな。ありがとう」

「……正直さ、あいつがあんな風にからかわれることって、不思議なことじゃないと思うんだよ。俺らのクラスのやつらってみんな、優しいよな」

 石川はロッカーから次の授業の教科書を取り出しつつ、素朴に言った。

「俺もさ、あいつらみたいにからかいたくなる気持ちは正直分かんなくねーよ、実際見てて面白いし。小学校の時とか、田中みたいな浮いてる男子からかって遊んでたこともあるしさ。……でも、もういい歳だぜ? ああいうの見てると、罪悪感湧いてくんだよな。ガキだったとはいえ、かつての自分がやってしまったことだしさ」

「…………」

 石川、ごめん。俺は正直、今この瞬間までお前のこと、あいつらと仲良いからあちら側の人間なんだって、思い込んでいた。でも、撤回する。お前めちゃカッコいいよ。主人公タイプだよ、本当に。お前みたいなやつが「実は美人のいじめられっ子」でも助けたら、もうそれだけでボーイ・ミーツ・ガールだよ。物語の始まりだよ、素敵なカップル成立だよ。


「お前さ、なんで田中と一緒にいんの?」


「――え?」

 身長の高い石川は、しかしどこか怠そうに猫背になって、ぼんやりと尋ねてきた。

「や、純粋な疑問。別に悪いと思ってねーよ、誰が誰と一緒にいたっていいと思うけどさ」


 ――それは。それは、


「おらー、教室戻れェ! 授業始まんぞー!」

 言葉を返すその前に、どこかのクラスの授業担当の教師が、廊下にたむろしている生徒たちに一喝入れた。のんびりそれぞれの休み時間を過ごしていた生徒たちは、慌てて教室に飛び込む。

「……ま、なんでもいいけど」

 石川はにぃ、と気怠げに笑って、のっそりと教室に戻った。



「今日は、部室探し、する」

 放課後。いつものように、着席している俺の右手側に仁王立ちし、わずかに見下ろすようにして、団長命令を下す田中真由子。

「部室」

 なるほど。未だ構成員二人の我々が、一丁前にも部室を確保しに行こうというわけだな。

「どうだ、ここは偉大な先例を参考に、文芸部に突っ込むというのは」

「それは無理。文芸部は三年が四人、一年生が三人の七人部活だから。籠絡できない」

 籠絡とか言うな。参照元も確かに籠絡だけど。というかそういうところばっか現実的だな。

「零細部活への寄生は無理ってことね。じゃあどうすんだ」

「空き部屋を乗っ取る」

「……ま、行くだけ行ってみるか」


 案の定、使えそうな空き教室などありはしなかった。当たり前のことである。どの教室だってもれなく必要とされている。埃を被ったままの空間なんてこの学校にありはしない。SSS団なんてお呼びじゃないのである。


 一縷の望みをかけて、最後にやってきた場所。

 ――がちっ。

「開いてない」

「だろうな」

 最上階、階段突き当たり。屋上への鉄扉。無論、施錠。

 屋上が解放されているなんて、そうラノベみたいに都合よくはいかないものである。

「このちっこいスペースにするか?」

 扉から視線を右手側へ落とす。日当たり最悪の、屋上前踊り場。

「……いい」

 というわけで、この学校に、SSS団の居場所はない、という結論に至った。



「ま、部室なんてさ、あってもなくても変わんないだろ。まだ二人しかいないんだし」

 グラウンドの端。諦め悪く校舎外探索にまで出た俺たちは、しかしやっぱり活動場所など見つけることはできないで、パックジュース片手に、日向の石段に腰かけている。

 ぼんやり眺めるはサッカー部、野球部、陸上部員たちが汗を流し、青春を捧げるその姿。

「今日は失敗」

「だな」

「でも諦めない」

「うーん、まあ、それもいいかもな」


 かきぃん、と、金属が高速を捕らえる音。誰かの掛け声。

 空はどこまでも青くて、新緑はただただ眩しかった。


 ――こんな時間に、果たして意味はあるのか、と、自分自身に問う。


 左隣を見る。気難しい顔でレモンティーを吸い上げる少女が、グラウンドを眺めていた。

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