あれから三年

「早いもんだ。あれから三年か」


 レッシュはリサと向かい合って喫茶店のテーブルについていた。


「そうね。コンビニ強盗は怖かったけれど、レッシュがいてくれてよかった」


 三年前とさほど変わらぬ容姿のリサは、やはり同じようにはにかんで笑う。


「あの後ここでお茶して、なんだかんだ言っては会うようになったんだよな」

「うん。レッシュはあの頃、わたしと付き合おうなんて思ってなかったでしょ」


 図星を指されてレッシュは乾いた笑みを浮かべた。


「まぁな。けどイヤじゃなかったよ。デートに誘われるのは」

「今は?」


 リサの問いに、レッシュはうっと息を詰まらせた。


「あー、そういや、ここでデートしてる時にウィイトレスが水こぼして足にかかったことあったよな」

「もう、そうやってごまかすんだから」


 あはは、と笑うレッシュだったが、次の瞬間。

 あっという短い悲鳴の後に、頭にバシャリと冷や水が降り注いだ。オマケとして氷もコンっと脳天直撃。


「レッシュ、大丈夫?」

「すっ、すみませんっ!」


 リサの悲鳴に続いてウェイトレスの謝罪の声が降ってきた。


「……いいよ。ちょうど暑かったしな。でもさすがにこれは冷たいからタオルか何か貸して」


 引っ掛けられたのが水でよかった。これがホットコーヒーなんかだとしゃれにならない。レッシュは不幸中の幸いとポジティブに考えることにした。

 店からタオルを借りて適当に水気を拭きとって、レッシュはやれやれと息をついた。


「……それで、これからどうするの?」

「ディナーの予約は七時だから、もうちょっと時間あるな。公園にでも行くか」


 本当はもうちょっと喫茶店にいてもよかったのだが、ここにいたらまたよからぬことが起こりそうな気がして、レッシュはリサを連れて店を後にした。




 昼間の肌を焦がすような日光も、夕方になると幾分か和らぐ。

 日暮れの公園は様々な人で賑わっていた。芝生の上ではカップルが自分達の世界を展開していたり、子供達が球技に興じていたりする。

 レッシュはリサと手をつないで、適当にぶらついていた。


「ここでのデートだったよな。おまえが告ってきたの」

「あの時は、すごく緊張したよ。断られる可能性が高いって思ってたから」


 三年前、時々デートをするようになったレッシュとリサは、この公園にも足を運ぶようになった。

 コンビニでの再会から一ヵ月後、リサがレッシュに付き合ってほしいと言い出した。


『実はね、高校の時からあなたのこと好きだったの。あんな事件があってみんながあなたを避けるようになって、そのうちレッシュが学校に来なくなっちゃって、わたし、すごく後悔したの。周りの目なんてどうでもいい、わたしはレッシュのこと好きって言えばよかった。だからこうして会えたこと、すごく嬉しいの。神様がやり直すチャンスをくれたんだって』


 リサのまっすぐな瞳がレッシュにはまぶしかった。


『だから、今はちゃんと言うね。……ずっとレッシュのこと気にしてたし、今、とっても好きよ。わたしでよかったら付き合ってほしいの』


 リサは高校生の時のままの純粋さを持っていた。可愛いと思ったし、彼女といると心が和んだ。


 だが彼女の昔と変わらぬ姿は、もう戻ることができないほどに変わってしまった自分の姿を鮮明に映し出す。レッシュはどうすればいいのか、数日の間、真剣に考えた。

 結果、付き合ってみてから答えを出すのでもいいのではないか、という、ある意味彼らしい結論に達した。


 付き合おうか、と告げた時のリサのほっとした笑顔を、レッシュは今でもはっきりと思い出せる。

 そこまで不安にさせていたのかとレッシュは苦笑をもらした。


「そんなにおれ脈なしな態度してたかな」

「脈なしだったら言ってないわよ。よく判らないから言ってみようって気にもなったし、緊張したんじゃない」


 リサの返事にレッシュは「それもそっか」と頭をかいた。


「レッシュってあんまり好きだとか言ってくれないよね。冗談では言うのに」

「もっと言ってほしいものなのか?」

「それは、もちろん。でも」リサが足を止めてレッシュに向き直った。「急に好きだ愛してるとか連発しだしたら、熱でもあるか浮気でもしてるのかって疑っちゃうわ、今となっては」


 冗談っぽく笑いながらリサはレッシュの額にそっと手を置いた。

 思っていたよりも、ひやりと冷たい手が心地いい。さらに、夕日の赤みよりもさらに赤くなったリサの笑顔が可愛いと思え、レッシュの口元も自然と緩まった。


 ――けれどおれは、おまえを騙してる。


 レッシュはふと、そんなことを思う。

 自分がマフィアに与していること、父親の仇の諜報員を捜し出して復讐しようとしていること。

 それらを黙ったままリサと付き合うことに罪悪感を覚えながらも、居心地のいい場所を失いたくなくて甘えていることも。

 本当は自分にはリサと恋人でいる資格などない。純粋なリサに思ってもらうほどの男ではない。


 リサに好きだと言えないのは、その後ろめたさなのかもしれない。


「……レッシュ?」


 レッシュの額に手を当てたまま、リサが不思議そうに見上げていることに、レッシュははっとなった。


「いや、なんでもないよ。あー、そういえばさ、この公園でも痛い思い出があるんだよな」


 額に置かれた手を握ってそっと下ろしながらレッシュは笑う。


「またはぐらかすのね」


 リサが肩をすくめた。


「だって思い出しちまったんだから。あん時は野球のボールが飛んできて――」


 レッシュの言葉を最後まで待たず、少し離れたところでコーンという小気味よい音が響くのが聞こえた。かと思うとレッシュの額めがけて野球ボールが飛んでくる。


「……っとぉ! そうそう同じ手は食うかっ」


 パシっとボールを手のひらで受け止めてレッシュが勝ち誇った顔で笑う。


「リサの手は嬉しいがボールの直撃なんざ――」


 バコーン。


 鈍い打撃音の直後にレッシュの言葉が再び途切れた。

 予期せぬ方角からの攻撃にレッシュは地面にへちゃりとつぶれていた。

 傍では彼の後頭部に直撃したサッカーボールが軽快にバウンドしていた。


「れ、レッシュ……。大丈夫?」


 あまりのことにリサは呆然としていたが、地面に突っ伏したままのレッシュに恐る恐る尋ねてみる。

 そのリサの声と重なって、後ろから子供達の歓声が近づいてきた。


「ボールどこだー?」

「あー、あった、あそこー」

「あれ、誰か倒れてるよ」

「ボールに当たったんだ。だっさー」


 子供達がいっせいに笑う。


「……人にボールぶつけといて、こンのガキどもが……」


 レッシュがまさに背景に炎をしょっているがごとく、全身に怒りをあらわにして身を起こすと、さすがに子供達の笑い声が引きつった。


「お、おにーちゃん、抑えて抑えて」

「ボールがぶつかったぐらいで怒っちゃだめだよ」

「恋人の前でみっともないことやめよー、ね?」


 じりじりと後ずさっていく子供達。


「やかましぃ! まずわびの言葉が出てこねぇのかっ」


 レッシュが一喝すると子供達は跳び上がって逃げ出した。


「心の狭い男めー。ふられちまえー!」


 あろうことか、最後にとんでもない捨て台詞を残していった。


「レッシュ、お、落ち着こうよ」


 怒りのボルテージを上げて、本当に赤い闘気を体から噴出させているレッシュに、リサが声をかけた。


「そ、そうだな。ガキどもが悪いんじゃねぇ。元凶はこのボールだ。そうだ、そうなんだ」


 怒りのままに引きつり笑いを浮かべるレッシュ。

 リサが止める間もなく、レッシュは闘気を解放したまま、思い切りボールを蹴り飛ばした。

 はるか彼方でさっきの子供達の悲鳴があがったような気がするが、レッシュには聞く気はなかった。




 結局、レストランでのディナーの時間まで、後頭部にできてしまったこぶを冷やすという情けない時間のつぶし方になってしまったレッシュ達。

 何とか痛みもこぶもひいてきたので、レッシュは気を取り直してリサとの交際三周年記念デートのメインイベントを楽しむ事にした。


 普段のデートでは行かないような高級フレンチ店でのディナーだ。レッシュ自身も楽しみにしていた。普段は「食い物なんて、まずくなくて量がありゃいいんだよ」などとうそぶいていても、やはりおいしいものを食すチャンスは嬉しいものだ。


 フランス料理だけにメニューを聞いても知識がなければいまいちどのような料理なのか想像できなかったが、フォアグラのポワレと野菜のブイヨンや、ホロホロ鶏のキノコ詰めローストなどはとてもおいしいと思った。


 そしてリサも、贅沢な料理の数々にとても満足そうな顔をしている。

 記念のデートを演出するには最高だなとレッシュも満面の笑みを浮かべた。しいて難を言うなら、やはりもう少し量がほしいところだと、レッシュらしい感想も持ったりしたのだが。


「うまかったよな」

 食後のコーヒーを飲みながら、レッシュはリサに笑いかけた。

「うん。ありがとうレッシュ」

「いやぁ、まぁせっかくの記念だしな」

「もう三年なのよね」


 リサがしみじみと言う。

 レッシュが相槌をうつと、リサは居住まいを正した。


「これからもよろしくお願いしますね、レッシュ」


 ぴょこんと頭を下げてから、リサは照れ隠しなのか、ちょっと肩をすくめて笑った。

 可愛いやつだとレッシュは思う。できるならずっと一緒にいたい、と。


 しかしレッシュが大きな秘密を抱え続ける以上、いつかはこの関係が壊れるのだろうという暗い予感も同時に心に影を落とす。秘密を打ち明けてもリサにはきっと理解できないだろう、とも。

 どの道、別れるしかないのかもしれないと思うと気持ちがずんと重くなる。


 だがそれをここで顔や言葉に出すほどには、レッシュも雰囲気が読めない男ではなかった。


「こちらこそ。至らぬところはたくさんありますが」


 かしこまって答えたレッシュにリサが笑う。レッシュも、その表情に笑みを引き出されたように、口元をほころばせた。


「……さぁて、そろそろ出るか。この後どうするかなぁ。どっかで飲むか?」

「うん。帰るにはちょっと惜しい時間よね」


 まだ二十時半。大人のデートの幕引きには少々早い時間だ。

 ふと、いやな記憶がレッシュの頭をかすめた。


「そういやぁ、この前ここで食事した帰りにさ、店のドアを開けたら――」

「レッシュ、それ以上言っちゃ駄目。今日の『そういやぁ』の後にはろくなことがなかったんだから」


 リサが慌ててレッシュを制する。


「それもそうだな。それじゃ、行こうか」


 レッシュは伝票を持って立ち上がった。

 会計を済ませ、ドアを開けると。

 バケツをひっくり返したかのような豪雨。


「止めるの、ちょっと遅かったのかしら」

「しかし何で一年前よりも降ってるかなぁ?」


 一年前、やはり記念のデートでこの店を訪れた二人は、予期せぬ大雨に遭遇したのだ。

 今降っているのはその時よりもさらに激しい雨。当社比一.五倍といったところか。


(ええぃ。おれの努めてるのは貿易会社だ。雨の量なんか関係あるか!)


 予想外の展開というのは、どうでもいい思考をもたらすものだ。

 冷静にこれからのことを考えて、ひとつの結論に達するレッシュ。


「タクシーでも捕まえるか」


 しかしこのような急激な天候変化の中で、そうそうタクシーなど捕まるものではない。


「何もこんなことまで再現されなくてもいいだろうに、くそっ」

「どうする? レッシュ」


 リサが心配そうに見上げてくる。


「しょーがねぇな。こっからおれのアパート近いし、走ってくか。服乾くまで、うちにいればいい。雨もそのうちやむだろう」

「え? 走るの?」

「ああ。ほら、いくぞ!」


 季節はずれの豪雨の中、レッシュはリサの手を取って走り出した。


「こんな雨になんか負けるかー」


 とんでもない思い出だけが誇張されて再現されたデートだったが、結末くらいは変えてやると、レッシュは愉快そうに笑った。


「何笑ってるのよ、もう」

「雨に濡れたおまえと、アパートでどうやって過ごそうかなーって思ってさ!」


 レッシュが言わんとしていることに気付いてリサは真っ赤になって立ち止まる。


「こんなところで立ち往生なんかしてたら風邪引くぞっ」


 すでに二人はずぶぬれで、今更少々時間を取られたところで状況は変わらなさそうだったのだが、そこは気付かぬふりだ。

 レッシュはリサを抱き上げてまた走り出した。


(これからも付き合っていくのに障害はあるだろうけれど、何にも邪魔はさせない)


 秘めた決意を胸に、恋人を抱いて我が家に疾走するレッシュであった。



(了)

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