第11話 それぞれのエピローグ
私は、無事に地球に戻ってこれました。傍らにはゲンさんの代わりにガリーザさんがいます。眼の前には『占い処 てり座』の安っぽい照明付の看板がチカチカと玉が切れかけた灯りを懸命に瞬かせようと必死です。
「空気が臭い所だよ。それに、夜なのに馬鹿に明るいじゃないか。なんて贅沢に術をつかっているんだい」
術ではなく、科学技術ですね。言っても判らないでしょう。テリザさんの占い店の玄関を開けます。安っぽい賃帯アパートの鉄のドアは蝶番を軋ませる音を出しながら開きます。鍵は掛かっていないようでした。随分と不用心です。奥から声が聞こえてきます。
「誰だかえ。もう、今晩は終いだえ。帰っておくれ」
「ささ、先読みの、にに、ニフテリザさんに」
部屋の奥から慌ただしい感じに駆け出す音が聞こえます。慌てなくとも狭い部屋ではありませんか。直ぐに辿りつきますよ。
「ゴ、ゴン、もう帰って来たのかえ! それよりも、さっきの名前はよしておくれえ」
顔を赤くさせた妙齢でお化粧が少し派手なお婆さんが奥から出てきました。占い師テリザのお婆さん。アシオー組合長さんと、薬草士のウムお婆さんの元チームメイト。
そして、私とゲンさんの旅が最後になると言い当てた人です。
「ほほ、本気か、げげ、ゲンさん」
「何べんも、言う気はねえよ、ゴン。本気だ。こっちに残る。日本には帰らねえ」
俺の言いだしたことに対してゴンの奴は慌てて聞き返してくる。まあ、突然言い出したのだから仕方がねえか。今までも帰るとは一言も言ってはいねえが、はっきりとは表明をしてもいねえ。慌てるのも仕方がねえか。時守の精霊から受け取った宝玉をゴンに渡す。
「これもな、貰ってくれ。餞別だ。地球で価値があるかは判らねえが、多少の金にはなるかもしれねえ。残した家族への詫び賃と、今迄付き合ってくれたお前への礼だ。他の連中の礼も含んだ品でもあるのか? 皆、手向けの品にして構わねえか」
一方的に決めた、俺の言葉に苦笑いを浮かべながらも皆が賛同をしてくれる。
ゴンは黙って受け取る。だが、何かを言いたげだ。
「ゴン、向こうに帰ったらホームレスは卒業だ。絶対だ。誓え。お前なら、立派に働ける。ドモリ癖を治せ。出来る。慌てなければな。テリザの婆と、ジョージを頼れ。きっと手を貸してくれる」
「わわ、判った。ち、誓う」
それが、なによりの俺への礼だ。他には何もいらねえ。だから、後は黙って行ってくれ。そう思う俺の心とは裏腹に、またも余計な口出しをするのがいる。
「ちょ、ちょっと待ったあ! こ、困るのです! あちらから来た人数は二人。必ず、二人は戻っていただかないと……」
「アタシが行くのでも良いのかい」
その余計な口出しを遮る女がいた。強気で、口やかましいが、きっぷのいい女。ガリーザの奴だ。
「お前、何を考えていやがる。良いのかよ」
「アタシが良いと言っているんだ。構わないだろう。アンタも言っていたじゃないか、余計な口出しは無用だよ。構わないのかい、精霊様達」
「……一応、問題は無いと思うぞ」
「……帳尻は会いますので。でも、貴方、先程の話を聞いていましたか」
「聞いていたよ。もう、戻れないんだろう。問題ないさ。肉親はいない独り身だからね。アンと同じスラム出身なのさ。霊力が高いからウムの婆から術を仕込まれて冒険者になれた。ラティオ、ハダス、勝手に済まないね。星の瞬きは抜けさせて貰うよ」
ガリーザの言葉を聞き、ラティオは苦笑いを浮かべる。
「貴方が、そう言い出したら聞きませんからね。諦めます。まあ、代わりは直ぐに入っていただけると思いますが」
ラティオの奴はそう言ってこちらをちらりと見る。しょうがねえなと思う。
「いずれにしても、ゴンの別れの挨拶は必要だ。ここにはいねえ奴らもいるから、言伝は預かるぜ」
アエラキに、オルデン、コロモスに鬼人種の族長の娘、メスィ、色々な連中がゴンがいなくなったと知ったら寂しがるだろう。俺は荷物からノートを取り出し、白いページを丁寧に切り取りゴンにペンと共に渡す。手紙の一つも認めてやってやれ。
ゴンは、今いるこちらの世界の旅で出会った連中に別れの挨拶を告げていく。手紙は手早く書き上げて俺が預かった。それぞれに向けて一通ずつ。文章は手短だ。ドモリ癖はあるが、筆まめで字が丁寧なゴンの文字は読みやすい。こちらの連中では、ウム婆以外には日本語は読めねえけどな。
荷物から取りだしたゴンのデジカメと俺のインスタントカメラで皆と一緒に記念撮影を取る。各々の写真も撮っていく。容量の制限範囲内なら幾らでも記録が残せるデジカメも良いもんだ。こちらの世界には充電をする機械がねえから使えなくなっちまうがな。インスタントカメラも用紙が終われば、ただの箱になる。もう少しの間だけの楽しみかな。
ちなみに、精霊二人も一緒に撮影をした。鏡に映ることがないという二人は喜んでいたが、ゴンのデジカメで見た小さいディスプレイの表示にも、俺の写した印画紙にもぼやけた輪郭が見えるだけ、まるで心霊写真みてえになった。二人共膝をついてがっかりしやがった。
腹の底から笑っていたら、周りの連中から叩かれた。流石に、無礼すぎて見過ごせなかったみてえだ。
「じゃあな、ゴン。言ったこと必ず守れよ」
「ゲ、ゲンさん。判った」
そう言ってお互い黙る。ガリーザはゴンの傍らにいる。家族に向けた手紙は預けた。ゴンは日本から持って来た荷物以外の武防具は皆残すと言う。ウム婆の薬だけは持たせた。何かの時には必ず使える。南雲の爺さんの時のように。
「では、法を行使します」
時の精霊が告げる。蛸巻貝の大きな殻が七色に輝きだす。輝きはグルグルと回る。その場から動かねえのにゴンが徐々に遠ざかる。景色がグニャグニャと歪む。暗くはならねえが、七色の光がやたらと歪む景色に乱反射する。
「ゴン、さらばだ!」
「……さようなら、ゲンさん」
歪む景色の中、遠ざかるゴンの声が微かに届く。さらば、さらばだ。お前にあえて良かった。法の行使は終わっても景色が歪み続ける。誰かが腰の辺りにしがみついている。心配するな、なんでもねえ。なんでもねえよう。
「で、結局、ゲンの馬鹿が残ったのかえ。アタシはねえ、ゴンが残ると思っていたよ。こっちの世界でアンタは強すぎるからねえ」
目を腫らした私からゲンさんの最後について聞きだしたテリザさんはそう語ります。そこは、力の加減でどうとでもできます。きっと、身寄りのない私が残るのだと思っていたのでしょう。捨て子で、孤児院で育った私に肉親はいません。
「ゴン、馬鹿なことを考えない方が良いえ。肉親はいなくても、育ててくれた連中が幾らでもいるえ。ゲンの家族とは、孤児院で会いな。そう手配するえ。異論は認めない」
何も言わない私の心を読むかのようにテリザさんはそう告げます。長いソファーの横に座るガリーザさんが口を出します。
「読心術かい。滅多に見ない珍しい術を使うじゃないか。先読みの二つ名の由縁かい」
「その名で呼ぶなと言ったえ。恥ずかしい。そうさ、これでよく相手の行動を先読みして攪乱した物さ。先読みとは程遠いえ。だからね、悔しくて予知術や予見術の研究をしたえ。で、術の暴走に巻き込まれてこちらに来たのさ」
チームが解散後一人、予知術や予見術を研究していたテリザさんは独力で「時の術」の存在に辿りつき研究をしていたそうです。そして、手に入れた蛸巻貝を触媒とした術の研究をしていた際に術が暴走し結果、日本に迷い込んだそうです。
「驚いたえ。どこをみても肌人種ばかり。それに、霊力を全く感じない。そのくせ、街は術を使ったかのごとくだえ。だけどね、右も左も判らないアタシは食うに困って身体売るかと思った矢先に行き会った男を占ったら金をくれた。なぜだか、先が本当に読めた。今でもそいつは常連客さ。結構、でかい会社とも縁があるんだえ」
名前を聞くと私でも知るような大手の会社名がぽろぽろと出てきます。初めて出会った男性が相当の大物だったようです。
「そうそう、アンタも気を付けなえ。術は使えるが、霊力はろくに回復しないえ。こちらでいうパワースポットって言う所に半年位は留まらないと回復はできないえ。……おかしいねえ。さっきから霊力が回復し始めた感じがするえ」
霊力が回復すると、心の調子が良くなるとテリザさんは言います。私達を占った際に結構な霊力を持っていかれて疲れて寝るところだったそうです。今は、調子が戻りつつあると言います。
「多分、こいつのせいだろうさ」
ガリーザさんは私の荷物を勝手にまさぐり、二つの漆黒の珠「時守の精霊の宝玉」を取りだします。瞬く間に、テリザさんの目が剥きます。
「こ、これは一体何だい! アンタ達、一体何をしてきたえ!」
どうやら、旅の詳細について話す必要ができたようです。まあ、ガリーザさんに頼むとしましょう。ゲンさんとの約束を守るには少し時間が掛かりますから。
「白エルフはまだいいとして、翼人種、竜人種に、水の精霊様、時の精霊様に会って褒美まで授かったのかい。どんだけの高位の存在にあったか自覚しているのかえアンタ達は。ゲンの馬鹿の事だから無礼に振る舞ったんだろうねえ」
見てもいないのにズバリと言い当てます。また、心を読まれたのでしょうか。違いますね。今までの行動から考えれば直ぐに分かります。
「フウ、それにしても時守の精霊の宝玉が、一つではなく、二つも。この場がパワースポットになるのが判るもんさえ。……ゲンの馬鹿、価値が無いなんてとんでもないえ。こっちでだって国が買える。未知の力の鉱物さ。宗教団体も狙ってくるね。ゴン、黙っておきなと言いたいがそのうちばれる。どうだい、私に預けないかい。お金は払う。さっき言った連中に用意をさせるよ。悪用はしないよ誓うさ」
「かか、構わない」
「いいのかい、ゴン」
構わないでしょう。私では手に余る品の様です。判る人に預かって貰いましょう。たまに、ガリーザさんの霊力回復に使わせてもらえば問題はありません。
「そうだね、ゴンの思う通りひとつは娘さん、アンタが持ちな。これがあれば霊力の心配なく術が使える。だけどね、この世界で術はあまり使わない方が良いえ。術――理法の体系が全くないから、気味悪がられるだけさ」
「ほ、本当かい、ゴン」
「ほ、本当だ」
ガリーザさんの慌てする質問に真実を伝えます。そして、人目のつくところで、みだりに術を使わないように注意をしておきます。時守の精霊の宝玉と同様に変な所から目を付けられる可能性を避けるためです。
「こちらの世界を知るたびにねえ、歪んだ世界だと思ったものさえ。肌人種しかいない、霊力はおろか、術さえないえ。一つの人種しかいないくせに、争い事は絶えない。けど、術よりも便利な技術が発展している。平和で生活もしやすい。矛盾だらけの世界さ」
向こうから渡って来た人からすれば地球の世界は歪んで見えるのでしょう。私やゲンさんが抱いたのと同じような感想をテリザさんは紡ぎます。
そして、いい加減、長話は止そうということになり、テリザさんは私達に泊まっていけと進めます。今現在、多少のお金の持ち合わせはありますが、ガリーザさんを連れてビジネスホテルに泊まるわけにもいきません。お言葉に甘えて、テリザさんの部屋に泊まらせて貰います。
数日間テリザさんのアパートでお世話になった後に、ゲンさんゆかりの人を求めてガリーザさんと一緒に旅を始めます。外人さんのような見た目のガリーザさんは目立ちました。黙っていれば綺麗ですしね。日本語も、自分で術を掛けて解決していました。やっぱり、術は便利です。
旅に先立ち、テリザさんから服を貰い受けます。私と、ガリーザさん二人分。向こうから戻って来たばかりの時は気付きませんでしたが、埃塗れ、血の跡塗れでかなり汚れていました。洗濯をすることもなくゴミ箱行きでした。
「宝玉のちょっとした先付けだと思えばいいさ」
吊るしのスーツを用意されて私は戸惑いを隠せませんでした。私の身体に合うようなスーツは滅多に無いはずです。どこで探し出したのか判りません。実は無理矢理仕立てさせたのかも知れません。ガリーザさんにも同じようにスーツが渡されました。スカートではなくパンツルックです。美人は何を着ても似合うから得ですね。
ジョージさん宅の連絡先はゲンさんしか知らないので、猟期以外に突然訪れた私の姿を見て驚きます。突然の訪問にも猟仲間を集めてくれてます。夜には宴会が行われる次第になりました。その前に、ジョージさんにはゲンさんの事を伝えておきます。
遠くの国に行き、帰ることはない。死んだわけでもないが、死んだと思ってくれと伝えられていると。
「あの人らしいや。心配なんてしませんよ。どうせ、逞しく生き抜くことでしょうし」
話を聞いたジョージさん達は少し寂しそうでもありましたが、笑って答えてくれました。
どちらかというと、私にこのまま村へガリーザさんと一緒に住めという声が多く上がったことに戸惑いました。最後は酔ったガリーザさんの火をまとう一喝で静かになってしまいました。ボヤになるから家の中で火の術を使うのは止して下さいね。
ゲンさんの事を伝える旅の終着点に向かおうとしています。そこは、私の所縁の地でもある、私が育った孤児院。成人となり、巣立ち、ホームレスになってからは戻ることはありませんでした。なんとなく、寂れた雰囲気になっています。
入口の塗装の剥げた門を開けて中に入ります。建物の中から人が出てくる雰囲気が分かります。
「また、来たのか! 売る気はないから……て、ゴン、ゴンじゃないか!」
建物から勢いよく飛び出した妙齢のご婦人が凄い勢いで駆け寄ります。建物は錆びれていますが中の人は元気いっぱいの様です。私の育ての親、孤児院の院長さん。駆け寄り私に抱き付いてくれると思いましたが、勢いのままに両足ごと飛び上がり、膝を曲げ体重を乗せたドロップキックを繰り出しました。
私はすんなりとそれを受け止めて、そっと地面に降ろします。しかし、院長さんの怒りは収まりません。
「このゴンタクレ! 音沙汰もなくどこに消えていたんだい! 何年の間も……心配をかけさせるんじゃないよ!」
私のお腹の辺りにポカポカと突きを放つ院長さんは涙ぐんでいます。私のこと等、忘れていたと思いましたがそうではなかったみたいです。申し訳ないことをしました。
疲れて、いい加減に落ち着いた院長さんは、肩で息をしながら私に要件を聞いてきます。私は、今日この場の一室を貸してもらいたいと告げます。突然の申し出ででしたが院長さんは快く了解をしてくれました。ゲンさんのご家族はテリザさんが連れてくる予定です。
部屋の中には、歳の割には鋭い目つきをした眼鏡をかけた女性の他に、大学生位の女の子と、高校生位の男の子、そして、ゲンさんの身なりを正したような少し歳を食った男性が一人います。眼鏡の女性と子供たちがゲンさんのご家族で、ゲンさんみたいな方がお兄さんだということです。
私は、事の真実を告げます。ジョージさん達に語ったのとは違い、異世界に残ったと言うことを伝えます。ドモリ癖も出さないように、落ち着いてゆっくりと語りました。頭がおかしいと思われるかもしれません。いざとなったら、証拠があります。案の定、ゲンさんのお兄さんがため息交じりに返答をします。
「そこまで馬鹿馬鹿しい嘘をついてでも旅に出たいのですか。あの馬鹿は」
「こ、これを見て下さい」
私はガリーザさんから受け取った封筒の中からプリンターで印刷されたA4サイズの用紙を見せます。
そこには、異世界で撮影した様々な光景が写しだされています。つい、先日までいた世界なのにとても懐かしく思います。
ラティオさんとハダスさんが語り合う姿、ハーフエルフのアンが歌い、顔人のヤドハクとアナーカが踊っています。
黒エルフのブブキと樹人種のコロモスが二人ではしゃいでいます。ワリスさんやピーコ姫達と一緒に酒を飲むゲンさんの姿もそこにはあります。クラテルさんとソフィアさんが珍しく真剣な顔をして語り合います。
地球では見れないような風景と、そして、別れの際に撮ったみんな一緒の記念撮影。――私の大切な思い出。
「ご、合成写真でしょう、これ」
「んー、違うね。本物だよこれ。凄いなあ。本当にあるんだ異世界ファンタジー」
「なんで、言い切れるんだい。元一」
「そうだよ、馬鹿弟」
「うるせえ、暴力姉貴。痛いからぶつなよ、加減知らず。合成していれば、多少なりとも画像の切れ目が不自然になるんだよ。勿論判らないようにするのが凄腕の技術者だけど、流石にこれは無理があると思うよ。余りにも自然すぎるもの」
母親の問いかけと姉の問いかけに答えて叩かれる小柄で華奢な少年が痛みをこらえて写真の真贋について説明をしてくれます。お子さんは、お二人共あまりゲンさんには似ていません。お母さん似です。ゲンさんの遺伝子よりも強い女性とは恐れ入ります。
「まあ、何はともあれ、あの人は異世界? に残り、もう戻っては来ないと言うことですね。まあ、失踪宣告はしてあります。死んだ者と思っていましたから。お義兄さんにもご迷惑をお掛けしました。これで、清々します」
「こ、これを預かっています」
怖い形相の奥さんとお兄さんにゲンさんから預かった手紙を渡します。しかし、奥さんは受け取るや否やその場で読むことなく封筒ごと引き裂き、机に叩きつけます。吃驚して言葉も出ません。
「こんなもので、済ますな馬鹿!」
ゲンさん、やっぱりきちんと説明してから残った方が良かったみたいですよ。奥さん少し涙ぐんでいますから。息子さんと娘さんに促されて、奥さんは再び応接用のソファーへと腰を掛けます。
「事情は察しました。合田 豪さん? でしたか、あなたにも迷惑をお掛けしたようです」
「わ、私はゲンさんにお世話になりました。め、迷惑など感じた事はありません」
「そう言っていただけると助かります。……外が騒々しいですね」
お兄さんと話している最中、にわかに外が騒がしくなります。孤児院の子供は学校に行っているのでいない筈です。院長先生の金切り声が響いています。
部屋を出て、玄関の方に向かいます。ガラの悪い男達を相手に院長先生が一人威勢を上げています。
「帰れって言っているじゃないか! 今日は大事な人たちが来ているんだよ!」
「俺達だって大事な客人じゃねえのかよ、婆さん。いい加減、立ち退けよ周りにも迷惑だろ」
「周りはお前達が追い出したんじゃあないか!」
なんだか、おかしな感じです。私が向かうより先にお兄さんが院長先生の元へと歩み寄ります。
「なにか、ありましたか」
「なんだ、手前は。関係ねえ奴は引っ込めよ。邪魔だ」
「今、中で大事な話をしている者でね。騒がしいのは困るのだよ」
「ならどこか別でやりな! ここでやることじゃねえよ。こんなボロよりも……」
続けようとした男の顔にガラスの灰皿がめり込みます。後ろを振り向くと投擲後の奥さんの姿が見えます。ついでに、舌を出すガリーザさん。風の術で勢いを付けましたね。灰皿をもろに受けた男はそのまま倒れます。残りの男達が大騒ぎをしています。
「先に、手を出すのはまずいのですよ」
「ピーチク、パーチク五月蠅いから、煩わしくてしょうがないんですよ」
「このアマ……」
土足で男達が建物にヅカヅカと上がり込んできます。見過ごせません。孤児院の中は土足厳禁です。一人の男の顔を掴み、思いっきり突き出します。木の葉のように飛んでいきます。いけません。竜人ナブウとの戦いの後から、力加減がイマイチできていません。
残った男はお兄さんが足を引っ掛けて転ばし、腕をねじ上げています。かなり極まっています。痛いでしょうねあれは。
「イテ、は、離せよ、弁護士に訴えるぞ」
「裁判所か警察に行きなさい。行っても相手にされないでしょうけど」
お兄さんは男の胸元のポケットやらなんやらを勝手にまさぐり、名刺を見つけ出します。片手でポケットから携帯電話を取り出し器用に操作して、名刺を見ながらがどこかに連絡をしています。警察でしょうか。時折、笑い声を出しています。
電話を切り、奪った名刺を相手に投げつけ、腕を放します。男は名刺を拾い上げようとしますが、お兄さんの足が先に名刺を踏みつけます。
「いい加減にしやがれ……」
「直に話はつく。この施設に手を出すな。いいな、二度と顔をだすな。次はねえ」
やはり兄弟なのか、ゲンさんばりの強面で相手を脅します。随分と迫力があります。男はコクコクと頷くだけです。この人の素性も知れた物ではありません。
気を失った男二人を丁重に門の外に投げ捨ててから皆の元に戻ります。戻ると、娘さんのキラキラとした目線がこちらを向いています。なんでしょうか。
「ほ、本物だった。本物の合田 豪さんだった。覚えています、全国区の柔道大会の準決勝の試合、凄かったです。うわー」
そう言えば一度だけ大会に出た記憶があります。準決勝の相手はかなりの猛者で本気になりかけました。決勝の相手がしょぼくて、力を出せなくて当時の先生にこっぴどく叱られたので試合に出るのはそれ以降していません。娘さんも格闘技をしているらしく、偶々見た、その時の試合を覚えていたようです。恥ずかしい限りです。
その後、歓談をしてから皆さんは帰られました。奥さんもお兄さんも困ったことがあったら連絡をしてくれとおっしゃられて、連絡先を教えてくれます。お兄さんは、その筋の人ではなく警視庁のキャリアさんでした。
「公的な暴力団みたいなものですから」
そう笑って帰られました。恐ろしい家系ですね。
私とガリーザさんは孤児院に残り、院長先生に今日の事情を聞きます。借金が多いこと、この辺りに大きい施設を建てる計画があるので追い出しを受けていること。
「けど、子供たちの受け入れ先も見つからないから出て行くわけには行かないよ……」
気の強い院長先生らしくない、弱気な様子が伺えます。私は、電話を借り受けてテリザさんに事情を説明します。お金は直ぐに用意してくれる手はずになりました。宝玉の値段にしたらローンの利率を払っている程度だと笑っていました。一応、何千万単位なんですけど。
私は今、意を決しています。この孤児院を守ると言うことにです。ゲンさんはいませんが、その縁のおかげで何とかできると思います。皆、きっと助けてくれると思います。
ゲンさん、貴方に会えてよかったと心から思います。こんな私を助けてくれたあなたには感謝しかできません。
そして、どんなに感謝をしてももう、声を届けることは出来ません。
その後、俺は王国に戻り皆に事の顛末を説明して回った。ゴンと二度と会えないと知ったアエラキとオルデンは案の定、泣いちまった。まだ、子供だもの仕方がねえさ。それに、こんなに慕ってくれていたと知ればゴンの奴も大層、喜ぶだろう。
アシオー組合長とウムブラの婆さんは話を聞いてしばらくした後に、旅支度をして時守の神殿へと向かった。『時の術』について詳しく知りたいということだ。いい歳をして元気なことこの上ねえ。見習いたいもんだ。
困ったのは、薬草屋のことと狩人組合の引継ぎだ。薬草屋は当面の間、ソフィアが面倒を見て、将来はアエラキとオルデンが引き継ぐことになった。二人は『薬草士兼薬草狩人』を目指すと言うことだ。将来が見えて、やる気が更に上がっている。
狩人組合はノモス冒険者組合長がまとめて面倒を見ることになった。こちらも将来的には統合をしていくらしい。どちらかというと、そんな話が前から持ち上がってきていたそうだ。似たような商売を分けていてもしょうがねえのだろう。
ドワーフ達は帝国へと帰っていた。帰り際に、鬼人種達の間で流行っているからとチンチロリンを教えてやったら、ドワーフの戦士達が熱中しすぎて姫さんに怒られていた。
俺が『今回の旅がまるで演劇みたいだ』と酒の席で零したら、姫さんが首を傾げる。詳しく聞けば演劇と言う概念がねえようだ。本当に娯楽がねえ世界だと思ったので仕方がなく適当に教えてやると、姫さんの目が爛々とし始めた。
「妾とゲンの物語を演じさせ、後世に残す……なんと、素晴らしい」
捻じ曲がった物語にならないことを祈るばかりだ。
クラテルは作り上げた火縄銃を俺に寄越した。火薬は帝国で仕入れてくれとワリスから頼まれている。クラテルも俺が持っている方が安心だと言ってくれた。どうだかなあと思う。
アンと顔人のヤドハクとアナーカは、俺と一緒に今後も暮らすことになった。全員、冒険者として登録し俺の班の一員だ。アンの霊力の多さ、術の多様さにノモス組合長以下冒険者組合の職員は魂消ていた。顔人二人の踊りが加わると更に強力になると聞き、頭を抱えていた。
他の顔人達は、翼人の卵を水の神殿で預かる代わりに、時守の神殿へと移住することが決まった。やはり、エルフの大森林では住みづらいと判断されたようだ。水の精霊は、後で俺に護衛依頼を出しに行くと伝えた。伝言役はコロモスになるという。あいつも夢の外界へ旅発つことが出来るようだ。いずれ、そこらの街で樹人の姿を見るようになるのだろう。
それに、麓の村人達が結局ドワーフ帝国へ移住する事が決まり、竜人のシャラルの娘が一人で巫女としているだけになっていた、時守の神殿も一時の間は賑やかになるだろう。顔人達の寿命は肌人並。長寿の竜人や、永遠に近い時を生きる精霊にとっては、本当にひとときの間だ。
そして、俺にはわずかだが霊力が宿った。
精霊二人は、俺が貰い受けるはずの時の宝玉をゴンに渡したため、手元に何も残らないのはマズイだろうと言い始めたので「霊力をくれ」と無茶ぶりをしてみた。
俺が貰ったものを、ゴンに与えただけだ。もう十分に褒賞は貰ったからいらねえよと言ったつもりが、時守の精霊が鼻で笑ってお安い御用だとばかりに霊力を授け始めた。
……が、ちいとも霊力は授かる気配がねえ。一度始めたことを取り下げるのは沽券に係わるのか時守の精霊は意地になっていた。終いには水の精霊の力も借りてどうにか、こうにか俺の身体には霊力が宿った。二人共珍しく手と膝を床に付きへばっていた。
後でわかったことだが、ほとんどの地球人は全くと言っていい程、霊力を蓄える素質がないと言うことだ。
霊力を授かったことは、自分でもなんとなくわかる。この歳で成長があるのは喜ばしいことだ。ただ、宿った霊力で使える術は、精々が着火の術のような一般生活で役立つ程度の術と言うことだ。それでも、俺には十分すぎる。
そして今、ラティオとハダス、アン、荷物持ちとして顔人二人を引き連れて冒険者組合の受付の前に立っている。作成中の書類から目を放し、俺の方に顔を向けたリカー嬢さんがため息をつく。
「新しい班名決まりましたか」
「宿無しの星」
「かっこ悪いですが、貴方にはお似合いですね」
嫌味を一つ言って、にっこりと笑った後に、さらさらと書類を作り上げて術で印を押して冒険者組合に班名が登録される。ガリーザが抜けた「星の瞬き」のラティオ達と新たに班を組む際に、俺は班長として祀り上げられちまった。断ろうとしたがノモスの奴から
「お前の技術を若い連中に教えてくれ」
と頼み込まれた。組合長さんが頭を下げては断りずれえ。渋々ながらも引き受けることにした。班のランクはCランク。俺は一つ繰り上がり。初登録でCランクのアンは史上初らしい。まあ、アンの術の実力は今後、国宝級になるから当然だな。
新しい班名も決まり、初めて受けた依頼は鉱山近くの亜人の駆除。ゴブリンやオークに、ゴンに似たトロルと言った亜人が近くをうろちょろしているらしい。ふと、あの不細工な面が浮かび上がる。まだ、そんなに日数が立ったわけではない癖にやたらと懐かしい。
冒険者組合の重厚な木の扉を開けて外に出る。
「ゲゲ、ゲンさん!」
声のした方に思わず顔を向ける。大森林から帰って来た若い冒険者の男がいた。俺を見かけて慌てて走り寄り息が切れて、どもったようだ。他の連中もいる。どいつもこいつも礼を言ってくる。泣けてくる。涙が少し零れる。
俺とゴンが来た時は夏真っ盛りのような暑さだった。この王国には四季がある。今は春、じきに夏。見上げる空は青く、風は暖かい。誰が好き好んでこんな不便な世界に残る必要がある。だが、俺にはこっちの方が性にあう。
雨が降る気配はねえ。このまま、支度を整えて仕事を片付けに軽く旅へ出ようじゃねえか。思い立ったが吉日だ。
――なあ、そうだろう。
(終)
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