第二章

第1話 プロローグ

 あの不思議な世界から戻って、早いもので二ヶ月が過ぎました。先週迄、日中動くとまだまだ暑いと感じていましたが、ここ何日かは随分と涼しくなりました。

 

 夏と秋の境目が年々無くなりつつあるような気がしています。

 

 あの日から数日後、ゲンさんは急に日雇いの仕事に精を出すようになりました。日当八千円程度の週払いです。

 住所不定の私達では、普通なかなか仕事にありつけませんが、ゲンさんの昔馴染みの人に紹介をしてもらいました。住み込みの、安宿も一緒にです。ゲンさんは色々と顔が広いです。

 

 週末になると、稼いだ資金を元手に色々と買い込みます。生活用品、調味料、袋や容器類、衣類、様々な登山用品にやテントに寝袋。中古品や拾い物もあります。それでも、色々買いすぎて、貯金は出来ません。する気もありませんが。

 

 しかし、日雇いの仕事を始めてから、ゲンさんの楽しみはお酒だけになっているように感じます。少し、ストレスが溜まっているみたいです。


「ゴン。風呂に行こう。ついでにコンビニで酒を買おう」


 今晩もそう誘われて出かけました。銭湯も値上がりしているので、毎日は入れません。


「今日は月が綺麗だ。満月だ。雲もねえから、よく見える」


 お風呂上りの帰り道の途中で、珍しく、ゲンさんがそんな事を気にしていました。


「柄にもねえことを言っちまったか」とクツクツと笑っています。悪人面、他に例えようがない悪人面のゲンさんが笑うと余計に怖いです。

 普通の人がみると、大抵目を背けます。逃げる人もいます。でも、確かに月明かりの綺麗な日でした。


 宿に戻る間際に、ゲンさんが声を掛けてきました。


「ゴン、少し荷物の整理をしておこう。ちょっと、色々買い過ぎた」


 宿の部屋で、荷物を広げるのは手狭なので近くの公園で整理をします。色々とありますが、きちんと整理すれば結構持てるものです。一つ一つを丁寧にまとめていきます。


「や、やめてください!」


 若い女性の声が聞こえました。声の方に顔を向けると、五人の男達が若い女性の腕を掴んでいました。怖い感じの人達です。酔っぱらっています。彼らは私とゲンさんを一瞥すると、


「助けを呼ぶにも、ホームレスしかいないよ。諦めて、一緒に好いことしよ」

 

 ニタニタ笑いながら、女性の腕を放しません。私は、立ち上がってそちらに向かいました。ゲンさんも後ろ頭をかきながら付いて来てくれました。


 私はこのような行為は嫌いです。人を傷つける行為も苦手です。小さい頃から見た目の事でよくからかわれました。その時、私は立ち向かいました。いえ、暴力で傷つけました。周りから恐れられるようになりました。

 その印象をなくそうとして、どもる様な喋り方をわざとしました。そしたら、本当にドモリ癖が付いてしまい、癖は抜けなくなりました。本当に馬鹿な話です。


「な、なんだあ? 手前ら、なんかようか。邪魔だ、どっか行け」


 男達は私の体格を見て、一瞬、たじろぎましたが、直ぐに低い声で威嚇を始め睨んできました。


「なんだ、じゃあねえよ。その娘の腕を放して、さっさと失せろ」

 

 ゲンさんが邪険に扱うと、男達の目付きが変わりました。手前の男二人が顔を見合わせると、急に殴りかかってきました。しかし、とても遅いです。拳を躱し、腕とベルトを掴み、放り投げました。見た目通りの、軽い男でした。


「テメエ、やりやがったな! ぶっ殺す」

 

 他の男達が向かってきます。その間に、女性は逃げました。それで構いません。向かってきた先頭の男の肩下に向けて、両手を伸ばし、体重を掛けて突きました。男は後ろの連中共々一緒に倒れてしまいました。

 後方の一人がナイフを取り出していました。その男の膝に、ゲンさんが蹴りを入れました。変な方向に曲がっていました。柔な脚でした。

 威勢だけで弱いものでした。残りの一人は、オロオロと倒れた男達と私達を見比べていました。


「警察沙汰にはしたくはねえんだ。とっとと行ってくれ。目障りだ」

 

 残った男は、ヘコヘコしながら脚をケガした男に肩を貸し、他の連中は震えながら、どうにか立ち上がろうとしています。ゴブリンやオークの方が、よっぽど怖いものです。


「お、お巡りさん! あそこです! あいつらです」


 先ほど逃げた女の人がこちらに向かって指を指しています。後ろに二人の警察官がみえます。こちらに向かって声を掛けてきます


「君たち、何をしている! ちょっとそこで、待ちなさい」


「ゴン、行くぞ。逃げるんだ。あそこからじゃあ顔は判るめえ。捕まっちゃならねえ」


 ゲンさんは小声で、私にそう言うと一気に走りだしました。私も直ぐに後を追います。「待ちなさい!」と声はしますが、無視しました。荷物を置いた芝の中に駆け込み、キャリーカートを牽き、駆け抜けます。脚には自信があります。


 公園を抜け、路地に紛れながらも足の速度はゆるめません。

 後ろから人が追いかけてくる雰囲気はもうしていませんでした。それにしても、暗い路地です。外灯がなく、おかしなほど周りが見えません。

 

「ここは、一体どの辺りだ? 俺の記憶では近くにこんな場所はねえ」

 

 そのうち、目が慣れたのか周囲の風景が見え始めます。

 頭の遥か上の方に、赤いものが見えます。炎でした。篝火です。

 高い石組の立派な城壁と篝火。周囲を廻る深い堀からは、臭気が上がってきます。

 又、来てしまいました。ゲンさんが、少し嬉しそうな顔をしていました。


「準備をしておいて良かったなあ、ゴン。今回は、前回よりも準備万端だ」


 ゲンさんは、又、ここに来られると思い、束縛されるのを我慢してまで仕事を続けて、準備を整えていたのでしょう。どもりながらも、「そうだね」と答えておきました。又、この世界での暮らしが始まるようです。


(異世界に再来した日にゴンが書いた手記より)

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