4話 邂逅

 あの日、ゆうは最後まで見つからなかったけど、その代わりに見たものがある。


 それは、季節外れの桜の花。


 もちろん、冬の時期に咲く桜だってある。桜といえば春に見かけるソメイヨシノとかがイメージしやすいが、寒緋桜とか四季桜とかは、冬にだって咲いている。

 だけど、少なくとも俺がいるこの賀宮山かみやまでは、冬に咲いている桜を見たことがなかった。そして、今も。公園内でそんな木はどこにもなかった。今日回ってみて気が付いたことだが、そもそも桜の木自体がこの森の近くにはない。


 だから、ありえないはずの桜。

 幼い頃の「桜は春に咲くもの」という観念から思っていたのとは違う理由で、ありえないはずの桜。


 あの日以来、桜の木が怖かった。

 もしかしたら、あの日優を攫ったのはこの桜なんじゃないのか、そんな馬鹿げたことを――そんなはずがないとわかっていても――考えずにはいられなかったから。


 そして、今。


 あの日と同じ、ヒラヒラと舞う桜の花びらが目に映った。


 馬鹿げたことだってのは、わかっている。だけど、考えるよりも先に俺の足は勝手に走り出していた。

 この桜が全部おかしくした、俺たちを変えた、変えてしまった。桜はどこにある!? そこに着けばきっと何かがわかる!!

 知らず、走る足は速まっていく。

 ようやく後ろからの声に気が付いたのは、桜の花びらを見失って、息が切れて、それ以上走ることができなくなった後だった。


一樹いつきくん、待ってよ~! はぁ……、どうしたの?」

「血相変えて走っていったから、心配したんだぞ」

「そうだよ、いっちゃん何か怖い顔してたよ?」

「どうかしたの、仁野じんの? できることなら、僕たちに言ってくれないか?」


 口々に心配したような言葉をかけてくる友人たちに、俺は思わず尋ねていた。


「なぁ、お前ら桜の花びらって……見た、よな?」

 自信のない口ぶりになったのは、仕方がない。だが、俺は確かに見たし、たぶんこいつらだって見てる。

 もしそうだったら、どこに行ったかも見ていたに違いない。

 どこかに俺たちを誘うように舞っていた、あの桜を――たぶん、その先にある優の手がかりを。


 しかし。

「え、一樹くん……? どうしたの? そんなの、あるわけないよね」

「え?」

 即座に否定してきた沙穂さほの言い方の強さに、思わずたじろいだ。それは隣にいた瑞希みずきも何かを感じたらしく、小声で「ねぇ沙穂、どうしたの?」と囁いている。

「そんなこと言われたら、わたしだって心配になるよ。急に変なこと言わないで。だって、ここは――」


 優ちゃんがいなくなった場所なんだから。


 直後に吹いた強風で遮られた声は、きっとそう言っていた。



 そうして、少し気まずい終わりを迎えた外出の後、俺はそれくらいになってようやく晴れてきた空を見上げながら、何とも言えない気持ちを溜息に溶かしていた。

 その溜息の理由は、今ではもう1つあり……。


 今、俺は踏切で立ち往生を食らっている。遮断機が下りてから、たぶん5分くらいは経っているんじゃないだろうか。来ねぇよ……。

 どうにかして時間を潰そうと努力していたものの、さすがに苛立ち始めたとき、電車の走る音が聞こえた。やっと来たか、そう思いながら、電車が来る方角を見やり、何気なく正面を向いた時だった。



 線路の向こう側に、いた。

 口を開いて、笑いながら俺に何かを言った。

「――――」



 タイミングの悪い電車が通過する音で遮られた声をもう1度聞きたくて、電車が通過してすぐに駆け出そうとした。しかし、電車が通り過ぎた後の踏切には、もう誰もいなかった……。


 見間違いなんかじゃない。

 ずっと会いたかった。ずっと、探していた。

 そんな姿を、どうして見間違える?

 俺は、遮断機が上がってもしばらくその場から動くことができなかった。



 * * * * * *



 一樹の幼少期と比べれば遥かに発展したとはいえ、賀宮山市はまだ地方の一都市である。日が暮れて数時間も経てば、街からはほとんどの明かりが消え、歩く者を照らす街灯の明かりも頼りなくなってしまうほどの暗闇が、そこには存在した。

 そんな夜の公園で、沙穂は空に浮かぶ三日月を見上げていた。


「そういえば、あの日もこんな月が出てたっけ……」

 小さく呟く声に、普段の――この街を一樹が出てからの十数年間、瑞希たちの前で見せている――明るさは微塵もない。


『桜の花びらって……見た、よな?』


 一樹の言葉を、思い出す。

 まさか、そんな言葉をあの場所で聞くなんて。

 小さく震える手にきゅっ、と力を込めて、沙穂は立ち上がる。小さく呟いた「確かめなきゃ、だよね……」という声を聞くものは、夜の静寂と、そして…………

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