第19話 彼女が彼氏にキスをした
「ご、ごめんなさい!」
真っ赤になって謝る望美。
「大丈夫だよ。島本さんの方こそ大丈夫?」
ハーデスは首筋の柔らかい感触が望美の唇だと分かってはいたが、あえてそれには触れない様に言葉を返した。
「……うん、私は平気」
事故とは言え、唇にでは無いとは言え初めてのキス。望美はハーデスの胸に回していた手をほどいて唇に触れ、かすれる様な声で答えた。
その頃、ウォータースライダーのスタート地点では山本と美紀がゴムボートに乗る段取りをしていた。
「私、前乗りたい!」
美紀が嬉々として先にゴムボートに乗り込んだ。
「うわっ、狭い!」
ガタイの良い山本には少し窮屈な様だ。美紀の腰とゴムボートの隙間に足を捩じ込んでスタッフの指示通り美紀の肩に手をかける。すると美紀が不満そうに言った。
「え~っ、そんだけ? ぎゅってするんじゃ無いの?」
夏は女を大胆にすると言うが、思いもよらない美紀の積極的な言葉に山本は顔を赤くした。普通、そんな事を言われたら男は喜ぶものなのだが、山本は意外と純情な様だ。
「バカ野郎、人前でそんな事できっかよ」
渋る山本に美紀はつまらなさそうに呟いた。
「望美は古戸君の事、ぎゅってしてたのに……」
などとやっているうちにスタッフが「じゃあ行きますよ」と二人を乗せたゴムボートを押し出した。山本は後ろから美紀を抱きしめようとしたのだが、急勾配で一気にスピードが乗った瞬間しょんぼりしていた美紀が豹変した。
「うっひょ~っ! 行っけ~!!」
さっきまでのいじらしさはどこへやら、ノリノリで奇声を上げる美紀。山本は彼女を抱きしめるのでは無く、暴れてゴムボートから放り出されない様に美紀の肩に置いた手に力を込めた。
「あ~、面白かったね~」
満足気に笑う美紀と疲れ気味の山本がプールサイドで待っていたハーデスと望美に声をかけると、望美は顔を赤くし、ハーデスもなにやらもじもじしている。そんな二人を見て美紀はすぐにピンと来た。
「古戸君と何かあったんでしょ?」
美紀に耳打ちされた望美は少し躊躇った後、答えた。
「古戸君にキスしちゃった……」
「き、キス~~~~!?」
驚いて声を上げる美紀の口を慌てて塞ぐ望美は事の次第を説明した。
「な~んだ、ちょっと口がぶつかっちゃっただけじゃない」
美紀はあっけらかんと笑うが、望美にとっては大事件、とても平静ではいられなかった。
「でも……」
もじもじする望美の背中を美紀が元気付ける様に叩いた。
「大丈夫、大丈夫。古戸君だって喜んでるよ、きっと」
美紀に言われて望美はハーデスの方をちらっと見た。彼も顔を赤くし、もじもじしているが、少なくとも悪い気分では無さそうだ。すると美紀がとんでもない事を言い出した。
「ほら、あの顔。次は首じゃ無くって、ほっぺにちゅってしてみたら? 古戸君、喜ぶよ。きっと」
「そんな事、出来るわけ無いじゃない、他人事だと思って……」
望美は赤い顔を更に赤くしながら美紀に言い返した。すると美紀はいきなり山本に声をかけた。何事かと近寄ってきた山本に美紀は質問した。
「ほっぺにちゅってされて嫌がる男の子って居ると思う?」
「はあっ?」
わけのわからない質問をされた山本は怪訝な顔。と言うか、美紀が何をしでかすのか警戒している。
「お前、またわけのわからん事を……」
山本が言った時だった。
「ちゅっ」
美紀が山本の頬に軽くキスをした。
「ちょっ、おま……」
突然のキスに慌てふためく山本に美紀はにっこり笑って尋ねた。
「どう? 嬉しい?」
「嬉しい? って、お前なぁ……そりゃまぁ、嬉しいけど、時と場合を考えろ」
赤くなり、鼻の頭を掻きながら山本が答えると、美紀は望美に向かって言った。
「ねっ。山本、君嬉しいって」
どや顔で無い胸を張る美紀。
「その後、時と場合を考えろとも言ったわよね……」
溜息混じりに突っ込む望美に美紀はすまして答えた。
「良いのよ。嬉しいって事に変わりは無いから」
絶句する望美。そもそも美紀に話したのが間違いだったのだ。元を辿れば美紀に今日のプールデートの事を話した為に望美とハーデス二人きりのデートの筈が四人になったというのに……望美には学習能力というものが無いのだろうか? いや、彼女にとって心を許して何でも話せる相手、それが美紀なのだろう。結果はどうあれ……
困ったのはハーデスである。首に感じた柔らかい感触の事を口に出せずにもじもじしていたところ、美紀が赤い顔の望美に見せつける様に山本の頬にキスをした。これで彼は確信した。あの感触は、やはり望美の唇の感触だったのだと。
一度意識してしまうと止まらないのが男の子と言う生き物なのだが、そこはハーデス、冥界の王だった男……と思ったが、すっかり動揺してあわあわ言いながら不審な挙動を示している。それを見かねた山本が場の空気を変えるべく口を開いた。
「こう暑いと喉が渇いてしょうがねぇな。何か飲みに行こうぜ」
「何言ってんの、まだ来たばっかりじゃない。第一、この格好でお金なんて持ってないわよ」
呆れた様に言う美紀に山本は不敵な笑みを浮かべながら水着のポケットに手を突っ込んだ。彼が得意気にポケットから取り出した物、それはくしゃくしゃに丸められた小さな白いコンビニ袋だった。
「何よ、ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てなさいよ」
「バカ、ゴミなんかじゃ無ぇよ」
コンビニ袋の中には四つに折り畳まれた千円札が四枚入っていた。それを見た美紀はコロッと態度を変えた。
「じゃあ、行こうか。もちろん山本君の奢りよね? 私達、お金持って無いんだから」
たかる気満々の美紀を窘める様に望美が言う。
「それは悪いわよ。私は後でちゃんとお金返すからね」
すると美紀はまた無い胸を張った。
「私は山本君の彼女だもん。それにまだランチだって連れて行ってもらって無いしね」
いつぞや山本が美紀が電話で望美に言った言葉を誤解し、ランチデートが流れた事を言っているのだろう。それを聞いた山本は返す言葉が無い。
「あー、わかったわかった。好きなモン注文してくれよ。予算は一人千円だけどな」
高校生にとって四千円は大金である。自棄気味に頭を掻きながら言う山本にハーデスが言う。
「大丈夫。僕等はちゃんと後でお金払うから、日高さんだけ奢ってあげてよ」
「決まりね。じゃあ、行きましょうか」
望美もそれに同意し、四人はプールサイドの売店に行く事に。場の雰囲気を変えてくれた山本に感謝しながら歩くハーデス。横を見るとまだ顔が少し赤い望美が歩いている。
――あの唇が触れたんだよな――
思い出し、つい望美の口元に目が行ってしまうハーデス。せっかく山本が空気を変えてくれたというのに……
その時、彼はまた例の視線を感じた。
――自意識過剰過剰なんかじゃ無い。誰かに見られている――
ハーデスは確信した。しかし、周りを見回しても彼を見ている者などいない。ハーデスの方を見ている男共は間違いなくハーデスでは無く望美を見ている。彼は、望美に向けられた視線を一緒に居る自分への視線だと感じてしまっているのだろうか?
プールサイドの売店の前にはテーブルや椅子が並べられ、ちょっとしたリゾート気分を味わえる様になっていた。望美と美紀が席を確保し、ハーデスと山本がドリンクや軽食を売っているカウンターに並ぶ。
「うわっ、高い!」
壁に貼られているメニューを見て山本の口から言葉が飛び出した。それは所謂『観光地値段』で、紙コップのジュースがSサイズで三百円弱、Lサイズに至っては五百円近くするのだ。
「とりあえず、Sで良いよな……」
山本はコーラとオレンジジュースを二つずつ頼み、ハーデスと手分けして席に運ぶ。その時、二人が見たものは、必死にナンパに励む伊藤の姿だった。
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