1500センチの分析
風吹 志秋
茶番
パソコンのディスプレイとにらめっこをして2時間くらいは経過した気がする。
目の奥が痛みを訴える。指先が軽く痺れている。
あぁ、腰を伸ばしたい。喉が渇いた、何か飲みたい。
……でも、あと少しで書き終わるから。頑張れわたし。
頭の中で文章を組み立てて、感覚の薄い指でキーボードを叩く。
タイピングミス、バックスペース。誤変換、バックスペース。
あぁ、ダメだ。体が休めと言っている。あと少し、あと少し。
あぁ……あぁ……
――あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
視界に「あ」が増えていく。手が止まる。思考も一瞬止まる。
パソコンがバグった!? 待って!? わたし、途中で保存したっけ。もしかして……書き直し?
背筋を冷汗が伝った、気がした。
心臓が早鐘を鳴らす中、視線を左へ向ける。
キーボードの「A」、つまり「あ」の部分には指が置いてあった。
バッと後ろへ振り返ると、楽し気な、爽やかな笑顔が目に入った。
「ちょっと~、もう~、やめてくださいよ~センパ~イ……」
「ハハハ、そう怒るでない。ちょっとした悪戯じゃよ」
なんでお爺さん口調なんだ。心の中で突っ込みつつ、私は安堵の混じった溜め息を吐いた。
「パソコンが壊れたかと思いましたよ~」
「安心したまえ、正常に動いておる。ホッホッホ」
先輩が変なキャラ作りをしているときは、わたしとまともに取り合ってくれない。
わたしはパソコンへ向き直し、「あ」の行列をドラッグしてまとめて消す。それから保存、あぁ、やっぱり1度も保存してなかった。ファイル名は……わたしだけがわかればいいよね。「15」と。
もう、あと少しで書き終わったのに。でも集中力切れちゃったな。
私はカバンからペットボトルを取り出す。
「パソコンルームは飲食禁止じゃ」
「わかってますよ」
椅子から立ち上がり、出入り口へと移動する。横の棚から上履きを取って履く。滑りの悪いドアを右へスライドし、パソコンルームから出る。すぐ右にはもう1つの校舎へとつながる通路がある。屋根は無く、少し塗装の剥がれた柵があるだけだ。ここは3階だから、下を見ると少し怖い。その代わりに風が気持ちいい。
ペットボトルのふたを開けて喉を潤していると、先輩が後ろからやってきた。
「風になびく長い黒髪は美しいが、僕はショートカットの方が好みだ。こうスカートが長いとロマンを感じることもできない」
「……何言ってるんですかセンパイ」
「後輩の眼が冷たい。こんな後輩に育てた覚えは僕にはないのだけど」
「何言ってるんですかセンパイ」
今日はいつもより変だ。
「いつも思っていたけど、後輩ちゃんはどうして長髪にしているんだい?」
「……別にいいじゃないですか」
少し暗い声になってしまった。先輩が不審に思ったかもしれない。失敗した。
だけど、わたしの心配は外れた。先輩はいつもの優しい顔のままだった。
「まぁいいけどね。でも、ショートカットの方が似合ってると思うよ。あとスカート丈も短くした方がいい。後輩ちゃんは身長低いし、童顔だからね。今の後輩ちゃんは無理に大人ぶってるみたいだ。もっと少女らしさを前面に押し出した方が可愛いよ、きっと」
「――ホント、何言ってるんですかセンパイ」
やば、ちょっと声が上ずっちゃった。恥ずかしいセリフ禁止。
わたしは幼い頃はショートカットだったし、ミニスカートが好きだった。でも、身長があまり伸びなかったわたしは中学に上がっても小学生扱いされることが多く、それが嫌だった。
それから、わたしは髪を伸ばし、露出の少ない服を着ている。似合っていないのは知ってるけど、しょうがないんだ。
「ところで後輩ちゃん。こんな話は知っているかな?」
「……何の話ですか」
わたしはペットボトルのふたを閉め、柵に軽く体重を預けながら、先輩へと顔を向けた。
先輩は喉を数回鳴らして、それから口を開いた。
「昔々、といってもほんの数年前のこと。この通路で事件が起きたんだ」
「え、ここで?」
「そうだよ。この通路にはボロい柵があるだけだ。案の定というべきか、ここから人が落ちたんだよ」
「!?」
わたしは思わず柵から体を離し、あまり広くない通路の真ん中へと移動する。
「それからこの通路は呪われた死への道とされた。ここから下を覗くと、落ちた人の霊が今でも落ちまいと必死に上へと手を伸ばしていて、その手につかまれると引きづり落とされると――」
全身から血の気が引いていく。鳥肌が立つ。わたしは速足で校舎の中へと戻り、先輩の顔を見上げると、その顔はニヤついていた。
「――言われていない」
「は?」
先輩はお腹を抱えて笑い出した。
「冗談だよ。良い反応するね」
わたしは冷汗を拭ってから、先輩を睨み付ける。
「そう怒らないでよ。ここから人が落ちたっていうのは本当なんだ」
「ええ!?」
さっきから驚いてばかりだ、わたし。でも、ホント怖い話はダメなんだって。
「その人はちゃんと生きているよ。松葉杖をついてる先生、知らない?」
「あぁ、お爺さんの……日本史の人だっけ」
「そうだよ、あの人が今日、『俺はこの上の通路から落ちたんだ』って、笑いながら言ってたよ。」
先輩は笑いながらパソコンルームへと戻っていく。これ、笑ってていいのかな。
わたしは困惑しながら先輩の後へ続いた。
「ところで、あんなに集中して何を書いていたんだい?」
「あぁ……なんて言ったらいいかな。見ます?」
「見ていいなら見ようかな」
パソコンの前のいすにわたしが座り、隣の席に先輩が座る。わたしは少し後退すると、先輩が画面を覗き込む。
「『ファミ通文庫×カクヨム「僕とキミの15センチ」短編小説コンテストにおける作品の傾向』。ふ~ん、これは?」
「先輩はカクヨムって知ってます?」
聞きながら、わたしは検索ボックスに「カクヨム」と打ち込む。
「あまり詳しくは知らないけど、小説を投稿できるサイトだったかな」
「そうですね、名前の通りに書いたり読んだりできます」
検索結果の一番上に表示されたリンクをクリックしてページを開く。白い背景のページの上部には、今行われているコンテストの画像が並んでいる。私がこのサイトを利用するようになってまだ2ヶ月弱だけど、もう見慣れた。青空のような画像をクリックして「15センチコンテスト」のページへと飛び、応募要項をクリック。
「これです」
「えっと、15センチと男女の2つがテーマなんだね。文字数は1万から1万5000。これくらいならサクッと書けるのかな、僕は小説を書かないからわからないけど。それで、後輩ちゃんはこのコンテストに応募するのかい?」
先輩がディスプレイから目を離して、こちらに目を向けてくる。
「はい、そうしようかな、と」
なんだか恥ずかしくて小声になってしまった。
「へぇ~、でも、今書いてたのって小説というより、論文みたいだったけど」
「そう……ですね。でも、ライトノベルって割となんでもありなので、いいかな、みたいな」
「いや~、どうなのそれ。さすがに小説形式じゃないとダメじゃない?」
「……そうですよね、やっぱり」
いや、心の中ではわかっていたことだ。でも、論文形式にするのがいいかなと思ったから。
わたしが俯いていると、先輩に頭を優しく叩かれた。普段ならすぐに手を払って拒否するのだけど、今は暖かさを感じる。
「後輩ちゃんはどういったものを書こうとしているのか、教えてくれる?」
「あ、はい」
わたしが頭をあげると先輩は手を戻した。優しい笑顔が目に入る。
「このコンテストに投稿されている作品を読んで、そこからわかることを何か書こうと思ったんです。本当は200作品は読もうと思ったんですけど、100作品が限界でした」
「100作品でも十分大変でしょ。ここ2週間くらい、何かを必死に読んでるなと思ってたけど、これだったんだね」
「はい」
「えっと、今の応募数が500弱か。傾向をつかむのであれば、100作品だとちょっと少ない気がしちゃうかなぁ」
「ですね。もっと読めるかと思ったんですけど」
応募作品を読んで、そこから何かを分析して作品にして投稿する。このアイデアを思いついてすぐに読みだしたけど、最初の3日くらいでペースが落ちた。作品の1つ1つは面白いものが多かったけれど、それでも厳しかった。わたしは読書が好きだ。でも、暇な時間をすべて読書に使うほどではない。学校の勉強もしないといけないし、やりたいゲームもある。自室だと自分でも恐ろしいくらい読み進められなかった。
「この論文、読んでもいいかい?」
「はい……どうぞ」
ディスプレイの前を先輩に譲る。先輩はマウスを手に、画面をゆっくりとスクロールさせていく。整った横顔から真剣な眼差しがディスプレイへ向けられている。普段は飄々としており、頼りない雰囲気を出している先輩だが、こういうところは尊敬するし、かっこいい。
ボーっとしながら先輩を眺めていたら、読み終わったのか、こちらを向いて目が合った。先輩は視線を逸らすことなく笑みを浮かべる。わたしは頬が熱くなるのを感じてディスプレイへと意識を向けた。
「あの……どうでした?」
「うん、面白かったよ」
「そうですか、よかった」
安堵のため息が漏れる。先輩に見とれていたが、自分が書いた文章を読まれることへの緊張はあった。
「15センチ。いろんな使い方があるんだね。男女の身長差や二人の距離の長さが多くて、文庫本の大きさや、妖精などの架空生物の大きさなどもある。僕もこの辺は思いついたけど、臓器とか折り紙とかの大きさは知らなかったなぁ。降水量というのも面白いと思うし、暗号に使ってるのはすごいね」
「ですよね。身近に15センチのものって結構あるんだなぁとわたしも思いました」
本当に読んでいて驚くことがたくさんあった。個性的な「15センチ」がたくさんあった。
「1番多いのは『2人の距離』なんだ」
「そうですね」
「ジャンルの分布からもわかるけど、恋愛小説がホントに多いね」
「そうなんですよ。どの作品も恋する青春少年少女って感じで、読んでてこっちが恥ずかしくなっちゃいますよ」
「あはは、後輩ちゃん、恋愛経験少なそうだもんね」
「ほっといてください!」
笑いだす先輩にイラッとしたわたしは、先輩の肩に小さくパンチをした。先輩は「ごめんごめん」と笑いながら謝るが、絶対反省してない。っていうか、恋愛経験の豊富さと、恋愛小説を読んで恥ずかしくなるかどうかって関係あるの?
それから、このコンテストや私の論文、先輩の小説に対する考え方などについていろいろ話した。学会に提出するような本格的な論文ではないから細かい表現は気にしていなかったけど、先輩から色々とアドバイスをもらうことができた。先輩は昼行燈といったキャラで役に立たなさそうだけど、昼行燈キャラにありがちな通りにやっぱりすごい人なのだ。
「それで、この論文、全然文字数が足りてないけど、どうするんだい?」
わたしに向ける眼差しはいつもの優しいものだ。
問題はそれなのだ。現在この論文の文字数は3500くらい。全然足りていない。正直1万字を書くのは無理だろうなと思っていた。でも、予想していたよりも断然少ないのだ。
そうは言っても、書きたいことはほぼ書いてしまった。あとは、まとめに当たるようなことを書くだけだ。やはり、何か小説的なものも書く必要がある。だけど、この論文を最初かどこかで使って、小説も書く。それってどうしたらいいんだろう。
「センパ~イ、何か案ありませんか~?」
甘えるような声で先輩に問いかける。先輩はやれやれと肩をすくめて考えだした、と思ったらすぐに手をパンと叩いた。何か考えついたのだろうか。
「今の僕たちをそのまま書いてみたらどうだい?」
「今の僕たち?」
オウム返しをしてしまった。これはどういうことだろうか。
先輩は椅子の背もたれに寄りかかると、腕を組んで話し出した。
「だからね、後輩ちゃんと僕のことを、後輩ちゃんの目線で書いてみたらどうかな? と思ったんだ。後輩ちゃんがこのパソコンルームで必死に論文を書いていたら、面倒くさい先輩に後ろからいたずらされるんだ」
「はぁ」
面倒くさいという自覚はあるのか。
「外へ出て水分補給をする。さっき僕はなんとなく小説で描写するみたいに後輩ちゃんを見ていたけど、これはただの偶然じゃないかもしれないね」
たしかに、さっきの部分を使えばわたしの外見の説明は必要ないかもしれない。でも、そうすると先輩の外見の説明をどこに入れよう…………なくてもいいか。想像におまかせしま~す。いや、でもわたし覚えてないな、さっき先輩がなんて言ったか。
「あの、わたし、何があったかあんまり覚えてないんですけど」
「そう? じゃあその部分は僕が手助けしよう。これを使うといいよ」
そう言って先輩はブレザーの胸ポケットから四角い機械を取り出した。
「……えっと、これは?」
「ボイスレコーダーだよ」
「はい没収で~す」
ノータイムでボイスレコーダーを奪取しようと手を伸ばしたが、先輩に避けられて私の手は空を切ることになった。
「あの、いつも持ってるんですか?」
「ん? どうだろうね? アハハ」
先輩は穏やかな笑みを浮かべている。いや、盗聴ですよ? 訴えたら勝てるのかな?
「そう怖い顔しないでよ。このデータを後輩ちゃんに渡すからさ、これを聞いて文字に書き出すといいよ」
う~む、まぁ、今回はこれのおかげで助かりそうだし、許すことにしよう。今度からは持ち物チェックをするけど。
「まぁ、僕たちは超能力とかの特別な力を持ってない普通の人間だからね、物語としては面白くないだろうけど、メインは論文だし、真面目な話でもいいんじゃないかな」
「そう、ですね」
時間もあまりないし、そういう方向で行こうかな。
「どうだい? ここで僕が後輩ちゃんにハレンチな行為をすると、文字数を稼げると思うよ」
途端に先輩がイヤらしい表情をして、手をウネウネと動かしてじわじわと近寄ってくる。わたしはその手をガッシリとつかんで先輩の動きを止める。
「ちょ、それはダメですって!」
「アハハ、可愛いなぁ後輩ちゃんは」
先輩は真面目な顔に戻って椅子に座り直した。ちょっとドキドキしてしまった。
「はい、じゃあ論文パートで~す!」
「はい!?」
「論文パートへの移行だよ。こうした方が楽でしょ」
いや、楽って。それでいいのか。あぁ~、もういいか。面倒くさくなって来たし。
じゃあ論文です、どうぞ(笑)
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