2-2
どうしてこの子は、自分に、あんなことを言ったんだろう。
久丈が懐かしくも苦々しい夢をみているその頃、彼の肉体は一華の実家、双刃家屋敷に運び込まれていた。名門双刃家の長女であり、一人で外を出歩くとその容姿から大変なことになってしまう一華は、ガチの忍者が常に陰ながら見守り、移動はほぼクルマで行っている。一華はその護衛の方々を使って戦闘終了と同時に気絶してしまった久丈を拉致……もとい誘拐……もとい連行……もとい、えっと、そう、保護したのだ。
そうしていま、一華の部屋の天蓋付きの巨大なベッドに、久丈はひとり眠っている。
既に夜だ。照明を灯していない部屋は暗く、窓から入る星と月の光がベッドに横たわる久丈を照らしていた。
その横に立つ一華が、久丈をしげしげと眺めている。
あのまま保健室に連れて行くわけにはいかなかった。彼は学園で孤立している一華に手を貸してしまったのだ。王城大志本人はともかく、王城の腰巾着ども――王城家の恩恵にあやかろうとして何かと暴走する学生たちに何をされるかわからない。という、お題目。
あとはそう――単純に、独り占めしたかった。
興味本位の野次馬たちが集まる前に、彼と二人きりでじっくり話をしたかったのだ。
そう、二人きりで、じっくりと。
「……はぁ」
自分の吐いた息が、やけに甘いそれになっていることに一華は気が付いた。気が付いて、余計に興奮してきた。そうして自分の姿を再確認して更に興奮する。
半裸だった。
白いワンピースというかネグリジェというか、とにかく裾が短くて太ももがばっちり見えちゃって、小さな肩はもちろん大きな胸も谷間までくっきり出ちゃってる寝間着姿だ。部屋が明るかったら何もかも見えちゃっているくらい、布が透けていた。
久丈が自分のベッドに寝ているのを見ると、いてもたってもいられなくなって、ちょっとこう添い寝でもしてやろうかと思って、気が付けば制服を脱いで特別な寝間着姿になっていた。脳みそがピンク色に染まってぼーっとしていて着替えている間の記憶がほとんどない。
自分が変態的な性癖を持っていることは知っている。
俗に言われる『変態』の自覚はある。M性で露出癖のある痴女ってところだろう。
それを生まれのせいにするつもりはない。確かに『双刃家』は、元々は歌舞伎や舞台芸能の役者を多く輩出した一家であるし、見られて魅せることが仕事だし、芸に通じる人間は夜遊びも盛んであったという知識もある。子供の頃から舞台に立っているおかげで、大勢の人間から見られることが快感になっている
だが全て『
『双刃家』は腐っても『魔術名門家』の一つである。『踊り子』や『歌姫』に代表される技能士、それも表現系クラスは、双刃の人間の真骨頂だ。
冠装魔術に通じる芸事を、双刃の家系では、『演武』と呼んでいる。
『舞踏』も『歌唱』も小さい頃から稽古を受けてきて、身体の香り付けのために桃を一日三つは食べさせられている。人に魅せることや、舞いや歌唱の上手さが『強さ』に繋がる表現系クラスを使うために色んな事をさせられた。王城の一件で生まれを恨んだりしたこともあるが、ここまで強くなれたのはあの苦しくも楽しい稽古のおかげだと理解はしている。
まぁ、いくら芸事のためだからと言って、七歳の娘をストリップショーに連れて行く母親もどうかとは思うけれど。そのおかげで価値観がひっくり返るほどの衝撃を受けたことは確かだけれど。そのせいで色々と目覚めちゃったことは間違いないけれど。ダンサーの美しい肢体と、見知らぬ客たちに自分の全てを見られている恍惚な表情が忘れられないのだけれど。
やっぱり生まれのせいかも知れない。
ベッドで眠る久丈が、苦しそうに見えた。制服がきついのだろうか。
気が付けば一華は興奮を抑えながら久丈の腰に跨がり、鼻息を荒くしながら久丈の服を脱がせ、いよいよ彼の下着一枚となったところで我に返って手を止めた。ギリギリで理性が勝った。意外と筋肉質でムキムキボディだった。うわ、男の人もおっぱい柔らかいんだ。へ、へぇ……。
いやいや待て待て、と一華は久丈の胸をつむつむと押していた自分を落ち着かせる。まだ我慢。せめて彼が起きてから。
久丈から離れて息を整え、ベッドに座って再びしげしげと眺める一華。
この子はいったい何なのだろう、というのが第一印象だ。……ああいや、嘘。第一印象から決めてました。いきなり参加していきなり死んだのはびっくりしたけれど、復活してすぐあんなことを言われたら誰だって決まっちゃう。
ちょっと想像してみて欲しい。
学校で孤立している女が、求婚してきた男に試合とは言え皆の前で二対一でボッコボコにやられて、何もかも嫌になっていたところに、突然現れた可愛い顔した年下の男の子が、
「あなたのために、死にます」
って跪いて助けに来てくれたのだ。そりゃ、第一印象で決まっちゃうだろう。
「……めちゃくちゃかっこ良かった」
眠る彼を前にして呟いてみる。顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。小声でキャーキャー言いながらひとしきり悶えた。まさか自分の口からこの唇からこんな言葉が吐かれる日が来るなんて、昨日まで、ついさっきまで、今の今まで全く想像もしなかった。
これが恋なのだ。
日頃の稽古のおかげで上手に対応できたから、こちらの気持ちはバレていないはずだ。できるだけ彼の後ろにいたのも良かった。我慢できなくて抱き着いたりもしたけれど。
久丈は眠り続けている。その顔に近付いてみる。悪夢でも見ているのか、時折苦しそうな表情になる。そこがまた、
「……かわいい。ふふ、ふふふふ、ふーふふうふうふ、じゅる」
涎を拭くお嬢様は誰にも見せられない顔になっている。
「こんなに可愛いくせに、とても勇ましかったわ……」
久丈が自分の補助魔法を受けて戦うその横顔を、一華はずっと見ていた。何度やられても立ち向かっていった。相手は上級生で、格上のクラスで、この学園はおろかこの島の有力者だというのに。
そして王城を殺すべく『ダンス』で一緒に飛んだ瞬間。久丈が見せた、獲物を狩りに行くようなあの瞳。思い出すだけでお腹の下がきゅんとする。
――もし、もしこの子に、あんな目で見られて、殺されたら……!
「はっ……んっ……!」
ぞくぞくぞくぞくっと腰から脳髄にかけて甘く鋭い震えが走る。殺されたい。支配されたい。何もかもめちゃくちゃにしてほしい。思わず背中が反り返り、触ってもいないのに軽く達してしまった一華は、彼のせいで下着がぬちゃっとするのを心地よく感じた。変態だった。
倒錯的な妄想に浸りつつ、一方で冷静な自分が「そんなことはあり得ない」と告げる。きっと彼はとても優しい人だ。自分の状況を知って、思わず駆けつけてくれたのだから。
ふつう、こういう場面で現れる『冷静な自分』は己の痴態を客観的に見つめて「……私なにやってんだろ」的なものだが、変態性を持つ人間の『冷静さ』はさにあらず、妄想と現実を弁えるために発揮される。「私の望む彼は私を気持よく痛めつけてくれるけど、現実にはただ優しいだけの男の子だよね」とこんな感じで。変態的な妄想は守られてしかるべきで、現実が都合よく行かなかったときのためにダメージを和らげているのだ。ちなみに、一華に己の痴態を客観的に見つめさせるために、例えばこのシーン『出会ったばかりの下級生をパンイチにして体液を上下の口から垂らしてるネグリジェ姿の自分』を久丈が録画して見せたとしても、この女は『久丈に盗撮されていた事実』に悦ぶばかりで効果なぞ皆無であることを付け加えておく。それどころか「これをネタにして私にイヤらしいことをするつもりでしょう! エロ同人みたいに! やってみなさいよさぁ早く!」と期待の篭った眼差しで叫ぶであろう。ただのご褒美である。
一華の妄想に話を戻そう。
久丈は優しいから自分に酷いことはしない。あんな目で見たりしない。自分を怒ることさえないかも知れない。それが嬉しくもあれば、ちょっとだけ寂しくもある。
などとすでに恋人気分な一華だが、今度こそ正しい意味で冷静になった。ひとしきり楽しんで頭がクリアになった。賢者タイムと名付けた人を表彰したい。
一華は思う。
久丈は優しいから助けてくれたが、彼のことを考えれば自分は離れるべきだ。
今度こそ本当に、
「……私、なにやってんだろ」
と一華は冷静になった。
当然のことながら、最上久丈のことを、一華はよく知らない。
だが『
王城はバカだし大嫌いだが、アレはアレで懐の大きい所もある。一度自分に手を貸したからといって、王城家の権力を使ってまで久丈を追放したりはしないだろう。
しかし、クラスプレイヤーを続ける以上、学園で孤立している自分に関わるのは良くない。久丈の将来を考えるなら自分は離れるべきで、ペアを組むなんてもってのほかだ。
――ペア、か。
高校に入ってすぐあのバカに求婚されてしまったおかげで、一華はろくにペアを組んだこともなかった。二年間、徹底的に断り続けてきたが、その二年間はずっと一人だった。
本当に、久しぶりだった。
誰かと一緒に戦うなんて。
自分の『舞踏』が、『歌唱』が。培ってきた努力がパートナーを強くする快感。
大好きな人に見られて魅せて、共に強くなる快感。
アレをもう、味わえないのだ。
こんなに理不尽なことがあるだろうか。
次のトーナメント戦を、一華は一人で戦い抜く。その結果、王城大志より戦績が悪かったら、一華は『
落ち目の実家で味方になってくれたのは母親だけだった。その母ごと破門絶縁にされかけたから、一華はやっとその条件を飲んだ。
今まで以上に稽古した。精一杯頑張った。
でもそれはもう、勝つためじゃなかった。
負けても、納得できるように。悔いが残らないように。
全力を尽くしたんだから、仕方ない。そう自分を慰められるように。
それなのに、ようやく諦められそうになったところで、やっと辞められる決心が着きそうになったところで、最後の最後で、最上久丈が現れた。
好きな人が、できてしまった。
パートナーと共に戦う喜びを、楽しさを思い出してしまった。
こんなに理不尽なことがあるだろうか。
どうして今なの、と一華は思う。もっと早く、あるいはもっと遅く。
久丈の言葉を思い出す。
――誰かの人生が、運命や他人の手によって決められようとしているなんて、僕には見過ごせないんです。そんなのは、絶対に許したくないんです。
どうしてこの子は、自分に、あんなことを言ったんだろう。
これが運命だ、とでも言うのだろうか。
それならせめて、最後に少しだけ運命とやらに仕返ししてやろう。有りもしない希望を見せたこの子に、ちょっとだけイタズラをしてやろう。
母から教わった『男を籠絡する方法』。双刃家に生まれた女の真骨頂を、せめて最初は好きな相手に使ってやろう。まだ母の合格は貰えてないけれど、最上久丈は真面目っぽいし、恋人もいなさそうだし、大丈夫だろう。
――この子は優しいから、きっと私の言うことを聞いてくれる。
久丈の上に跨る一華。彼を起こすために花の香りを使おうと、窓際に置いてある鉢植えに手を伸ばす。指が、落ちたばかりの花びらを掴んで、もし、と思った。
もしこの子が、自分と組みたいなどと言ったら、どうしようか、などと……。
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