階段の多い診療所

中川ハシル

第1話 メディカル受付

 診療所は眼科の専門の医院で駅前にあり、無菌状態で無臭に近かかった。

 清潔そうなソファーはキャバレー用の座り心地のいいモノだった。今風の流行っている医院のような封建性はなく。開放的な造りで、院長先生は40代半ばの優しそうな先生だった。

 ここの診療所のネックになっていたのは階段を13階段上がらないと診療所の受付まで辿り着けないという不便さがあった。眼科は自動扉などがあり、流行り目などの危険があるために汚れた手での開け閉めは理想的とはいえなかった。

 理想は1階でバリアフリーであると車椅子の患者さんも楽に訪れることができた。お年寄りにはキツイ階段であった。駅のロータリー内にあったのでアクセスは理想的だった。患者もスタッフも通うのには便利であった。駐車場は2台しか止まれなかった。あとは時間貸しの駐車場でコインを無料で差し上げるサービスはあった。

 夏の暑い日には階段を上がってくる患者は汗を拭き拭き、やっとの思いで上がってくるのだが、空調はオーナーが替えてくれたので、快適であった。寒いぐらいだった。座り心地のいいソファーに座れば眠気が自然に出てきて極楽とんぼも静かに寝息をかいてしまう診療所だった。

 この診療所の受付を73歳のこの俺が遣ることになってしまった。生まれてはじめてのメディカル受付だった。「大丈夫かな」自分でも不安であった。妻は前から受付を遣っていたが、視能訓練士の国家試験のために開けることになった受付の後釜にこの俺と診療所に働いている2人の視能訓練士のスタッフのひとりの方の妹にバイトを頼むことにした。

 俺は不安で不安でしょうがなかった。

 挨拶は何て言うんだろうな。何にも知らない俺の恐怖心は膨らんでバルーンのように大きくなっていった。

 あまりの不安に先輩である妻に訊いた……。

「挨拶は何んて言うの?」

「お大事にどうぞ! って言うのよ」

「お大事に、どうぞ! お大事に、どうぞ!」

 妻の門子も得意げに威張って教えてくれた。

 73歳になってはじめての受付に戸惑いと不安を感じていt。

「おデイジにどうぞ! おデイジにどうぞ!」

「おだいじにどうぞでしょ!」

 強く叱られた73歳の手習いは困り果てていた。

「おデイジにどうぞ!」

「この俺も江戸っ子だkあら、直せないん名だよな」

いくらなんでも、患者様なんだから、渡世の世界とは違うんだからね。分かった!」またのお叱りにビビりはじめていた。

「そうは解ってるんだけど、舌の方がゆうことを効かねえぜ」

「言葉が汚くて、ぶっきらぼうだから、患者様に失礼だわね」

「だって、あなたの他に替わりがいなんじゃん」

「そんなことは解ってるんだ! 息子に迷惑をかけたくないだけだよな」

「ぶっつけ本番で行きなさいよ!」

「はじめてだから不安だよな」

「……でも、あなたの実家、商売屋でしょ!」

「そうだけど、江戸っ子訛りが出るのはしょうがないもんな」

「普段から、学校で教わった標準語使いなさいよ」

「お前だって、名古屋弁丸出しだよな」

「悪かったわね!」

「まあな、お互い様だよな」

「それにカルテの位置が解りずらいから、図を描いて貰ったコピーあげるからね」

「そうなのありがとう! はじめてだから、何も解らないんだよな」

「古い年月のカルテが皆目わからないんだな」

「そうなのね。今年と去年のは解り易い位置だけど、それ以前のカルテは馴れないと探すのに苦労するのね」

「何せ、はじめてだから、遣ってみなければわかんないもんな」

「直ぐに、馴れるわよね」

「そうだといいんだけどな、生まれてまじめての受付だからな」

「いい経験よね」

「お前は簡単に言うけれど、皆目分からないことだらけだよな」

「息子の頼みじゃ、しょうがないけどね」

「私なんか、毎日やってんだからね」

「だから馴れているんだよな」

「最初は誰でも解らないのよ。だから、マニュアル化して図式化したから安心しなさいよね」

「ぶっつけ本番だな」

「大丈夫よ。そんなに心配することないからね」

「簡単だ簡単だというけど、俺は、はじめてなんだからな」

「私も文句を言わず遣ってるんだから」

「俺も新入社員とおなじだよな。この歳してな」

「73歳で仕事があるんだから幸せと想わなければね」

「それもそうだな。この歳じゃ、掃除夫くらいだからね」

「その歳じゃ、誰も雇ってくれないわよね」

「それにしてもしんどいぜ」

「挨拶に。カルテに。まだ、他に解らないことないの?」

「後は、現場で学びなさいよね」

「その現場がはじめてだから聞いてるんじゃないのか」

「どうにかなるわよ! 遣っている内に覚えるわよね」

「そうかな? 耳は遠いし、忘れっぽいし……。若くないからな」

「心配しないで、ただ遣るだけよね」

「そうかな? 相棒も若い学生アルバイトだしね。聞くわけにもいかないもんな」

「後は保険証のチェックだけはしっかりとしないといけないわよね」

「そんなチェックもあるの?」

「それから、お金の計算は絶対に間違わないでね」

「中学時代には会計係だったんで、それ以来だな」

「どうにかなるわよ!」

「お前は元気はいいけど。この俺はしょぼくれているからな」

「俺も国家試験受ける方がいいよな。 九州での単身赴任と時に司法官試験を2度程受けたんだからね。替わりたいよな」

「それにしても、パパ、オドオドしてるわね」

「何せはじめてだからね」

「どうにかなるわよ!」

「そうだね。遣ってみないと解らないな」

「最初だけよ! 不安なのは……」

「落ち着いてやれば何ともない!」

「そうだと思うけどね」

「挨拶はお大事にどうぞだろう!」

「最初の挨拶は朝だったら、おはようございます。昼からはこんにちわ!」

「最初から言ってくれよな!」

「そんんあお当たり前だわよ! 自分で工夫しなさい!」

「おはようございます」

「もっと、元気出してね」

「こんにちわ!」

「今のくらいの声でね」

「いちいちいうなよな!雑音がうるさいよな」

「じゃ、聞かなければいいじゃないのよ」

「でも、はじめてだからね!」

「最初は解らなければ聞けばいいのよ!」

「そりゃそうだな」

「はじめから、全てが解るわけないだろうに」

「心配すること何もないじゃないのよ」

「自然体で行こう!」

「それがいいのよ!」

「忙しい時は誰も見てないからね」

「気にしているのは自分だけかもしれないな」

「こっちが気にしている程、患者さんは気にしていないのよね」

「そうかもしれない」

「誰でも最初は不安よ!気にすることないわよね」

 門子はO型気質のために大らかであり、猪原豚平はA型人間として几帳面なところもあったが、気が小さかった。妻の大雑把な性格に励まされての船出だった。

「相棒のアルバイトもいることだし、あまり、気にしないよ」

「それがいいわよね」

「若いからパソコンの入力はお願いしたら」

「そうだな。彼女に任せるよな」

「俺は職業柄校正がお得意だからね」

「保険証のチェックと、患者の名前をノートに付ける。名札書きだよな」

「チームワークで行こう!」

「43年間サラリーマンでチームワークでやってきたからな」

「お得意中のお得意じゃないの」

「そうだな。日本のオフィスは個室ではなく大部屋が多いからな」

「やりはじめたら、全てを忘れて上手く行くんじゃないの」

「マイペースでやろうっと……」

「怖じ気ずいてるわけではないけれど、この歳て受付だぞ!しかも、メディカルの……」

「歳は関係ないわよ!」

「個人差があるから、あんた頭脳ワークの仕事だったじゃないの。いつも、自慢していたじゃないの」

「そうだったな!」

「お前が出来るんだからな」

「私はパパよりも6歳年下なのよ」

「それがどうした!」

「そうなんだけど、まだ、ボケる歳じゃないよな」

「ボケる暇なんかないわよね。何せ忙しいんだから」

「じゃ、この俺じゃ無理だと言うこと?」

「違うわよ!」

「遣ってみなければ解らないもんね」

「それもそうだな。ぶsつつけ本番さ!」

「自分の息子の商売なんだから、普段から関心がなければいけなかったよのね」

「そうかな、そんなことないよ。チャンと見てるぜ」

「じゃ、そのまま遣ればいいのよ」

「だけど! 人と直接触れることははじめてだからな」」

「そうね。営業センスがないもんね」

「そこなんだよな。そこが一番苦しいところさ」

「その内、馴れるわよね」

「まあ、遣ってみるもんだな」

「口達者だから大丈夫よ」

「そうだと、いいんだけどな」

「お大事に、どうぞ!」

「今の声の出し方いいじゃないの」

「いよいよ、褒め殺しか?」

「しかし、褒めて貰えば、自信に繋がるよな」

「私の試験の方が心配なのよね。3回目だから」

「そんなことないよ。段々に成績はアップしてるからね」

「受けるかしら?」

「合格だよ!」

「俺も協力しているんだから、今度は必ず合格だよな」

「そう言われると嬉しいわ!」

「放送大学からはじまって5年も経っているんだから」

「もんな協力してるからね」

「今度こそ、合格だよな」

「1年間、土日や連休に名古屋に通ったし、新幹線でしょ!」

「お金と時間がかかったよな」

「その為にも合格しないとね」

「そうよね。普通は高校出てから3年で単位を取るんだからね。別に急ぐことないわよね」

「合格したらギネス物だぜ!」

「ほんと! じゃがんばるわよね」

「そのための俺は犠牲なんだからね」

「犠牲なんていわないでよ。協力と言ってよね」

「それもそうだな。言い過ぎてごめんね」妻、門子は美術系の大学を出たので、医療系の視能訓練士のコースでは、どうしても理数系の数学と物理に統計学が必要なために放送大学で、これらの科目を取らなければならないために2年間を費やした。難儀なスタートだった。

「最初から医療系の大学へ進んでいれば良かったのにね」

「入らないじゃないの」

「そんなことないわよ。生まれ故郷の近所に北大の教授がいて、1科目でも0点を取らなければ入学させてくれるって言われてたの」

「あっ、そうだったの」

「でも、数学の計算が出来ないし、どだい無理な話だぜ」

「数学の内でも幾何は良かったんだけれど。代数がダメなのよね」

「俺は理数系が得意だったけど、代数は高校数学の基本だよな。代数が出来ないということは数学がダメだということだな」

「そうかしら、幾何も大切よ」

「それは分かるけど、美術系だと図形が得意だから、幾何が出来るんじゃないの」

「しかし、代数は大事だぜ」

「小さい時に、身体が弱くて長期欠席したからね」

「算数や数学は積み重ねだから、休むと分からなくなるんだよな」

「俺なんか小学校の時には勉強はしなかったけど、学校は休まなかったぜ」

「そうなのそうだったら、算数や数学に強くなれるわね」

「後の科目は暗記だから、後でおぼえればいいんだよな」

「そうか、やっぱり、小学校の長期欠席がいけなかったんだわね」

「数学ってドンドン進むから計算の式も覚えていなければ、出来ないのもあるしね」

「続けることが重要なのね」

「そうなんだよな」

「息子のように千葉県の統一テストで5番以内に入っていなければ医者にはなれないよな」

「そうよね。四ツ谷大塚の会員だったからね。日本中の小学生の上位2000名にはいらないと医者や東大へは行けないよな」

「医者になれるのは1年で全国で8000名だから、浪人もいるから至難の業だよね」

「特に、息子みたいに、現役で医大に入ることは難しいよな」

「それに比べれば、お前の国家試験は楽だよな」

「そんなことないわよ。66歳という年齢だからね」

「それは分かるけど、オリジナルアイディアを出せるようになるのには55歳からなんだって、著名な脳学者が言ってたよな」

「でもね。覚えた後から忘れてしまうんだからね」

「俺のデザインの仕事も若い内は真似からはじまったよな。洋書などを見て頂きだよな」

「息子も言ってわよね。洋書を切ってまとめているのを見たと……」

「たまたま、見られただけだよな。全部じゃないよ」

「だけど、物忘れがはげしいのよね。この頃は……」

「忘れるから新しことを覚えるのよね」

「でも良く遣るね。この歳でね」

「73歳の受付も大変だけどね」

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